プリミティヴクール

シーカヤック海洋冒険家で、アイランドストリーム代表である、平田 毅(ひらた つよし)のブログ。海、自然、旅の話満載。

春~初夏の海の注意事項

2013-04-23 09:23:45 | インポート
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 春のいいシーカヤックシーズンに入ってきましたが、
 ゴールデンウィーク周辺っていうのは結構風が出る時期でもあるんですよね。
 シーカヤックも、海のレジャーとして定着してきた昨今、
 あちこちで色んな事故や、
 大事には至らなかったけれど「危なかったな」という事象をよく聞きます。
 特にここ最近、よく耳に入ってきます。

 明日は我が身という可能性も絶対にないとは言い切れない訳で、
 あまり人のことをとやかく言うべきではないのですが、
 だからそこ一言。
 「海のことをよく知った上で、海に出ようぜ」
 あるいは、
 「海のことをよく知ってるガイドのツアーに参加しようぜ」

 特に、個人で海に出られる方に、
 ぼくがこの時期留意している事柄を書いたエッセイを
 リンクしておきます。
 もちろんこれが全てというわけでもありませんが、
 シーカヤックを漕ぐ時、まずふまえておかなければならないことを
 実践的な立場から書いております。
 どうぞご参考までに。
 http://homepage3.nifty.com/creole/spring.htm

 くれぐれも皆さんお気をつけ、
 楽しんでください。


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ワン・ラヴ・アフリカ・ザンジバル

2013-04-17 19:54:54 | タンザニア・ザンジバル島カヤックトリップ
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 アフリカン・サンセット。

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 こういう名もない漁師が簡素なカヌーに乗る姿が特に印象に残ったこの旅だった。次はこういう人たちの生活するローカルエリアをテント&居候で旅してみたい。

  ※タンザニア・ザンジバル島カヤックトリップの続き記事。当カテゴリの下から順に読んでいくと話の流れが分かりやすいです。

 さてさて、最後にダーッと立て続けに旅記事をアップしてきましたが、今回のこの記事でひとまず最終回にしたいと思います。まあこの旅はかなり・・・、というか年々ぼくの旅も言いたい事が山積みになる傾向があるのですが、とりあえずはこれくらいにしておきたいと思います。ま、後々雑記的に記載するかもしれませんが連載はこれでいったん打ち切っておきます。アイランドストリームのツアーの話やスケジュールやら色んな書かなきゃいけないことも迫っていますからね。

 えー、ザンジバル旅の最後にSauti za Busara(スワヒリ語で音の叡智という意味)という名のアフリカ音楽のフェスがあって三日間踊りまくりだったのですが、これがまたカヤックトリップをぐっと彩るスパイスとなりました。セネガル、マリ、ケニア、タンザニア、南アフリカ、カメルーン、ナイジェリアといったアフリカ音楽でよく知られた国はもちろん、ブルキナ・ファソやマダガスカル、レ・ユニオン、ジンバブエといった国のミュージシャンもすごく個性的な演奏を繰り広げていて、盛り上がりました。

 なお、観客はアフリカ系黒人とその他海外からの旅行者の、半々か旅行者がちょい多いくらいの割合で、野外会場は人種のるつぼとなっていました。旅行者はヨーロッパ系が多かったですが、中国人、韓国人、日本人といった東洋系も結構いました。ロシア系の顔立ちの人たちも多かったです。白人、黒人、東洋人、ラテン系、アラブ系などなど、様々な人種がケンカもなく分け隔てもなく楽しそうに踊り、盛り上がる姿を見て、やはりこれだなと思いました。
 
 カヤックにて海上に出て感じ続けたインド洋からの風。
 この風がインドやアラブの商人と現地人の交易をもたらし、
 スワヒリ語圏の文化を形成を促した。
 その中継地点として栄えた風の中の島・ザンジバルとは、
 ミックスカルチャーの象徴。

 そしてそこで今日も形成される人種のるつぼ状態に
 我が身を置く事によって、
 未来的な風を感じたというわけです。

 吹き抜けていく風の未来・・・。

 今現在、世界には国境の壁が厳然としてありますが、20年とか30年とか後ではなく、300年とか500年とか1000年とかの時間スケールで物事を見た場合、ひとつ言える事は、やがて国境がなくなっていくことだけは間違いないということです。それは右翼も左翼もなく、好むと好まざるとに関わらず、そうなっていくことでしょう。

 国境なんて初めはなかったわけで、
 とことん長い目で見れば、またいずれなくなります。

 ということは、現在もすでにそういう流れになっているかもしれないと考えることもできましょう。なぜなら、現在というのは未来につながっていて影響を与えているものだからです。二十一世紀に入ってからのグローバリズムとはその流れの証かもしれないし、その反動としてのナショナリズムや民族主義は川の本流に対するエディ、つまり反流や逆流みたいなものかもしれないと考える事もできます。本流の流れはまだゆっくりかもしれないし、意外と速いのかもしれないですが、本流はやがて反流や逆流をも巻き込み、国境なき世界という海に向かって流れゆくことでしょう。

 浮世離れした長大な時間スケールで物事を捉えるというのも、
 海という大いなるスケールの世界をゆく、
 シーカヤッキングの神髄的な感性かと思います。
 だって、目の前の洞窟ひとつとっても数億年単位の
 時間スケールでできたものなわけで、そんなものに毎日のように接していると
 日常のスケールとはまた別の感性ってやつも芽生えてくるというものです。

 ヨーロッパではボスニア・ヘルツェコビナの悲劇、
 アフリカではルワンダやコンゴの悲劇等が、
 反動として起こりましたが、そんな民族紛争もいずれ、
 千年万年単位で考えると消えてゆくものとなるでしょう。

