いたちゃんの『なるほど通信』

函館市議会議員・板倉一幸が市政とまちの「なるほど」をお伝えしていきます。

不戦の誓い、新たに。

2012-08-22 13:30:44 | Weblog
 毎日暑い日が続いています。8月中旬以降に、真夏日が3日連続で、今日も31度ですから4日連続なんて…(><)暑い!暑い!と言わないようにと気をつけていますが、口からポロリと「暑い!」が。
 今日は、函館市戦没者追悼式が開催されました。函館市には、日露戦争から太平洋戦争にかけて、5406名の方が戦死しています。
 式辞で工藤市長も、同じ過ちをくり返してはならないと述べましたが、太平洋戦争終結から67年が経ち、戦争体験者も、遺族も高齢化し、過ちや悲惨さを語り継ぐ人たちが少なくなってきました。
 写真は、遺族代表の佐々木進さんが追悼の辞を述べているところですが、お父さんが旭川師団から南方に転戦し亡くなったそうです。それを聞きながら、私の父も旭川に招集され、千島での戦闘を経験したことを聞かされていたことを思い出しました。
 原爆投下の日や終戦の日を中心に、いろいろなニュースやドラマが放送されますが、これでなぜ、日本国民全員が反戦平和に、反核・反原発で一致しないのかと、首を傾げます。今日もまた、不戦の思いを強くしています。
 今日はこの後、地元・神山の稲荷神社のお祭りです。
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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2012-08-23 00:10:36
板倉さんのお父様、千島にいらしたのですね。
うちの父も択捉島にいました。終戦後択捉に抑留され、23、4年頃帰還したそうです。
あの時代を身を持って体験した方々も高齢となり、真の意味での戦争の悲惨さ、無慈悲さ、酷さを伝えられなくなっていくのでしょうね。
義母は3月10日の東京大空襲を命からがら逃げ延びた経験をもっていますが、その日から一度も足を踏み入れたことなく、いまでも言葉に出来ないほどの光景だったみたいです。
心に無数の傷を残す戦争は絶対に起こしてはいけないにもかかわらず、今も沢山の所で正義という名目で銃弾が飛びかい、昨日もシリアでジャーナリストの方が命を落とされました。
御冥福をお祈りします。
不戦、非戦のためにも、この国の外交はしっかりしてほしいものです。
外交の非力さやズレが戦争突入の要因の一つになったのは、つい70余年前ですものね。

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Unknown (Unknown)
2012-08-23 00:10:38
板倉さんのお父様、千島にいらしたのですね。
うちの父も択捉島にいました。終戦後択捉に抑留され、23、4年頃帰還したそうです。
あの時代を身を持って体験した方々も高齢となり、真の意味での戦争の悲惨さ、無慈悲さ、酷さを伝えられなくなっていくのでしょうね。
義母は3月10日の東京大空襲を命からがら逃げ延びた経験をもっていますが、その日から一度も足を踏み入れたことなく、いまでも言葉に出来ないほどの光景だったみたいです。
心に無数の傷を残す戦争は絶対に起こしてはいけないにもかかわらず、今も沢山の所で正義という名目で銃弾が飛びかい、昨日もシリアでジャーナリストの方が命を落とされました。
御冥福をお祈りします。
不戦、非戦のためにも、この国の外交はしっかりしてほしいものです。
外交の非力さやズレが戦争突入の要因の一つになったのは、つい70余年前ですものね。

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