「四王天延孝陸軍中将の名著「猶太思想及運動」~板垣英憲が解説~連載開始(有料月額1000円)

2010年09月15日 19時15分51秒 | お知らせ
昨日のエントリーで予告いたしました「四王天延孝陸軍中将の名著「猶太思想及運動」~板垣英憲が解説~の連載を開始いたしました。第1回目の今回は、まず口絵写真に解説を添えて掲載しております。



いまから十数年前、埼玉県立埼玉会館で「時局講演会」を催していた際、旧大日本帝国陸軍出身者の集まりである「郷友会」幹部からの四王天延孝陸軍中将の名著「猶太思想及運動」の全文コピーをいただき、一気に読破した。正史では知ることのできないその内容の精密さ、奥深さに感銘を受けたものである。その後、古書店から高額のプレミアムのついた本物を入手することができた。世界史がめまぐるしく動いている最中、せっかくの機会であるから、全編紹介しておきたいと思う。
 なお、念のために、このコーナーは、世にはびこる「ユダヤ陰謀論」に加担するものではないことを予めお断りしておく。あくまでも、世界史を表裏両面から動かしてきたユダヤ人の真の姿を科学的、客観的に認識する一環として、ユダヤ研究の第一人者として知られた四王天延孝陸軍中将の名著「猶太思想及運動」を通して、正しい歴史観の確立に役立てようとするものである。


四王天延孝〔出典:『四王天延孝』回顧録(みすず書房刊)より〕

【四王天延孝(しおうてん のぶたか)プロフィール】
 1879年〈明治12年〉9月2日、前橋藩士・西村茂兵衛の弟として生まれ、川越藩士・四王天政彬の養嗣子となる。1899年(明治32年)11月、陸軍士官学校(11期)を卒業し、翌年6月、工兵少尉に任官し近衛工兵大隊付となる。
 清国駐屯工兵中隊付などを経て日露戦争に出征。近衛工兵大隊中隊長、大本営運輸通信長官部副官、陸士教官、近衛工兵大隊付などを歴任し、1909年(明治42年)12月、陸軍大学校(21期)を卒業した。関東都督府陸軍参謀、工兵第7大隊付、陸軍砲工学校教官、フランス軍従軍などを経て、1920年(大正9年)1月、シベリア出兵に際し浦塩派遣軍司令部付として出征し、さらに関東軍司令部付となりハルピン特務機関長を勤めた。
 1922年(大正11年)4月、陸軍航空学校教官となり、以後、同下志津分校長、陸軍省軍務局航空課長などの航空畑の役職を歴任し、1924年(大正13年)8月、陸軍少将に進級した。陸軍兵器本廠付、国際連盟陸軍代表、兼同空軍代表、豊予要塞司令官、第16師団・第3師団の各司令部付などを経て、1929年(昭和4年)8月、陸軍中将に昇進し予備役に編入された。以後、帝国飛行協会専務理事、大日本回教協会会長などを歴任した。1942年(昭和17年)の翼賛選挙では衆議院東京5区から推薦候補として出馬し、全国最高点で当選。終戦後、1945年(昭和20年)12月、A級戦犯容疑で逮捕されるが、1947年(昭和22年)に釈放された。他に国本社理事、日本反ユダヤ協会会長なども勤めた。1962年〈昭和37年〉8月8日死去。
主な著書『ユダヤ思想及運動 付・シオンの議定書』(内外書房1941年初版、心交社1987年復刻)『四王天延孝回顧録』(みすず書房、1964年)


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