 現在、グローヴァリズムというと、
 アメリカのような強国が圧をかけて各国の規制を緩めさせズカズカ入っていって
 権利を奪い乗っ取ってゆくものと考えられがちで、実際そういう側面も
 あるのですが、ほんとの本流はそれともまた違うと思います。

 自然の理で考えると結局、国境線や人種の違いなんて
 誰かの都合で勝手にでっちあげた架空の取り決めにすぎなくて、
 文明なんてものも数百年とか千年くらいの単位でやがて廃れるもの。
 行く川の流れは絶えずして、のことわざがあるように、
 全ての物事は長い年月のスケールをかけて、
 やがて自然の理の方に向かっていくと思います。

 国境など、間違いなくなくなってゆくことでしょう。

 で、ぼくは今回、ザンジバルを旅した最後に、
 国籍の分け隔てなくケンカもなくみんなで一緒に踊ることによって感じた、
 このピースフルなフィーリングこそが、現在社会では伏流水のように隠れてはいるけれど、
 本当の自然の理であり、本流の正体なんじゃないかなと思った次第なのでした。
 
 島と流動とミックスカルチャー。
 フリーダム・スピリットを探求する、カヤックトリップの真骨頂。
 
 というわけで、よい旅ができ、またゴールデンウィークまでに何とか
 旅の報告を終わらせる事ができました。
 読んでくださった方に、感謝いたします。
 またよろしければ感想等も送っていただければ幸いです。
 sunnyrain@nifty.com まで

 それではまた、皆さんと海でお会いできる日を楽しみにしております。
 
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 ピース・ヘアカッティングという散髪屋があった。ペンバ島にて。これと同じ髪型にしてくれとかましながら入ってゆくと、店内でだべっている4、5人くらいのオッサンに大笑いされました。ボブ・マーリーは今でもアフリカで絶大なる人気を誇っていて、その平和主義の精神は人々の胸の中で生きている。アフリカは悲劇がとことん繰り返されてきた血と涙の地だが、だからこそみんなpeaceを求める気持ちが強いんだと思う。特に庶民の間ではね。(アフリカのエリート高官や政治家など権力者はとことん腐敗していて、クレイジーな脳みそになっている方々が実に多い)

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 違う国籍、違う民族の人たちが踊る空間というのは実に気持ちがいいものでもある。お互いの差異を気にせず、You are OKという考え方がどこかになければ成り立たない空気感でもあり、その寛容の精神が心に余裕をもたらしてくれるからだろう。画一主義の苦手なぼくは特にそいつを愛す。

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 未来の風の象徴である子供たち。

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 美しかったザンジバルの海。
 I love you ザンジバル島。
 God bless you ザンジバルの人々。
 インド洋から吹きつけ、
 アフリカ大陸に抜けてゆく、風の島。
 さよなら、いつかまた会おう。


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Sauti za busara 音の叡智

2013-04-17 16:35:45 | タンザニア・ザンジバル島カヤックトリップ
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 ※タンザニア・ザンジバル島カヤックトリップの続き記事。当カテゴリの下から順に読んでいくと話の流れが分かりやすいです。
 
 そうして北島であるペンバ島での充実したカヤッキングの日々を過ごし、再び南島でありウングジャ島に戻ってきました。ザンジバル旅の最後に、3日間に渡るアフリカ音楽のフェスを堪能するためです。3日間、夕方5時から深夜2時頃まで、アフリカ全土からやってきた20数アーティストのライヴが繰り広げられたわけですが、ぼくは全アーティスト、全て通して観ました。地元のタンザニア人や世界中から来た老若男女と一緒に踊りまくりました。
 さすがに疲れまくりましたけれど、
 リズムの余韻が帰国後のいまだ、残っています。

 アフリカの海のリズムを感じた後、
 アフリカ音楽のリズムを体感すること。
 ザンジバルに来てよかったと、心底思いました。

 前もどこかで書いたと思いますが、ぼくは前々から密かにアフリカ文化への関心を持っていて、特に音楽と絵画に興味を抱いていました。森羅万象の生命的躍動感を尊ぶアフリカ文化の最大の特徴は、その「リズム」と「色彩感覚」にあるとぼくは思っていますが、その特徴が一番出ているのが音楽と絵画(彫刻なども含む)だからです。(前にそのことに触れた文章はこちらをご参照ください)

 そしてシーカヤッキングでも、ぼくは感性の世界において、リズムと色彩感覚を大切に考えています。特に海の波うねりってリズムそのものなわけで、それを一日中全身で感じることを毎日繰り返していると、身体の芯に海のリズムが貫かれたような感覚になってきます。で、そんな時音楽を聴くと、まるで海が音楽のようだというか音楽が海と化すというのか、自分と海とが完全に繋がったように思える瞬間が、よくあります。両者の共通項がリズムなのですね。そして自然界に展開される、ありとあらゆる色彩感覚。町の中のきらびやかさの方が一見、カラフルに見えますが、その実、自然のフィールドの中の方が遥かに多種多彩な色彩に溢れています。特に太陽光線がまばゆい海上では、色彩をよりヴィヴィドに感じます。

 リズムと色彩感覚を大切にすると、シーカヤッキングはより豊かになってきます。
 その意味で、シーカヤックとは、
 スポーツであると同時に体感アートでもあると言えるかもしれません。

 というわけで、突き詰めていけば行くほど、リズムや色彩感覚を表現したアフリカ文化にすごく惹かれるものがあるのです。きっと、リズムと色彩というのは聴覚と視覚とで分離して捉えられるものではなく、リズムを感じると色彩感が広がり、色彩を感じるとリズムが踊りだすというような、共感覚関係にあるものだと思いますね。

 アフリカ音楽はやはりCDを聴くよりも、目の前でライヴ演奏を鑑賞するのが最高でした。多分、アフリカ音楽はそれほどマーケットがデカくないので、録音技術とかそういうところにまで神経が行っていないようです。せっかくのドラムの音がショボショボだったり、安っぽいシンセサイザーを入れて売れ線にしようとしていたり、CDではがっかりすることだらけですが、その点ライヴは最高でした。
 日本でもアフリカ音楽フェスやらないかなあ。

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 セネガル人男性シンガーとスウェーデン人女性シンガーのコラボ。この右のセネガル人男性が持っている楽器は「コラ」というアフリカの民族楽器。ちなみに左のスウェーデン人女性ものちほど「コラ」を演奏していました。どうやら夫婦のようです。

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 右の女性がたたいているのがバラフォンというアフリカの木琴。なお彼女はダンサーでもあり、この土偶のような胸の衣装が揺れ、とても絵になっていました。

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 彼はおっさんに見えるけれど、実はまだ24歳という若手シンガー。タンザニア人。

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 アフリカ人半分、外国人半分というオーディエンスの割合。外国人は世界中からの旅人で、主にヨーロッパ人が多いが、東洋人やロシア系カザフスタン人なども混じっていました。実に平和な光景。

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 アフリカではよく、ふくよかでかなり体格のよい女性の方がスリムな女性よりも美しいとされると聞きますが、アフリカに来てみてその感覚はよく分かる気がしました。生命を生み出す根源的エネルギー感に豊穣と美を見いだすというのか。男にはない、男が言う所のパワフルさとはまた別の力強さみたいなものをアフリカ女性全般に感じまして、特にお尻がグングンうねるダンスにそのエロス的エネルギー感が満ち満ちていました。多分この女性は、アフリカで最も美しいとされるタイプの人だと思います。特にアフリカンダンスは、実際痩せてる女性は絵にならない。これくらいの人が踊ると最も迫力があり、かつ美しいと思いました。

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「ターラブ」という、アラブのムード歌謡とアフリカンリズムをミックスした音楽を奏でる大御所「カルチャー・ミュージック・クラブ」の方々、ご当地ザンジバル出身。

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 これはこの3日間のベストアクトだった、ジンバブエのバンド「mokoomba(モクーンバ)」の面々の演奏。ジンバブエってムガベというクレイジーな男の長期独裁による圧政で政治経済はとんでもないことになっているが、くり広げられる演奏はパワフルかつ技術が高く、湧き出てくる音楽性は泉のように豊穣で、すげえなと思いました。それも全員が20代前半という驚異のバンドだった。

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 御大、セネガルのシェイク・ローが3日間のトリを務めた。横綱相撲のように格の違いを見せつける貫禄の演奏、存在感のオーラがはんぱなかった。


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ローカルの漁師エリアへの旅

2013-04-17 14:59:16 | タンザニア・ザンジバル島カヤックトリップ
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  ※タンザニア・ザンジバル島カヤックトリップの続き記事。当カテゴリの下から順に読んでいくと話の流れが分かりやすいです。

 前の「ペンバ島という世界の穴場フィールド」という記事にも書いた通り、カヤックトリップフィールドとしてのペンバ島は結構気に入り、またいつか訪れたいなと思う場所のひとつとなりました。特に今度は7月とか8月とかもうちょっと涼しい時期に(南半球なので気候が逆なんですね)今度はリジットカヤックにテントや調理用品等一式積んで一周したいと思いましたね。ちょうどウォーターフィールドさんのシメスタという艇で五分割艇が出るらしいけれど、ちょうどそんなしっかりしたカヤックで、宿ではなく、テント泊で回りたいなと思いました。アフリカでそんな海旅が出来るところなんて他にはなかなかないだろうし、ぜひまた行きたいですね。

 ペンバ島の周辺にさらに点在する小島にも結構人が住んでいて、ほんとのローカルな、昔ながらの海人の集落が形成されています。で、そこを訪ねながら漕ぎ回りたいと思っているわけです。

 今回の旅でも、ローカルの漁師には結構会いました。実に簡素なカヌーで、ガシラみたいな魚やイカを釣ったり突いたりする漁師が多かったです。イカなんかは日本でいうまさにアオリイカそのもので、日本と同じくエギで釣っていました。彼らの道具を見ていると、実にシンプルな手作り品なのですが、機能的に考えられていて、しかも消耗品ではなく長年大切に使い込んでいる。そのハンドメイド感の渋さ具合がいい感じに思えました。

 ある日、ウェテ沖に伸びる島周辺の、さらに干潮時に干しだす砂州で休憩していると、一番上の写真のようなカヌーに乗ったおっさんがこっちにやってきました。立ち漕ぎですね。と言ってもスタンダップパドルのようなスポーティな感じではなく、海の賢者が海の上を歩いてやってきたという感じに見えました。不思議に思えましたが、おっさんの方こそこっちを不思議な奴だと思ったようです。ぼくのフォールディングカヤックを興味津々で眺め、一通り撫で回した後、去っていきました。そんな感じで何人もぼくのところにやってきました。
 お互いの持っている物に対する、リスペクトを交わし合ったような感じでした。
 ぼくは彼らの手作り品の使い込まれ具合に感動しました。
 海の上を歩く賢者の道具って感じでした。

 思えば、漁師だけではなく全般的に、アフリカでは手作りのものに味わい深いものが多かったです。マーケットなんかに行っても、土産物用のピカピカの工芸品よりも、そこらのおばちゃんが普通に持っているような手編みのカゴのほうが遥かに欲しかったりします。飾るというよりも使い込むために作られた、シンプルなざっくり感あるハンドメイド品。そんなものの方がいい感じに見えたりするのはやはり現代文明が爛熟し一周し切った日本からやってきた奴だからこそのある種マニアックな視点かと思いますが、そこらの庶民、特に漁師が持っているような道具にはひときわの渋さ具合が光っていて、泣けてくる思いでした。
 彼らの生活の、慎ましやかな中にも受け継がれてきた手仕事の、創意工夫の歴史が、感じられたからです。

 で、そんな彼らのリアルな暮らしぶりを海から訪ねていって拝見しつつ、泊めてもらったり一緒に漁を手伝ったりしながら交流を深めてゆくカヤック旅できたらなあ、という思いにかられたというわけです。

 まあ、いつかこんな旅がしたいな、と現地に行ってみてそういう気分になるようなこともゴマンとありますが、実際はなかなかそういう旅を実現化するわけにもいかないものです。だけどそんな想像を繰り広げてゆくのもまた、カヤック旅のひとつであり、センスを磨いてゆくために無駄にはならないものです。そして今回こそは、ほんとに今一度ペンバ島を一周してみたいぜという思いに強くかられたのでした。
 
 I love you ペンバ島。
 God bless you ペンバ島の人々。
 アフリカの右横にちっちゃくある、
 インド洋の風が吹き抜ける、
 非常に美しい島。

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風をはらんで

2013-04-17 12:47:08 | タンザニア・ザンジバル島カヤックトリップ
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 ※タンザニア・ザンジバル島カヤックトリップの続き記事。当カテゴリの下から順に読んでいくと話の流れが分かりやすいです。 

 ザンジバル南島のウングジャ島はかなり観光で開かれていますが、北島のペンバ島はローカル色濃く、あまりツーリストは見当たりません。その分、ツーリスト同士出会うと、とても仲良くなれます。ぼくがあえてあんまり観光ズレしていない場所を好んで旅するのは別にマニアックとかそういうわけではなく、そんな理由もひとつにあります。

 着いた途端、ボロッちい安宿に投宿していた連中とすぐ仲良くなり、彼らとは帰国した今でも連絡を取り合っています。で、そういうノリは、観光ズレした場所ならばまず無理なんですね。朝飯のあとそれぞれ自分の活動に向かう、晩飯のあと一日の出来事の話や情報交換の会話に花が咲く、という日々を繰り返しました。わざわざこんな辺鄙な島に来るってのはやはりヒトクセあるような人たちで、サイクリストのイタリア人、格闘家のヒョードルにそっくりなロシア人のコメディアン、アフリカを何十年も旅しているけれどなぜか1987年に奈良の新大宮で一年間英語教師をしていたこともあるというオーストラリア人女性、ペンバ島ローカルのクローブ農家と契約しようと交渉中のデンマーク人のオーガニックファームのご一行、水道建設に来ているというイラン人ご夫妻、何やっているのか分からない人だけど暑い中ブーツを履いている超くそまじめそうなベルギー人・・・、だいたい外国人が集まるような宿やレストランは決まっていますので、すぐに知り合いになります。
 「あんた、今日も来たのか? 今日は何してすごしたんだい?」
 ってな具合。

 まあ、色んなくせ者の旅人が居る中で、やはりカヤックを背負って旅している人間っていうのは、並みいるくせ者の中でも、一目も二目も置かれるようです。みんなびっくりしますね。まあぼくもさらっと書いていますけれど、合計35キロもあるような荷物をかついでクソ暑いほこりっぽい滅茶苦茶なアフリカを旅するのはかなりの体力と気力が必要になってくるわけですが、そりゃあこの東洋人は何者なのだろうかって思われますよね、普通。
 ま、土地土地の自然の鼓動をソウルでディープにfeelするってのはぼくら日本人の文化の伝統に組み込まれているものなわけでもありますから自分の中では正統派の旅をしている感覚なんですが、みんなこっちのことをすごい異端児的な変人の、かつすごいスポーツマンだと思っているようでした。しかし、そういうリアクションも面白いものでもあり、いい旅をさせてもらってるなという実感がさらにありましたね。

 ペンバ島南部を漕ぎ回った後、今度は北部のウェテというところに移動し、そこの唯一の海辺の宿に投宿し、また漕ぎ回りました。ペンバ島には結局2週間ほどいましたが、かなりがんがん漕ぎ回りましたね。

 ウェテの宿にはフランス人のカップルが二組いて、なんでもソマリアの横のジブチに配属されている空軍兵士の夫婦たちのようで、その彼らがペンバ島など選んでわざわざ来るというそのシチュエーションが、なんかすげえなと思いました。で、その彼らがダウ船を貸し切って沖のとびきり美しい無人島である「ミザリ島」に行くというので、カヤックごと同乗させてもらうことにしました。それがこれらの海の写真のやつなんですが、無料で便乗させてもらったというのも、このカヤックなんぞというシロモノで旅していることの一目も二目も置かれる特権みたいなもので、ラッキーだなと思いました(というわけで、みんな、面白いからフォールディングカヤックでの旅しようぜ、もっと)。

 で、そのとき乗せてもらったダウ船こそが、東アフリカとアラビア、インド、中国との交易で活躍した時の帆船そのものなのですが(交易の場合もっとでかいやつが使用されてたわけですが)、いやあ、よかったですよ。特に風をはらんで帆が張るときの「バっ」という時のサウンドが、この文化を形成してきた貿易風ってやつの精というのか象徴みたいなものであり、その音を聞く瞬間ひときわの旅情をかき立てられましたね。
 「バ」っというそのサウンドだけで、様々な人たちが行き交い、悲喜こもごもが繰り返されてきた歴史の手触りのようなものが胸に去来して、胸がキューンとしていてもたってもいられなくなってしまいました。そしてどこまでも、世界の果てまでも旅したくなってしましました。
 「バ」っという帆が風を孕むその音だけで。

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 ダウ船でカヤックごと連れて行ってもらった沖の無人島ミザリ島は美しいペンバ島の海の中でも特に美しかった。

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 もちろんミザリ島もカヤックで一周した。一周一時間半ほどでした。途中でシュノーケリングもしつつ。

