プリミティヴクール

シーカヤック海洋冒険家で、アイランドストリーム代表である、平田 毅(ひらた つよし)のブログ。海、自然、旅の話満載。

いつも心に黒潮を

2010-11-22 21:36:12 | インポート
D_078

 先日から10日ほど、愛媛県宇和島に行き、周辺の海、山、川のフィールド調査をしてきました。

 宇和島あたりってちょうど、和歌山湯浅あたりの自然の感じと共通項があるんですね。
 夕日が沈む西向きに海が面しているし、海を見て右手は瀬戸内海、左手には太平洋というロケーションがまず似ている。温暖さも似ているし、みかんが名産であるところもよく似ている。

 そして我がひとつのテーマでもある、
 「黒潮フィーリング」ってやつ。
 特に紀伊半島と四国南岸は同じ黒潮沿線の温帯地域ということで、
 非常に興味があるフィールドです。

 紀伊半島では、岬をひとつずつ南に向かえば向かうほど微妙に水温も上がり、だんだんだんだんグラデーションのように黒潮フィーリングってやつが色濃く感じられるようになってきます、などと常日頃言っていますが、このリアス式海岸の宇和海でも同じような傾向がありましたね。
 そして最南端の
 潮岬(和歌山)、
 柏島(高知)でそのフィーリングが最も色濃くなる、というところも似ています。
 (まあ、ちょこっと漕いだくらいでは分からんのだけれどもね。五感を総動員し、自分自身で天候・海況を読み、地形を読み、判断力を駆使して進んでゆくことによってのみ、分かってくるリッチな感覚。そんなのは他力本願で楽して得られるものなわけはない。自分の生命感で、そのフィールド特有の女神とダンスするような感覚とでも言うか。それこそが本当のシーカヤックの真髄なのである)

 実際は宇和海のほうがサンゴが多くて黒潮の影響が強いのですが、
 月の満ち欠けによって生じる潮汐流の影響も強く、また島の数もより多いので、
 さらに瀬戸内的な趣も強かったのが、面白いところでした。
 (地球が自転することによって起こる海流・黒潮と、月の満ち欠けによって起こる潮汐流とは、まったく異なる流れ。太平洋は黒潮の海で、瀬戸内は潮汐流の海だ。宇和海や紀伊水道ではそのふたつがミックスしているが、そのミックス具合が微妙に異なる。)

 似ているところと似ていないところ、
 シーカヤックのような敏感なフネに乗ってのみ察知することのできる微細な感覚を吟味するのは、非常に面白いことだ。
 海に出て野性感覚のスイッチが入り、
 今この瞬間の感覚に集中すればするほど、
 過去に漕いだ時の感覚的記憶がふとフラッシュバックする。

 まず宇和海を漕いでいて紀伊半島沿岸のことを思い出し、そして過去に漕いで紀伊半島沿岸に似ていると感じられたフィールドのことを思い出し、さらにそこと似ていたフィールドのことを思い出し・・・・、といった感じで次々に忘れていたフィーリングが胸の内にサーッと溢れ出て来るのだった。
 
 心のどこかに「体感的フィールド記憶貯蔵タンク」みたいなものがあったとして
 普段の日常ではすっかり忘却のかなたに行っちゃってるけれど、
 シーカヤックに乗ることによって海モードのスイッチをオンにすると、
 そのタンクが稼働し始めて、
 パンパンパーンと感覚的記憶がフラッシュバックしたりする。
 海は時空を飛ばした超伝導体みたいなものなのかもしれない。

 その中でも日本ならではの海流である黒潮というやつは、一筆描きであらゆるフィーリングをつないでゆく、マルチメディアのような存在に思える。
 
S_170

Fg_006

Fg_056

S_008
借りていた一軒家。ここを拠点に海、山、川に毎日繰り出してリサーチ。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北風の風裏。

2010-11-05 23:29:24 | インポート
G_011

 晩秋から初冬にかけて、大陸の方から数珠つなぎに高気圧がやってきて1週間とか連続で晴天&穏やかな海況が続くことがありますが、そんなある日は、しとしとと海面に雨粒模様を描く梅雨初期の穏やかな日と同じく、1年のうちでも「意外な」ベストのシーカヤック日和だと言えましょう。

 北風が弱くそよぐそんな日は、
 その風裏となるようなフィールドを選ぶのがベスト。

 ちょうど太陽の軌道が南の空を通ることになるこの季節に北風の風裏を漕ぐと、穏やかな凪の海面、やわらかな太陽光線とそいつに照らしだされる海岸線、そして海岸線美を一層鮮やかに映し出す青く高い空、・・・という絶妙な海景の中を心地よくツーリングすることができる。

 特に午後3時頃から日没までの太陽の入射角度が絶妙だ。
 太陽光線になんとなく、異次元感というか桃源郷感が加わる。
 たとえば下の写真群、湯浅湾北海岸の「やびつ海岸」の風情。

G_016

G_017

G_028

S_045

S_052

Sa_087


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やびつ海岸キャンプツアー延期

2010-11-01 23:01:16 | インポート
G_031

 先日10月30日(土)~31日(日)に予定していました、「内田正洋氏と行くやびつ海岸キャンプツアー」は、台風14号接近のため早々と中止し、11月27日(土)~28日(日)に延期となりました。

