イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

開かれた社会

2008年01月29日 23時46分06秒 | ちょっとオモロイ
人の視線やたらと感じる朝が過ぎ 午後イチ閉める社会の窓

IT系 社会の窓も オープン系


(解説)世界は劇的に変わりつつある。門戸は開放されている。窓は開かれている。Web 2.0 の時代は到来している。そして、ふと自分の股間に目をやると、おもむろに社会の窓が開いている。

それにしても、誰が呼んだか「社会の窓」。確かに、この窓はいろんな意味で社会に通じてはいる。しかし、何もほかの部分を差し置いて、あの窓をあえて「社会」と言わなくても。なんだか、身体のそれ以外の部分はプライベートで非社会的なものであり、あそこだけが社会的な存在であるといわれているような気すらしてしまう。そして、ひょっとしたらそれはある意味真実なのかもしれない、などと心の奥底でしみじみと頷いている自分もいる。

ともあれ、社会の窓が開いていることに気づくのは、僕の場合、慌しい朝が過ぎ去り、昼休みも終わったあたりの、おだやかな午後のひとときである。うららかな春の午後である。おもむろに下腹付近に目をやると、閉まっているべき扉が、ぱっくりと口を開けている。「あっ」と思って反射的にジッパーを上げるのだが、その瞬間の恥ずかしさを打ち消してしまうほどに真摯にこの脳裏をよぎるのは、いったいこの窓はいつから開いていたのか、という根源的な命題である。あの電車に乗っていたとき、窓は開いていたのか。あの会議に出ていたとき、窓は開かれていたのか。あの人と真顔でしみじみ人生について語り合っていたとき、ウィンドウはオープンしていたのか。女子高生の集団とすれ違ったとき、Windowsはオープン系だったのか、汎用系だったのか、ソースコードは見られたのか、どうだったのか、そのあたりをはっきりしてほしい、と思わずその日一日の記憶がフラッシュバックするのである。ひょっとしたら、あの人もこの人も、このぼくのファスナー全開に気づいていながら、見て見ぬフリをしていたんじゃないだろうか、なんて被害妄想が荒野を駆け巡るのである。

しかも今日は、リュックサックのファスナーを開けっ放しにして会社まで来てしまった。よくやってしまうのだ。おそらく月に一度くらいの割合で発生する。家を出る前にいろいろとリュックに物をつっこんだり、電車の中で本を出したり、そんなことをしている間に、ファスナーが開けっ放しになっているのに気づかないのだ。ファスナーの開いたリュックが間抜けなのは、ぱっくり開いたままのそれを、持ち主が背中に背負って歩いているというところだ。私はバカです、と背中に書いて歩いているようなものだ。結構大事なものを入れているので、気づくたびに、何か落としてないかとハラハラする。いつか、とんでもない失敗をやらかしてしまいそうだ。

というわけで、今朝のぼくは、ズボンのファスナーは全開、背負ったリュックも口を大きく開けて中身丸出し、という一歩間違えば警察に通報されかねないほどの危ない状態で通勤していたのである。もし、そんなヤツが道の反対側から歩いてきたり、電車に乗っていたりしたら、ぼくでもびっくりするだろうと思う。我ながら、このオープン系な性格はなんとかならんのかと思う。でも、もうどうしようもないのでしょうね。下品な話ですみません。

KKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKK

『「在外」日本人』柳原和子
『穴』ルイス・サッカー著/幸田敦子訳
『すばらしい新世界』池澤夏樹
『ローラレイ浮上』福井晴敏×樋口真嗣
『落ちこぼれてエベレスト』野口健
『武がたけしを殺す理由』北野武、渋谷陽一