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 ダウ船は帆をたたむとこんな感じ。やはり帆を張ってこそ雰囲気が出る。

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 沖の無人島であるミザリ島まではダウ船で片道2時間くらいで、その間たくさんの小島に出くわす。中でも幽霊が出ると言って地元民が近づかないという島の話などが面白かった。まじでみんな怖がっているようだ。イスラム教文化圏では幽霊等という存在はこの世にもあの世にもいないことになっているが、アフリカや東南アジアのイスラム教徒は絶対唯一神であるアラーを信じつつ、霊の存在や魔術なども信じている。つまり矛盾した2つの考え方を内包している文化なわけで、寛容性なのかなんなのか、そこのところも面白い。

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一日1200ドルと一ドル

2013-04-17 11:04:11 | タンザニア・ザンジバル島カヤックトリップ
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 ※タンザニア・ザンジバル島カヤックトリップの続き記事。当カテゴリの下から順に読んでいくと話の流れが分かりやすいです。 

 さてさて、前々回の記事で、ペンバ島にて高級リゾートでカヤックのツアーガイドをしてみないかと勧められたという話ですが、まずはペンバ島でカヤック三昧の日々を繰り広げたあと、とりあえずは行ってみる事にしました。といっても陸路で行くのは面倒そうなので、カヤックを漕いで海からたずねてみました。

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 フンドゥ村の、村そのものを買い取ってハイダウェイ的に開かれたリゾートは、確かに超高級感が出ていました。プールとかレストランはもちろん、レセプションの調度品からゴミ箱に至るまで微に入り細にわたってこだわりの品で統一されていました。(ウェブサイトはこちら http://www.fundulagoon.com

 「ようこそ」と笑顔で現れた支配人は、アイルランド系の年齢不詳の小柄な女性でした。正直この人がこのリゾートの支配人だとは思えないというか、そういう地位の人独特の威圧感のようなものが全くない華奢な女性でしたが、なんとなく普通の人にはない、優雅さみたいなものを漂わせた人でした。しばらく雑談し、「まあぼくは自分自身をフリーに解き放った状態にして旅していまして、そのある意味行き当たりばったり感の結果、今ここに来ておるわけですが、さらにフリー状態を楽しむ行き当たりばったりの旅を続けていきたいと思いますので、ちょっとガイドするのはお断りさせていただきたく存じます。ガイドするとなるとやはり仕事モードの脳みそに切り替えないといけないので申し訳ありません」と詫びとお断りを入れました。すると彼女は「了解了解、気にしないでください。よく海から訪ねてきたくださいましたね。まあしばらくゆっくりしていってください」と言ってくださり、ランチをごちそうになりました。まあ日本人じゃないので、「ノー」と言っても別に気にしなくてもよく、変に気を遣う必要もなく、その点やりやすかったですね。

 それにしてもカルパッチョ風シーフードサラダのランチ、
 すごくおいしかったです。

 その後リゾートをあれこれ案内していただきました。
 一泊¥1200ドルだか2000ドルだかの部屋、
 すごかったですね。

 そうして再びカヤックを漕ぎ出すと、
 途中で海遊びしている地元のガキどもに取っ捕まっちゃいました。
 で、ちょっと漕ぎ方を教えるとあとはワイワイ我先にと、
 あっというまに乗っ取られてしまいました。

 さっきまでの高級リゾートと、
 フルチンで遊ぶローカルのガキども。
 一泊1200ドルだか2000ドルだかに対して、
 一日1ドル以下で生活するような連中でもあります。

 これが世界ってやつなんだなあ、と色々考えながらも、
 フリーに解き放った状態の自分のマインドは、
 高級リゾートのお客様にカヤックを教えるよりも
 こっちの連中と一緒に海遊びする方が、
 性に合ってるのかもしれないな、と思えました。

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 3人乗ろうが、後ろと前が逆だろうが関係ない、というところが面白い。

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 パドルが逆だというのも関係なく、自分で勝手に遊ぶガキども。まあこういう連中にたとえば野球を教えたりすると、バット逆さまでホームランを打ったりするんでしょうね。あっというまにガンガン漕ぎまくっていました。

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 マングローブだらけのゾーンに迷うと、ふと彼らの集落が出てきて取っ捕まりました。

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 気のいい、ノリのいい子供たち。ペンバ島はみんな貧しく、一日1ドル以下で暮らしているような人たちも多いが、バナナやパンノキなど食料は自生しているし、みんな助け合って暮らしているので、スラムのような殺伐とした雰囲気はない。イスラム教の影響もあるだろう、慎ましやかに暮らす事を是とする穏やかな人々の島でもある。まあだいたい、世界どこでも、離島で暮らす人ってのはそんな感じで、彼らのような子供たちが大きくなって島を出て大都会に出て仕事にあぶれるようになると、不良になってしまう。世界に悪名高いナイロビやダルエスサラームや南アフリカのヨハネスブルグの治安の悪い地域なんかも結局、そういう連中が集まり「リアル北斗の拳」状態と化してしまうわけですが、そんな連中も元々はこんな感じの、気のいい、ノリのいいガキどもだったわけで、やはり複雑な気分になってしまいますね。貧困とは何ぞや。ああアフリカよ。

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 なかなかコミカルで愛しいガキどもだった。しかし、これを見て、これまでアフリカの彫刻とかああいうのは抽象を表現しているのかなと思っていましたが、こいつらのこんな姿を見ると具象そのものなのかもしれないなと思って、笑ってしましました。


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ペンバ島という世界の穴場フィールド

2013-04-17 09:20:41 | タンザニア・ザンジバル島カヤックトリップ
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 ※タンザニア・ザンジバル島カヤックトリップの続き記事。当カテゴリの下から順に読んでいくと話の流れが分かりやすいです。 

