西郷隆盛気分の小沢一郎が手本としている大久保利通、伊藤博文、原敬、吉田茂4人の政治家

2008年10月03日 17時18分00秒 | 小沢一郎「15年戦争」
 ◆小沢一郎は高校生時代、幕末維新のころを描いた歴史小説などを読みふけり、西郷隆盛に傾倒している。東京での住まいが、上野公園の近くにあり、上野の山に皇居に向かい、犬を連れて立っている西郷隆盛の銅像を見上げては、「このような人物になりたい」と憧れるようになったという。
郷里である岩手県水沢市(現在・奥州市)は、西郷隆盛率いる官軍に攻められたいわゆる「賊軍」の地でありながら、攻めてきた官軍の総大将を尊敬するというのは、何か妙な気がしないでもない。しかし、水沢市は幕末、留守氏の本城下で生まれた蘭学者・蘭医となり、幕府を批判して「蛮社の獄」につながれ自殺した高野長英という開明的英傑を生み出した土地柄でもある。変革を求める気風が、幼少時代から少年時代を過ごした小沢一郎に影響を与えていたと見るのは、不自然ではない。
◆小沢は、著書「日本改造計画」(講談社1993年5月20日刊)のなかで、明治以降の政治家のなかで、「注目すべきリーダー」として、大久保利通、伊藤博文、原敬、吉田茂の4人をあげて、手本としていることを次のような記述で明かしている。
「私は、日本の近代120年の歴史の中で、注目すべきリーダーとして次の4人を挙げたい。大久保利通、伊藤博文、原敬、それに吉田茂である。この四人は、政治制度や権力基盤というものを十分に理解し、把握したうえで卓抜なリーダーシップを発揮した。彼らは、きわめて個性的な存在だ。それだけに、周囲の意見に耳を傾ける物分かりのよいリーダーを理想しがちな日本風デモクラシーの観念からすれば、同時代の人たちからは決して高い点数は得られなかった。」
◆これら4人のリーダーのうち、大久保、伊藤、原の三人は、テロリズムに倒れている。吉田は講和独立をなしとげたにもかかわらず、非難ごうごうの中で首相退陣を迫られた。花道を飾れなかった。
 これら国家最高指導者は、いずれも国民受けがするような評判は得なかった。その点で共通している。そんな四人をなぜ小沢は、評価するのか。しかも、不思議なことに、平成の西郷隆盛を自認している小沢が、西南戦争で盟友・西郷隆盛を自刃に追いやった大久保をどうして高くかうのか。小沢は言う。
「4人のリーダーに共通している点は何だろうか。何よりも時代の大きな変化に直面して、果敢に国づくりを推進したことだ。」
 たとえ同時代の国民に理解されなくても、後世になって歴史的にも高く評価される。そのような歴史上の国家最高指導者を小沢は、「あの人」と呼んで理想としているのだ。つまり、「あの人のようになりたい」という憧れである。
板垣英憲マスコミ事務所

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