イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

あの観覧車を忘れない

2008年01月18日 23時24分22秒 | ちょっとシリアス
会社の窓からいつも見ていた観覧車いつか乗る日D-dayすべてが変わるH-hour

(解説)四年間通った会社の窓からは、きれいな観覧車が見えた。観覧車はとても大きく、日が落ちると夜景に映えてとても美しく光った。妖しく輝く巨大な輪を眺めながら、きっとあの箱の中のひとつに身を置くことも、ぐるぐるまわる異次元の空間から世界を見渡すことも、おそらくこの先きっとないのだろう、と漠然とした思いを心に抱いた。来る日も来る日も働いた。スーツを着て、ネクタイをしめて、くたくたになりながら遅くまで働いた。観覧車があったのは、職場からたった一駅先にある公園だった。結局、四年も通って、一度もその駅に降り立つことはなかったし、観覧車に乗ることもなかった。

その会社で、ぼくは初めて翻訳者としての仕事を任された。うれしくてうれしくて、信じられないくらいはりきって、無駄な力を出しまくり、空回りを連発しながら、明けても暮れても仕事をした。徹夜も何度も経験した。休出も常態化していた。ストレスもプレッシャーも相当感じていたし、オンとオフの区別もあまりなかった。体調も優れないときが多かった。今にして思うと、長い長い夢を見ていたような気もする。もちろん、あの会社での経験が自分の血肉となっているのだから、すべてに対してとても感謝をしているのだけど。

今は環境も変わり、あのころのような追い込まれた気持ちからは解放された。忙しいことには変わりはないけれど、以前より物事を楽しめるようになったし、充実感も強い。主体的に、自分の人生を生きているような気がする。年を食って、それだけ成長したということなのだろう。でも、若くたってバランスよく人生を楽しんでいる人はいくらでもいる。なんだか、人の十年後ろを追いかけているような気もしないでもない。でも、流されていたら、十年なんてほんとうにあっという間にすぎる。ただ単に流されていたのではなく、激流に飲み込まれないように、必死に泳いでいたのだと思いたいのだけれど。

決心をして、一歩前に踏み出せば、何かが変わることがある。たった一日、たった数時間でも、その後の人生に大きな変化を与えてくれるようなことを経験ができる。あのときの自分は、長い間、そんなD-dayやH-hourを決めることができずに、チェーンのように終わりのない日々を生きていた。ちょうど、目の前にある観覧車に乗る機会なんてない、と思い込んでいたように。色んな事情が絡まって、ここからは抜け出せないと思った。今にして思えばそんなわけはなかったのだけど、それだけ周りが見えていなかったのだ。

だけど、永遠とも思えた時代にも、苦しみぬいた戦いにも、ある日、あっさりと終わりのときがきた。辞めたら、心に翼が生えた。何年かぶりに地面に出て、太陽の日差しを浴びたような気持ちになった。長い旅を終えて久しぶりにふるさとの地を踏みしめたような、生まれ変わって素の自分に戻ったような、そんな気がした。そう、いつまでも変わらないと思っているものにも、いつか必ず終わりがくる。

そして、心を決め思い切って空を飛べば、信じられないくらい素晴らしい世界にだって行くことができる。たとえば、たった17分間で、観覧車が一周する間に。

あの観覧車のことを、ぼくは決して忘れない。ぼくが経験したD-day、H-hourのことを、ぼくは死ぬまで忘れない。