 ザンジバル南島のウングジャ島から北島のペンバ島へ渡り、ここでカヤックを漕ぎまくるモードの日々が始まりました。南島はカルチャーが、北島は自然が面白いのが、ザンジバルって所だったなと改めて思います。

 一番上のグーグルアースの画像をクリック拡大すると分かるかと思いますが、ペンバ島はすごく複雑な地形の島で、深い入り江があったり、変わった形の半島が突き出ていたり、さらに小さな小島群が形成されていました。
 さらに
 ☆ツーリストはほとんどこないローカルエリア。
 ☆治安がよく、人々は温厚で親切。
 ☆以前猛威を振るっていたマラリア蚊が駆除された。
 ☆危ない猛獣もいない。
 ☆島のサイズが淡路島とか佐渡島くらいで大きすぎず、身ひとつで体感し概観を捉えるのにちょうどよいスケールだった。
 という場所でしたので、ディープにカヤッキングを楽しむのにふさわしい島でした。

 まあぼくは、カヤック旅人として世界中こういう場所を探し求めていると言えるかもしれませんね。

 ペンバ島への移動はフェリーを使用しましたがこれがまたよく沈むという悪評高い船で、ここ2、3年の間に2度ほど沈み、しかも2度とも数百人の犠牲者を出しているようです。クリスマスとか新年の帰省の時期など、超オーバーブッキングで運行したときなどに、ちょっとした嵐で転覆しちゃうようです。アフリカやインドネシアの離島などではよくその手の話を聞きますが、基本的に途上国では人間の命の価値や値段がおそろしいほど安いという共通項があります。ぼくらがニュースで聞かないのは、邦人の犠牲者がいないからだけの理由です。
 ここのフェリーをよく見ると、日本のお下がりのようで、日本語で昭和28年と書かれていました。
 まあ、船は古いだけで悪いものではないんだろうけれど、乗せ過ぎちゃうんでしょうねどうしても。

 そこんところを怖がりすぎるとディープなカヤックトリップはできないわけで、実際人が多すぎる時期と悪天候時さえ外すとほぼ何も問題ないので、その辺はカンを働かせて旅をすることになります。国際キャッシュカードが使えるATMなどないし、まともな病院すらない島であることも、気をつける必要のある点でしたね。

 ペンバ島に着いてまず、空気感がアジアっぽいなと感じました。
 緑が豊富で、かつ田んぼなんかもある。
 そしてどこからともなく、イスラム教のお祈りであるアザーンの独唱が聞こえてくるところからも、非常にアジアを感じました。

 というと意外に思えるかもしれないですが、案外盲点になっているけれど、アジアで一番多いのは仏教徒でもヒンドゥー教徒でもキリスト教徒でもなく、イスラム教徒なんですよね。だいたい10億人くらいいます。カヤックで旅していても、インドネシアのロンボク島やタイ南部なんかでは、マングローブ樹林を縫い漕ぎ進みながらアザーンを聞くことがしょっちゅうで、東南アジアのひとつの原風景のようになっています。ちなみにアラビア半島も実はアジアで(サッカーのワールドカップの予選区分なんかもそう)、中東の人々は自分自身がアジア人だという自覚を持っている事が現地に行くと感じられます。ということで、バリ島やジャワ島のような緑溢れる熱帯のペンバ島に身を置き、イスラム色の濃い雰囲気を感じる事によって、アジアとの繋がり感というか続き感がとても身近に感じられました。
 東アフリカ文化って、結構アジアっぽいんですが、
 ペンバ島に着いてすぐ、そのエッセンスのようなものを感じることができたわけです。
 イスラム文化独特の空気感を介して。

 まずは「ムコアニ」という港のある村の海辺のボロッちいゲストハウスに宿泊し、そのそばの浜から出艇してカヤックを漕ぎ、探索しまくりました。フィールドとして、上記したように地形が複雑で面白かったですが、いかんせん干満の差が激しく、地図上で完全に海であるところが干潮時に行くと完全に干上がった広大な泥濘地帯になっていたりして、干満をうまく読んでいかないとどえらい事になることに気づきました。逆にうまく潮を読むと潮に乗っていいスピードで漕げますし、またかなりの沖合に干潮時しか顔を出さない小島を独り占めできたりして、相当楽しめました。特にそういう小島の周りの浅瀬には、普通絶対誰もこないすごいサンゴの群生があったりして、ワンダフルなのですね。その辺の感覚を意識しながらまずはペンバ島の南海岸を巡りました。

 複雑なマングローブ樹林、
 有人無人のたくさんの小島群、
 干潮時に干しだすさらに極小の島々、
 南の島特有の美しい砂浜、
 すれ違うローカルの漁師の帆走カヌー、

 すごくいいカヤックフィールドでした。
 世界にはこんな、誰も目をつけない穴場がいっぱいあるんだよね。

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 嫌になるほどのマングローブ樹林が続くのも、南の島のフィールドの典型のひとつ。一見何の意味もないように見えるけれど、海の生物の揺りかごであり、天然の防波堤でもある、守っていくべき大切な存在だ。

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 ところどころ美しい砂浜が出てくる。

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 セイリングカヌーは、アジアとアフリカを結んできた、大昔からの海洋文化の流れの結晶だ。何気ない日常として完全にとけ込んでいる姿がいい。「交易と歴史」って感じだよな。

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 離れ小島にも各々人々が住んでいて、小舟を足にして町や市場にいく日常。

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 マングローブと砂浜という、南の島特有の取り合わせ。そのものうげな午後のフィーリングがなんか「地球」って感じで、これもひとつのプラネット感覚って感じで胸がキューンとなる。

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 このヤシと緑と田んぼの感じがジャワやバリッぽいんですよね。ここにアザーンの独唱が流れるともう完全にディープな東南アジアですね。