 (写真は、その数日前に行ったやびつ海岸へのワンデイツアーのもの。この浜は非常にキャンプによい浜。)

 この台風、結局はかなりそれてあんまり影響なかったですが、中止・延期になって残念だったというよりも、直撃かもって言ってたところが見事に逸れてくれて何も被害なくありがたかった、という気持ちの方を大切にしたいですね。「せっかく休暇を取ったところだったし、台風もそれて、ほんとはできたんじゃないか、あーもったいなかった~」とついつい思っちゃうところですが、安全性を熟考した上で「こうする」と判断を下したならばそれに対してイチイチ悔いたりしない、というのがシーカヤックの鉄則でもあります。

 楽しみはまたの持ち越しということで、ご予約を再度受け付けているところですので、参加したかったけれど前回の日程では無理だった、というような人はぜひお越しください。

 なお、今後の通常のツアー以外でのカヤックトリップツアーの日程は下記のとおりとなります。(それ以外の日程は通常の湯浅湾ツアーとなります)

11月21日(日) 徳島・ひわさツアー
http://homepage3.nifty.com/creole/hiwasatour.htm

11月23日(火・祝日) 名張・青蓮寺湖紅葉ツアー
http://homepage3.nifty.com/creole/shourennji.htm

11月27日(土)~11月28日(日) 内田正洋氏といく、やびつ海岸キャンプツアー
http://homepage3.nifty.com/creole/oct3031tour.html

12月4日(土)近江八幡水郷ツアー
http://homepage3.nifty.com/creole/suigoutour.htm


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アートスポーツ

2010-11-01 12:51:52 | インポート
G_034

 前回の記事の続きでお話しいたしますが、少子超高齢化社会にまっしぐらで閉塞感、保守性の強い今の時代という意味においても、やはり③の要素がより大切だと思いますね。いわゆるスピリチュアル系とかオカルト、宗教じみたものとは違う精神的なもの、イマジネーション、感性ワールドの豊かさって、まだまだ全然未開の暗黒大陸だと思いますし、まさにフロンティアだと思いますね。

 スポーツという観点でも
 「海と内奥でつながった己の生命の躍動感覚から、ひとつの世界観を探究するアートスポーツ」
 なんてのはないですしね。

 スポーツと言えば、以前、柔道をやっているロシアのプーチン首相が
 「柔道は単なるスポーツではない、哲学である」
 と言っていましたが、
 その言い草、よくわかるし、いいなと思ったことがあります。

 言うまでもなくスポーツほどフィジカルなものはないけれど、
 同時に精神的なものもないわけです。
 だけどこれまでのスポーツでは
 「体育」と「競技」の面が強く押し出されてきはしたけれど、
 一方「精神的な豊かさ」という側面は、それほど追求されてこなかった。
 あるいは、精神と言うと=精神論=非科学的な根性主義、みたいな、
 なんというか元阪神タイガースの川藤幸三の野球解説みたいなノリが、
 まっさきにイメージされる空気がある。
 (川藤は味があって好きだけどね)
 要するに追求されてこなかったから、イメージの幅も狭いわけです。

 だからその、プーチンみたいな言い方が、
 ピンと来たわけでした。

 その言い回しでいけば、ぼくに言わせれば、
 「シーカヤックは単なるアウトドアアスポーツではない、アートである」
 となりますね。
 ・・・・と言うと、シーカヤックで人の入って来れない海岸線まで行って流木を拾ってきて流木アートを作る」とかそういう連想になるかもしれませんが、もちろんそれも素敵ですがここではそういうことを言っているのではなくて、「海に対してよく調弦された楽器のように敏感な乗り物・シーカヤック」に乗って海をハートの内奥から捉えたところで押し広げてゆく、世界観のことです。
 イマジネーションの豊かさ、自由な広がりのことです。
 シーカヤックを始めてから色々旅したりしてきたけれど、
 やればやるほど、続けば続けるほど 
 そこに、ひとつのフロンティアが広がってると、つくづく感じますね。
 
 「昭和はよかった」「バブルの頃は楽しかった」「高度成長期の頃は目標があって日本全体が生き生きしていた」というような言説がよく聞かれ、そこを駆け抜け年功序列で退職金、年金も潤沢にもらえて逃げ切れる世代に対してうらやましいとか、うらめしいとか、若い世代は損だとかいう言い方もメディアなどでよく目にする昨今ですが、そういうのもある意味よくわからない言説ですね(ゼニの面ではほんとにそうだけれども)。
 スポーツのアート的側面が全く言及されなかった時代に対して、
 社会の敷くレールからちょっとでも外れると
 つまはじきにされたような時代に対して、
 そもそもシーカヤックがなかった時代に対して、
 何がうらやましいのだろうか? よくわからないところです。

 一方、年輩の方が、もっと早くシーカヤックに気づいていればよかった、とか、
 もっと自分の若いころにこういうのがあればよかったな、とか
 うらやましい~、とかおっしゃっていただくことがありますが、
 それならば、非常によくわかります。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする