陸地から遥かに離れ、四方八方、
海しか見えない空間をシーカヤッキングしたことも何度かある。
今回は軽く、その時の話をしよう
一生懸命漕いでる最中にはあまり意識しないけれど、
ふと手を休めてじーっとたたずんでみると、
「おれは一体どこに漂ってんだろう?」と、
まさに宇宙空間にただ一人放り出されたような、トリップ感に包まれる。
まず音がない世界。そして重力感がない世界。
上下左右の感覚すらおかしいその浮遊感に意識が行きすぎると、
気が遠くなり、おかしくなってしまいそうになる。
その際限のなさといい、
圧倒的な質量の海水に包まれていると、
やがて宇宙遊泳そのものの感覚にinする。
そんなとき、陸地や島が見え始めると、ものすごく安心する。
まるで島が星のように感じるのだ。
より自分の味方というか、人間の側に近いような存在。
そうして漕ぎ続けてたどり付いた島はまさに、
我が安らぎの惑星って感じがする。
ちょっと変わった話に聞こえるだろうけれど、
現場では非常にリアルな感覚だ。
大海原が宇宙で、島が星・・・。
そう考えるとポリネシアンのスターナヴィゲーションってものの面白みも
より一層増してくる。
また湯浅湾のかるも島で修業し、
島そのものにラブレターを書いたという鎌倉時代の高僧、
明恵上人の気持ちもわかるような気がしてくる。
深い瞑想によって宇宙遊泳感覚を味わい、
ゆえに島が愛しくなってしまったということだ。
加えて、島で拾った小石を生涯大事に持っていたという彼のエピソードにも、
「オレにはその気持ちがわかるぜ」と、ジーンとくる。
己のハートの深みが宇宙そのもので、
島の小石はプラネットアース、
そういう関係。