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ザンジバルの日本人女性

2013-04-12 08:10:06 | タンザニア・ザンジバル島カヤックトリップ
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 ※タンザニア・ザンジバル島カヤックトリップの続き記事。当カテゴリの下から順に読んでいくと話の流れが分かりやすいです。

 旅の記事、ダーッとアップしますと言っておきながら、遅れてごめんなさい。ツアーベース基地の改造やなにやら超バタバタしていてちょっとブログどころじゃありませんでした。

 えーっと、タンザニア・ザンジバル島南東部のパジェの話からですが、ここを訪れたのは東アフリカ文化を形成したインド洋からの風を、カヤックというよく調弦された楽器のように敏感な乗り物で、心の奥底からダイレクトに感じるためというのもそうですが、ここには「パラダイス・ビーチ・バンガロー」といって、三浦砂織さんという日本人女性が20年前にたった一人で切り開いた宿があり、興味深いのでちょっと色々とうかがってみたいからという理由もありました。

 北海道出身の三浦さんは若い頃、和歌山でFMラジオのパーソナリティーをしていたこともあるそうで、タンザニアくんだりまで来ながらも湯浅とか和歌浦とか色々ローカルな地名が出てきて面白かったです。最初バックパッカーとしてアフリカを旅するしょっぱな、たまたまここザンジバルを訪れ、すごく気に入ったのでそのまま居着くことになったそうです。

 最初はたった一人で始められた宿ですが、現在は現地人のスタッフ20数名がいる、なかなか立派な、居心地のよいビーチリゾートです。スタッフも親切で、料理もおいしい、何日でも滞在したくなる空間でした。
 しかし、まず普通疑問に思うのは、なぜザンジバルだったのかというところです。日本から遥か遠く離れた縁もゆかりもない土地。それも20年前というとかなりマイナーな場所だったはずです。

 「たまたま訪れたこのパジェの海から海岸線を見た時に、ヤシの木が揺れ、鳥たちが鳴き、潮騒に包まれながら潮風が頬を撫でる・・・、ここに立っているだけで、なにか、お帰りなさいって言われているような気がしたのよ」

 色んな話を聞かせていただきましたが、このセリフが特に印象に残っています。同じような海岸線は世界にたくさんあるだろうと言ってしまうとそれまでですが、きっと三浦さんにしかわからない何か感じるものがあるのだろうと思います。その人独自にしか分からないものって誰だって持っていると思いますが、それをこだわって物事を切り開いていく意志を持った人は少ないものですよね。

 「おかえりなさい」というフレーズが、ほんとに印象的です。
 ビビビーンと来た、というより、
 じっくり心の奥底に染み渡ってきた、って感じですかね。

 と言っても、最初は別にずーっとこれをやり続けようと思っていたわけではなくて、またいつでも違う場所で違う事を始めたらいいわ、とでも思いながら気がつけば20年がたっていたそうです。気がつけば、と言ってもその間18回もマラリアにかかったり、意地悪な人に嫌がらせされたり、大変な目にも数々あってきたようで、やはりご自身の中で何か強く感じられるところのある土地なんだろうなと思いましたね。

 しかし、アフリカってとんでもないところで、誰かが何か商売を始めると、よからぬ有象無象がよってきたり、銀行口座の数百万ドルがどこかに消えていたり、ここパジェでもドイツ人の宿の経営者が宿そのものを乗っ取られたり、と様々なえげつない話もあちこちでさんざ聞きました。だからこそ余計に、たった一人の日本人女性の立場で、着実にバンガローを発展させてきた三浦さんのバイタリティー、根気、パワー、すごいな、見習いたいなと感服した次第でした。

 「やめよう、やめようと何度も思ったけれど
 やり続けてきてほんとによかったと思うわ」
 とおっしゃる際の笑顔が最高でした。
 やっぱ、苦しい事もたくさんあるけど、
 やり続けないとね、何でも。

 三浦さんのバンガローで宿泊させていただき、フォールディングカヤックを組み立てていると三浦さんは興味津々かつすごく軽いノリで、「わたしもやりたーい」という話になり、ぼくのカヤックはあっという間に乗っ取られてしまいました。面白い。このノリが見知らぬ異国の地で切り開いてゆく原動力になっているのかなと思ったりしました。

 カヤックの操作方法を教えるとすぐに三浦さんは海に出て行かれます。毎朝早朝から漕ぎ方やその他色々質問されるのでお答えしたりしていると、そのうちに他の宿泊客の方々もカヤックに興味を持ち始め、さしずめぼくはカヤックを教えにやってきたインストラクターみたいになってしましました。

 で、それを見ていたある人物が、「ペンバ島に行くならばFundu ragoon resortという高級リゾートがあるから、そこで宿泊客にカヤックのガイドをしてみないか? 給料は出ないかもしれないけれど一泊500ドル以上する部屋に泊まって美味しい料理を食べさせてもらうこともできる。ちょっと話をしといてやるよ」と言って、携帯電話で誰かと話をし始めました。(そのリゾートのウェブサイトはこちら http://www.fundulagoon.com

 その人物とは、ニューヨーク出身のエマーソンさんといって、ストーンタウンで「Emarson spice」という高級ホテルを経営している人でした。ザンジバルの重鎮的存在であり、ぼくのこの旅の目的のひとつである「sauti za buzara」というアフリカ音楽のフェスの創始者の一人でもあるようでした。
 ワオー。
 その氏が数日前にストーンタウンのローカル市場でフレッシュジュースを飲んであたって肝炎にかかり、療養がてら三浦さんのバンガローでゆっくりされていたようです。彼が言うにはどうやら、ぼくが無料でみんなにカヤックを教えていることに感銘を受けているようでした。アフリカでは、そんなことはありえないだろう、と。
 
