プリミティヴクール

シーカヤック海洋冒険家で、アイランドストリーム代表である、平田 毅(ひらた つよし)のブログ。海、自然、旅の話満載。

2021-01-06 19:34:39 | 熊野

 最近、道というものについても色々考える。先日、熊野古道の伊勢路を熊野から伊勢まで歩いた。

 以前は道なんてものより道なき道を行くみたいなのがよく、だから道などない海が好きだったのですが(その嗜好性は変わらないけれど)、たしかに古い道というのも興味深いなと改めて思えるようになってきた。
 だいいち、こんな石畳やらなんやらを敷いて、人力で道を作ることだけでも超たいへんだったろうとしか言いようがないし、かつまた過去に何万、何百万、何千万という延べ人数の人々に歩かれてきただろうその道の、眼に見えない年輪と一人一人の想いなどを考えると、ああすごいもんだなと思わざるをえない。

 しかし、じぶんが歩いている分には、周囲には誰もいないしほとんど静まり返っていて、その中で小鳥の鳴き声なんかが聞こえてくるだけで人間の気配などまるでなく、すべての人々の思念が幻だったように思えてくる。そしてぼくが歩いていたその瞬間瞬間の思念も、やがて同じ幻の中に吸収され、消えていくというわけ。

 そのような関係性が、はかなくも興味深い。


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熊野 大丹倉

2021-01-05 23:51:00 | 熊野





 年末は熊野のあちこちを歩きまわっていました。写真は大丹倉(おおにぐら)という、対向車がらきたらアウトというような細いクネクネ林道を運転してやっと行き着く秘境。原始信仰を思わせる磐座。

 最近、日本文化にとって、熊野とはなんぞやということをよく考える。

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熊野古道スピードハイク

2018-04-24 10:37:54 | 熊野

 先日、熊野古道の近露~本宮大社のコースを、
 スピードハイク。

 スピードハイクというのは、
 トレッキング以上トレラン未満というスピードで歩くスタイルですが、
 単調なところはささっと抜け、
 興味深いところはじっくり見て回るという、
 より自由度の高いデイトリップが楽しめるところに、
 よさがあります。

 特に今の時期の紀伊半島の新緑には
 特筆する物がありますね。
 特に本宮に近づき、ふと木々の切れ目から見える、
 大斎原(おおゆのはら)の鳥居とその背後に並ぶ熊野の山々の姿は、
 強い神々しさが感じられます(写真一番上)。

 川と鳥居を中心点として、まるで
 
緑の生命感が時計回りにグルングルン回転してる感じだ

 若々しい木々のエネルギーを感じながら歩く熊野古道。
 「体力」、というよりも「生命力」、をチャージしながら歩く感じで、
 それはそれは素晴らしいです。


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野外でライブできそう

2015-09-18 23:26:15 | 熊野

まるで紀州・熊野の海、山、川の精が
ギターを手に取ってブルース弾いたらこんな音になるかな、
って思わせられる濱口祐自のギタープレイ。

いよいよ明日19日、うちの店でギターライヴ開催。
天気もよさそうで無事、野外でライヴできそう。
やっぱり潮風と夕日の中でやらないとな。
野外ならば人数制限なく100人でも200人でも収容できるので、
予約なしでも当日参加OK
明日予定ない人はぜひふらっとお越しを。

還暦前でメジャーデビューって、
ルックスとかファッションとか関係なく、
純粋に音そのもので人を魅了できる才能として、 
相当の実力が伴わないとありえない話なのですが、
このギターを聴くと納得せざるをえんでしょう。
きっとものすごい衝撃を受けると思いますよ。

ライヴ後はテント張ってみんなで飲みます。
詳細は 
http://homepage3.nifty.com/creole/yuuji.html


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古座川をくだる

2015-09-14 00:43:27 | 熊野

 先日ちょっくら日帰りで古座川を下ってきました。
 と言ってももともとは川下りを目的にしていたわけではなく、
 枯木灘あたりをシーカヤック&シュノーケリングしようと思って行ったのですが、
 あいにくうねりが高くて予定変更したわけです。
 
 まあこれも、高速道路がすさみまで延びたからできたことで、
 これまでだったら、うねりが出ている時点で引き返していたでしょうね。
 なんせ串本より向こうは時間がかかりすぎるから。

 古座川のよさはシーカヤックでも下れるところですね。
 だから海がだめなら川、というチョイスもできる。
 ちなみに日置川もできる。熊野川もできる。日高川もできる。
 和歌山の主要な川はみなシーカヤックでも下ろうと思えば下れますね。
 
 南紀・熊野エリア。
 ぼくは世界あちこちを旅していますが、
 やはりこのエリアは世界レベルの素晴らしいアウトドアフィールドです。 
 (無駄にコンクリートも多いけど) 
 しかし本当におもしろく遊んでいる人は少ない。
 もったいない。

 アイランドストリームのベースである湯浅あたりは今後ますます、
 南紀・熊野エリアの玄関口的な位置づけ、意味合いが高まってくるわけで、
 ではぼくがさらにきちんと一般にその本質を広めていかなきゃなと
 感じています。

 季節ごとのフィールドの隠されたよさ、
 岩のひとつひとつの表情に至るまで、
 徹底的に全部知り尽くしたい。
 そして皆さんとそのよさを共有していきたい。
 だからもっともっと遊ばないとな。 


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南紀・熊野の玄関口

2015-09-07 00:43:58 | 熊野

 南紀への高速道路が先日、すさみまで延びました。
 ぼくは必ずしも高速が紀伊半島をぐるり一周することがいいとは思わないのですが(あちらこちらがコンクリートだらけに、下世話になるから)、南紀へより行きやすくなったのも確かです。今後、ツアーでもプライベートでも南紀・熊野の自然場所へと足を運ぶ機会が増えそう。

