「小沢一郎という男の野望」1992年 第1章 剛腕健在なり 宮沢政権を骨抜きにした「小沢面接」

2010年09月21日 19時07分30秒 | 小沢一郎「15年戦争」

イラスト 塚本昇司

宮沢政権を骨抜きにした「小沢面接」

 しかし、いかに剛腕とはいっても、連戦連勝とはいかない。小沢は、平成三年四月八日の東京都知事選挙で鈴木俊一知事降ろしに失敗したあげく、その鈴木が当選したため、自らの責任を取って幹事長を辞任、竹下派の会長代行に就任した。
 それに追い討ちをかけるように小沢は、同年六月二十九日、狭心症のため四十日間入院したのである。一時は再起不能も囁かれたが、生還し、健康を気にしながらとはいえ、直ぐに本領を発揮しはじめた。
 そのきわめつけが、自民党総裁戦に出馬の三候補を自分の事務所に出向かせて行った「小沢面接」である。

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4 コメント

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きわめつけにあたる行為? (タケん)
2010-09-21 19:34:39
いつも拝見させて頂いてありがとうございます。
三候補を自分の事務所に出向かせて行ったとありますが、恣意的な表現ですね。
後日談では小沢氏が招へいしたのではなく
宮沢氏らが立場が立場なのでおじゃまするということになったと述べられてる。
ご存じでの表現であれば、味方の振りした
小沢たたきになりませんか?
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Unknown (西風)
2010-09-21 19:49:16
国民の記憶はなかなか薄れませんね。小沢一郎氏がいまだに不人気なのは
このころの奢った態度が理由でしょう。
いまだに引きずっている。メディアが小沢氏を貶めているのではなく自らが作ってきたキャラクターがどうしても小沢一郎氏をネガティブに見せてしまう。
返信する
タケん様 (板垣英憲)
2010-09-21 23:40:39
ご愛読感謝致します。私の独断と偏見ではありますが、小沢さんが、最大派閥竹下派の勢力をバックにして自分より先輩を呼びつけての面接であったことは、間違いなく確実な事実でしょうね。酔っ払いの宮沢さんは、なかなか総理大臣になれないので、帰宅すると玄関を入ったところで、奥さんに殴られてばかりいたそうです。だからここは、チャンスと思ったのでしょう。基本的に政治家は、「ウソツキ」ですから、自分のプライドを傷つけることは言いません。東大法学部率を自慢し、大蔵官僚のプライドの高い宮沢さんは、私学出をいつもバカにしておりましたから、慶応大経済学部卒の小沢さんのところへ、率先して面接に赴いたというわけはありません。やっぱり小沢さんに呼びつけられたのでしょう。
小沢叩きのように思われるのかもしれませんが、それほどの小沢さんの手腕を私は当時から並の政治家ではない、田中角栄の言葉を借りれば、まさにタマが違う政治家だと高く評価してきました。どうぞご理解下さい。
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ありがとうございます (タケん)
2010-09-22 20:39:19
宮沢氏はまだお元気な時
日曜早朝TTBSの番組で聞いた発言でした。
また、小沢氏ブレーンの平野貞夫
『虚構に囚われた政治家―小沢一郎の真実』 講談社
にも書きとめられていたものですから。
マスコミ等が「剛腕小沢」の象徴的シーンとして取り上げていることに不審をずっと抱いております。私は20数年前に『日本改造計画』を手に取ってからずっと小沢氏の政治姿勢に共鳴しております。
今後とも板垣先生のメッセージを愉しみしております。
早速の御返信恐縮です。
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