インド亜大陸とマレー半島との間には大きく海が広がっているが、その大洋の真ん中からやや右側あたりにタテ列でズラーっと島々が並んでいる。
アンダマン・ニコバル諸島と呼ばれる列島で、国はインドに属している。
オンゲ族、ジャラワ族、ションペン族 アンダマン諸島民、センティネル族、ニコバル諸島民・・・、そこには数万年前から変わらず狩猟採集生活をし続ける先住民族が点在し、暮らしている。
写真は、その中でも最もプリミティヴ・原始的であるとされるセンティネル族のもの。
外部との接触がほとんどなく、誰も彼らの言葉を話せる人間はいないという。
地球上でも、もっとも孤立した人たちだ。
クリックして拡大してみると分かるけれど、上の写真では笑顔で右手が差し出されていて、すごく友好的な、ほのぼのとしたムードが漂っている。一方その下の写真は低空飛行の飛行機から撮られたもので、こちらに向かって矢を放とうと、怒っている感じがうかがえる。
上のは2年ほど前にカヤックトリップで実際にアンダマン諸島に行き、現地の博物館に展示されていた写真をぼくが映したものでおそらく1950年代とかそれくらいのかなり古いやつ。一方下のは、2000年代の新しいやつ。
対極的な2枚、何を意味するのだろうか?
最近ちょっと思うところがあって色々調べてると、どうやら1980年代に外部からの侵入者によるセンティネル族虐殺事件があったようで、真相はよくわからないけれどたぶんそれを境にして態度が大きく変化したんじゃないかと思われる。密漁者によるいやがらせや暴力沙汰、野次馬根性的な好奇心丸出しでのちょっかいなどもあるみたいだし・・・。ロンリー・プラネットという旅のガイドブックを見ていると「数年ごとに接触を試みる一団がココナッツやバナナ、豚、赤いプラスティックのバケツを手土産に、センティネル族最後の砦である北センティネル島のビーチにやってくるのだが、弓矢の嵐を浴びせられるばかりである」・・・、と書かれている。また数年前に北センティネル島に漂着した漁師2人が殺される事件もあったようだ。
一番上の写真の、たとえようのないほのぼの感を見れば見るほど、逆に彼らの怒りとか警戒心が何倍にも増して浮き出てくるような感じで、切なさを覚える。特に左から2番目の人なんか、すごく人懐っこくていい人そうだしね。本来は非常に友好的な人々なのだろう。
ぼくが彼らに興味を抱いたのは、「2004年のインドネシア・スマトラ島沖地震による大津波がアンダマン・ニコバル諸島を襲った時、波や潮流の変化にいち早く気づいた先住民系の人々はさっさと高台に逃げたためほとんど被害がなかった」、という雑誌記事を見て以来のことだった。自然のリズムとともに生きる人の観察眼とか知恵とかすごいなあ、というのと、活断層の上に並ぶこの島々の、数万年前からダイレクトに口承伝承されているであろう地震や津波に関する神話ってものすごくディープなものなんだろうな、っていうところからの興味だ。
ぼく自身がシーカヤックであちこち旅して得た、口ではなかなか説明しずらい感覚的なトリップ世界とかと、もしかしたら繋がる部分があるのかな、とか、そういうこともたまーに考えたりする。
おかしいだろうか?
しかし彼らの、水で薄められていない純粋培養された神話的世界観とか、コスモロジーとかって、めちゃ偉大なものに違いない、とぼくなんかは思っている。
上の写真を見ていて思うね。
人間のディープな自然感覚とかプリミティヴな感性とかそういうものはきっと、この写真のニイチャンらの右手を差し出す笑顔のように、森羅万象と心の奥底で繋がっているのだろう、と。あるいは、シーカヤックの世界観を突き詰めていくと、彼らが伝承し続けてきたであろう数万年来の自然の叡智の素晴らしさみたいなものが分かってくるんじゃないだろうか、などと。
あるいは平和とか。
ま、色々哲学させられるたぐいの笑顔だね、これは。