 ここ湯浅はますますハブ空港的というか、
 玄関口みたいな場所になるだろう。
 この玄関口だけでも十分楽しめるのですが、
 さらに奥にはワンダフルな場所がいっぱいです。
 その魅力を伝える活動をもっと展開してゆきたい。 

 たとえばアイランドストリームの艇庫サービスを利用し、
 自分のカヤックを持ち
 湯浅湾を「ホームグラウンド&練習場」、
 南紀・熊野を「トリップ先」と捉えてみても面白い。
 ごく普通の一般的関西人が、
 特別ではなく、日常の延長線上で、
 一生豊かな日々が送れるスタイル、と言っても過言ではないでしょう。

 この玄関口の向こうには、
 「小宇宙」と言えるほどバラエティに富んだフィールドがあります。
 なんせ、雪山からサンゴの海まであるのが和歌山なのだから。
 さらに「紀伊半島」全部を入れると、
 一生かかってもなかなか遊びつくせないですね。 

 そして日本の原郷として世界遺産になっているほど、
 文化的な深みがある。 

 まあ、ぼくはそういうライフスタイルを提案する意味でも、
 この湯浅に居を構えてアイランドストリームをやっています。 
 もっと自然に遊び、自然に学ぼうぜ。

 写真上は古座川。
 下二枚は串本周辺の沿岸。 
 こんな場所に身を置き、
 この美しさと一体化することの喜び。 


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熊野のエッセンス

2015-09-04 23:05:17 | 熊野

 先日ちょっと熊野本宮大社に行ってきたのですが、
 熊野三山(本宮、新宮、那智)の中でも最も中核、コアの聖地に当たるのが、
 本宮大社そばの大斎原(おおゆのはら)。

 今でこそここではなく、北西部の高台に本宮大社があるのですが、
 明治時代までは熊野川・音無川・岩田川の合流する川の中州である、
 この大斎原こそが本宮大社なのでした。

 ちょうどこの上の絵がそうなのですが、
 参詣者は川を渡って、必然的に水垢離をして参拝する格好になっていました。
 それが明治22年の大水害で全てが流され、
 ちょっとこの場所ではまずいだろうということで、
 現在の高台に移動したというわけです。

 だけどこっちの方がだんぜん聖地って感じだよなあ。
 そのことはいろんな人が言っているのですが、
 たとえば、かの岡本太郎は「神秘日本」という著書で、
 「時々大水で洗われてこそ野性たる熊野の聖地の真髄、凄味が出る。大斎原に比べて、高台にある現在の大社は、いくら居住まいを正そうともその官僚主義的虚しさはぬぐえない」
 と見事なまでにぶった切っていました。
 中上健次は、大斎原では磁気が異様で、電子機器が狂う、
 時空の歪んだ場所だと言っていました。
 そもそもは、神代の時代に3つの月が降りたった場所とも言われています。 

 いずれにせよ、世界遺産にもなっている熊野の聖地のラスボス、
 根源、中核たる場所がこの大斎原なのですが、
 この絵の形、誰が見てももろに女性器の形をしている。
 もちろんスケベエな、卑猥な意味ではなく、
 地母神的な、すべてを生み出す源という意味で、
 そのように見立てられ、聖地としてまつられているのだ。
 
 このそばに「産田神社」というのがあって、
 イザナミノミコトがまつられているのですが、
 イザナミはそもそも日本神話において、
 日本列島の島々を生み、
 またアマテラス、スサノオ、ツクヨミといった神々を生み出していった母神的存在ですね。
 それを祀っているというのも興味深い。
 
 黄泉(よみ)とか常世(とこよ)とか死者の国とか言われる熊野ですが、
 「生命を生み出す根源」。
 それが熊野という聖地の大元の性質で、
 中世から近世にかけての熊野詣とは、
 象徴的に古い自分を捨てて新しい自分に生まれ変わるとか、
 黄泉(よみ)の国に帰って再び蘇る(よみがえる)とか、
 そういう復活、再生の意味が付与されていたトリップだったわけですね。
 (湯峰温泉の小栗判官のストーリーなんてまさにそう)

 それを支えるのがやはりこの熊野の自然、野生力。
 それは感覚的なものだから、
 行ってみないとわからない。
 逆に時代を越えて存在するものだから、
 その場所に行くことによって誰でもわかる。
 あえていうと、車でサーっと聖地に乗り付けるよりも、
 山を歩き、川を渡り、海を漕ぎ、
 全身を使って体感することによってこそ実感できるものだ。
 自然力、野生力を感じることによって、いや同調することによって
 忘れかかっていた自らの生命力を取り戻し、再び日常へと帰ってゆく。
 それが日本の原郷たる熊野信仰のエッセンスなのだ。

 で、ちょっと余談になるけれど、
 下の写真は串本の潮岬灯台下の黒潮がぶち当たる場所。
 日本神話上で、オオクニヌシノミコトと一緒に国造りをしたスクナビコナノミコトが帰っていった常世がこの海の中にあると言われています。ぼくはここが実際の熊野の野性力、自然力のクライマックスの場所だと思っているのですが、ここは大斎原の女性性に比して、「大倉島」という岩の連なりが男性器に見え、その先からエネルギー(潮)がほとばしっているように見える。岬のことを英語でペニンシュラとはよく言ったもので、本州最南端のペニンシュラの先から黒潮がほとばしっている。
 そこが黄泉、常世の国。
 大斎原と潮岬。
 産み出すということのメタファー。
 日本神話の想像力ってスケール大きくて、面白いなと思う。
 一言でいうと、大いなる生命讃歌なんだな。
 熊野でアウトドアすることって、そういう世界観に如実に触れるってことでもあるんだ。 

 


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