 うーむ、ぼくとしては別になんてことでもなく、日本人の感覚からするなら逆に旅先でちょこっとカヤックの漕ぎ方を教えるくらいでお金をもらうなんてありえないわけで、大げさだなあと思っていましたが、すごく親切にしていただいているので、ありがたくお話を傾聴する事にしました。エマーソンさんの肝炎もだいぶ快方に向かっているらしく、ご気分もよいようでした。

 ぼくは、どうしようかなあ、自由に歩き、漕ぎ巡る事によって日常の中で眠りこけているフリースピリットが芽生えてくるという旅に興じているところに義務が生じるのもなあ、という感じでしたが、せっかく言ってくれていることですし、アフリカの五本の指に入ると言われる高級リゾート、いったいどんなリゾートなのか見てみたい気もしました(カヤックガイドするって実は、海況とお客様双方に神経を使わなきゃならないので、かなり意識を高めないとできないんですね。ってことで甘いもんじゃねえんだぜ若者たちよ)。

 結局、ペンバ島に行ってみてから決めることにしました。
 これがフリー即興演奏的な旅のスタイル。 

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風を感じるということ

2013-04-05 12:03:55 | タンザニア・ザンジバル島カヤックトリップ
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 ※タンザニア・ザンジバル島カヤックトリップの続き記事。当カテゴリの下から順に読んでいくと話の流れが分かりやすいです。

 ザンジバル島に着いて数日間、ストーンタウンに滞在した後、島の南東部にある「パジェ」というところまで行き、そこで3、4日間カヤックを漕ぎまくりました。カヤッカーとして、地形的にはそれほどソソル場所というわけでもないんですが、すごく居心地がよくて気に入りました。
 だけど、胸がキューンとしてたまらなくなってしまう地でもありました。
 何と言っても、ここは風の通り方が非常に特徴的な場所だからです。

 世界の七つの海のひとつ、
 インド洋の遥か彼方から吹き渡ってくる風。
 北東貿易風がダイレクトに吹き付け、
 そしてアフリカ大陸に吹き抜けてゆく地。
 
 冒険するというより、探索するというより、
 漕ぐというより、ただただ海上にカヤックで揺られ、
 東アフリカの風を感じるという数日間を送りました。

 ・・・と書きますと、ふーん、それがどうしたって感じかもしれませんが、この「土地特有の風をじっくり感じる」ということは、ぼくはカヤッキングの神髄のひとつだと思っているんですよね。
 そしてこの北東貿易風こそが、東アフリカの文化を、
 あるいは人々の命運をも司ってきた母体のような存在でもあるのです。

 11月から4月くらいまで北東風が吹き、
 その後北東貿易風が弱まると今度は逆風つまり南西のモンスーン風が吹く。

 この土地独特の風を利用して、古来よりインドやアラビア半島の商人たちが帆船を駆使し、東アフリカまでやってきました。そして頃合いを見て、再び逆風を利用して帰っていきました。そんな彼らが交流して生み出されたのが東アフリカ文化であり、ヒンドゥー語、アラビア語、アフリカ諸語がミックスされお互いがコミュニケートしやすいように編み出されたのがスワヒリ語であります。
 逆に、もしこれが違う風だったら・・・、例えば北西から吹く風が卓越風だったとしたら、上記の文化や言語は生み出されていないことは間違いありません。ということは東アフリカは土着のアフリカ人だけの土地だったかもしれませんね。それは幸か不幸だったかは分かりませんが、奴隷貿易という悲劇は生みだされることはなかったかもしれません。

 つまりこの風によって、ザンジバルは東アフリカとヨーロッパ、アラブ、インド、中国を結ぶ中継地点として大いに栄える事となったわけですが、このように、人類の文明文化って結構、風によって形作られている部分が多大にあるんですよね。特に船が移動の主役だった時代の文化ではね。
 まさしく、海洋文化ですね。
 風の中に、人々の歴史、喜びや悲しみ、
 泣き笑い、喜怒哀楽が内包されていると想像することもできます。

 まあ、ぼくら現代人は昔と違ってあまり風を意識した生活を送らなくなっているわけですが、その点カヤックに乗ると風に対する意識が物凄く鋭敏に高まります。
 なんせ、風によって波が立つわけで、
 その風や波にもっとも敏感な乗り物がカヤックなわけですからね。

 急に話をじぶんの方に持ってきて恐縮ですが、思えばぼくのカヤック人生も風との付き合いによって成り立ってきたと言えましょう。実際、あんな木の葉のような小さな舟に乗っていると、風の強弱もさることながら、風の吹き付ける微妙な角度や地形によっても命運は大きく左右されます。ほんのちょっと、5度くらいの角度の違いでも下手したら沖に流されるヤバい出し風になるとか、風と潮流の向きがたまたま逆だったから危ない三角波が形成されるとか・・・、日本一周単独航海から始まって、毎日のアイランドストリームのシーカヤックツアーでもそうだし、海外でのカヤックトリップ時でもそう。気がつけば風に運命を左右される生活を送っているわけで、そう考えるとぼくもまた風によって喜びや悲しみ、泣き笑い、喜怒哀楽が形作られてきた人間なのです。

 ということからか、いつのまにか風に対しては人一倍
 「多感症」になってしまっているようです。

 そういうぼくでありますから、
 ただただ東アフリカの風を感じるだけで、
 虹色のようなイマジネーションが発動し、
 もう胸がいっぱいになってしまったのでした。

 ふと、吹きつける風の中にたくさんの人々の鼓動を感じ、
 吹き抜けてゆく風の中に新たなる来るべきカルチャーの息吹を感じたりした、
 ザンジバル島パジェでの数日間。
 いわゆるひとつの「プラネット感覚」の日々。

 そしてこの後、いよいよ旅のメインであるペンバ島に向かいました。


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