一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

697  どことなく新涼といふ身のこなし  かつ子

2012年09月07日 | 

 「何故この句がいいか」と問われたら、説明に戸惑ってしまう。例えば、この句の人物が誰だかさっぱりわからないからだ。男か女か、大人か子供か、 家族の誰かかもしれないし、・・・・・

茶道や能の所作かもしれないし、買い物客や店員かもしれないし、公園を歩く二人かもしれないし、屋外か室内か・・・・・「身のこなし」だって、ゆっくりなのか、てきぱきなのか・・・・・・

 こんなにぼかされてしまうと、様々なイメージがありすぎて、私にはかえって、ある特定の状況を限定できないのだ。だから、「何故いいか」と問われても、「どことなくいい」としか言いようがない。

結局、この句の「どことなく」という言葉に、まんまと騙されたような気がする。

コバギボウシ(小葉擬宝珠)  リュウゼツラン亜科ギボウシ属の 多年草

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする