イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

Into the wild

2008年01月26日 23時02分36秒 | Weblog
新しい手帳に彼女「今日のシンクロニシティ」記していたり

(解説)今年から、『ほぼ日刊イトイ新聞』がプロデュースする『ほぼ日手帳』を使い始めたのだが、これがとてもいい。月間や年間のスケジュールのほかに、1日に1ページ分のスペースがあるので、いろんなことを書き込める。方眼紙のように縦横に線が引かれているところがお気に入り。職場のとある人にたまたまこの手帳のことを紹介したら、彼女も気に入って一冊購入した。で、やっぱり楽しんでいろいろ毎日書いているのだという。訊いてみると、その日初めて知った言葉、その日感動したこと、などなど、なかなか面白いテーマを決めて書いているとのこと。なかでもふふふと笑ってしまったのが、「今日のシンクロニシティ」というテーマ。なるほど、確かに、身の回りを気をつけて観察していると、毎日一つくらいはシンクロニシティを発見できるのかもしれない。シンクロニシティって、アンテナを高く上げることができているとき、感度が増しているとき、何かに集中しているとき、起こる気がする。何かを物語るように、あるいは、何かを予見するように。シンクロニシティには、理屈では説明できない、人生の不思議を感じさせる何かがある。手帳に記すために毎日シンクロニシティを探すことで、新しい力を引き寄せることができるのかもしれない。

AAAAAAAAAAAAAAAAAA

あさま組勉強会。敬愛する翻訳者yumiさんの課題文を俎上に載せて、それぞれがコメントを述べる。それにしても、いつものように彼女の訳文は、柔らかくて、軽快で、上手い。ちょっとジェラシー。野球で言えば、ショートかセカンド。どんな球が飛んできても、上手に捌いて、短いモーションで一塁に送球する。安心感のあるプレーだ。この先彼女は、いったいどんなすごい翻訳者になるのだろう。とても楽しみだ。それに、各人のコメントも、それぞれ視点が違っていて本当に勉強になる。今日は特にそれを実感。その後、ダッシュして通訳学校。こっちも大詰めだ。そろそろこの半年間の成果をまとめる時期に近づいている。

今日あらためて思ったのだが、誰かの訳文をレビューするとき、僕はまず、文章の全体的な流れが気になってしまうようだ。ビートとうねりでいえば、うねりの方。でも、逆にいうと、流れさえよくなっていれば、それでよしとしてしまっていたのかもしれないな、などと思い、反省する。ついつい、もっともらしく訳してしまおうとするのだが、その前にもっと原文に肉薄しなければだめ。訳文の世界で遊ぶのは、まず一回、原文と完全に一体化してからだ。今回、自分の提出した訳文には致命的なミスがいくつかあり、もう穴があったら冬眠したいくらいだった。それはたぶん、しっかりと原文に触れていなかったから。現場に足を運ばなかった。アームチェアに座って、事件を解決できると思っていたのだ。

翻訳とは、原文の世界を純体験してきた者が帰還して語る、体験談なのかもしれない。行ったことがない場所、体験してもないないことをもっともらしく語れば、それはウソになる。あっちの世界に行って帰ってこれるだけの、体力が必要だ。鍛錬が激しく足りない。

安楽椅子で知ったかぶりの訳作る我よ荒野に旅立て再度