イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

ひとり上手

2008年01月02日 20時02分52秒 | ちょっとオモロイ
近所の、猫の集会場になっている公園に、ジョギングがてらおせちの残りを持っていく。海老、こはだ、ぶり、などなど。正月だもん、ネコだって美味しいものが食べたいに違いない。いてくれるかな~? と胸を躍らせながら、狭い公園に足を踏み入れた。ご馳走だよ~と声をかけるまでもなく、いたいた、5匹の猫たちがいつものようにたむろっていた。ここの猫たちはあまり人間になれていない。ここは、すぐ脇は車がビュンビュン一日中通っている大通りだし、結構人通りの多い歩道に面している、猫の額ほどしかない狭い公園だ(5坪くらいしかない)。だから、猫たちは否がおうにも人目について、その分、可愛がる人もやたらと多いけど、意地悪な人もいるに違いないと思ってる(ヤンキーのお兄さんお姉さんがネコなんてまったく眼中に入れないで一服してたりする)。きっと、怖い目にもあっているのだろう。だからなのか、どんなにたくさんエサをもらっても、ここの猫たちは人間に対する警戒心を捨てることがない。それでも、少々ストレスフルな環境であっても、猫たちにはここしか居場所がないのだ。よほどのことがないかぎり、この落ち着かない公園で一生、生きていかなくてはならない。それを考えると、いつもこの子たちが不憫に思えてくる。

突然、「エサ、あげてるんですか?」と、後ろから見知らぬ女性の声がする。ドキッとした。猫嫌いの近所の人かもしれないと思ったのだ。(ひぃ~、そんな毎日エサあげてるわけじゃなくてたまたまなんですけど…あ~タイミングわるーっ、ひょっとして、説教されちゃうのだろうか……?)と一瞬嫌な予感がしたのだが、違った。その人も、エサをやりにきたのだ。いつもここにエサを持ってきている知り合いが病気になって来れないから、代わりにやってきたのだという。ええ話やないですか。では、一緒にエサをやりましょう、という意外な展開になる。寄せ鍋ならぬ、寄せエサだ。彼女は、かなり豪華なキャットフードを山盛り持ってきていた。ネコたちよ、食べてくれ。そして精一杯生きてくれ。病臥の知り合いも、きっと喜んでいるだろう。もりもりとエサを食べ始めた小さな生き物たちをみていると、幸福感と切なさが入り混じったような、なんともいえない気持ちに包まれてしまう。

ジョギングの帰り、もう一度公園を覗いてみた。あんなにたくさんあったエサはほとんどなくなっていて、一匹のシロネコだけが、ちくわと遊んでいた。そう、なぜかちくわを食べようとせず、やっこさんは文字通りちくわと戯れていた。よく、ねずみをとってきたネコが、自慢げに瀕死の(あるいはすでに息絶えた)獲物を何度も何度ももてあそび、いたぶったりすることがあるけど、あれと同じ。まったくぴくりともしないちくわを相手に、少し離れた距離から突然ジャンプして襲い掛かり、さあつかまえたぞ!ってな空気をビンビンに発して、満足げな表情を浮かべたと思えば、急に手元のちくわを掴んでたちあがり(二本足で)まるで釣ったばかりの魚がからだを捻って釣り人(猫)の手から逃れようとしているのをなんとか肉球で押さえようとしているみたいなしぐさをしたりする。おっとっと、なかなかこのちくわ、イキがいいじゃねえか、みたいな。あるいは、ボールリフティングに熱中するロナウジーニョ状態。ゴロゴロ地面に転がったり、回転したり、またジャンプしたり、激しく身体を動かしながらも、ちくわをけっして離そうとはしない。ちくわは友達。ちくわを体の一部のように扱っている。見事なちくわコントロール。それにしても、このネコ、いったいどうしちゃったんでしょうか。誰か、エサにマタタビでも混ぜてたんじゃないだろうか。あまりにも芸が見事なので、しばし見とれてしまった。サッカー選手が飽きもせずボール遊びに熱中するの、あれは人間だけじゃなくて、少なくともネコとも共通する本能なんだな、ってことがよくわかった(ちなみに、ぼくもリフティングは好きだったんです。昔から、ひとり上手だったんです)。

さあ、仕事仕事。それにしても、あのネコ、ちくわ一本であれだけ自分を楽しませるなんて、すごい。天才だ。ぼくも、あの気持ちで翻訳しなきゃだね。でも実は、最近なかなかハイテンションで翻訳の世界に入り込むことができなくなっていて、ちょっと困ってるんだ。人間にも、効果があったらいいのにな~。マタタビ。