プリミティヴクール

シーカヤック海洋冒険家で、アイランドストリーム代表である、平田 毅(ひらた つよし)のブログ。海、自然、旅の話満載。

ストーンタウン写真集

2013-03-25 09:40:34 | タンザニア・ザンジバル島カヤックトリップ
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 ※タンザニア・ザンジバル島カヤックトリップの続き記事。当カテゴリの下から順に読んでいくと話の流れが分かりやすいです。

 ストーンタウンはなかなか面白い町だったので数日間滞在し、その後ザンジバル島の南東部のパジェへ移動。これからやっとカヤック漕ぎモードに。

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 海辺のオールド・フォート内、イベント等に使われている空間だ。

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 この出窓、なにげに職人芸だと思う。その右に取れかかった感じで着いている窓枠のボロさ、無造作感もいい。

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 石造りの建物の入り口には、装飾の施されたドアが多い。オマーン統治時代からのアラブの影響で、俗にザンジバル・ドアと呼ばれている。

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 ムスリムの女性のかぶり物も、アフリカではカラフルなものが目立った。

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 マーケットのはずれに解体された牛の外側だけが転がっていた。内側は全部さばかれて捨てられた後。
 
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 停泊した貨物船。色とりどりのコンテナがカラフル。画面の飛び散ったようなのは波しぶき。海岸きわきわに道があり、ぼーっと歩いていると全身に波をかぶってしまうことがある。

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 マーケットの雑踏。その手前のオマーン帽をかぶった人が売っているマンゴーやオレンジの自家製フレッシュジュース、スパイスが微妙に入っていてとても美味しいのだが、飲んだら腹を壊すことが多い。水が悪いからだ。おそらく、水道の水を直で入れているのだろう。氷もよくない。途上国を旅する時、食い物には気をつけるがジュースは意外と盲点になる。実はぼくも今回、露天のジュースを飲んで腹をこわした。このあと、パジェで、ジュースを飲んで肝炎にかかったという人にも出会った。まあ、こういう衛生の悪い途上国を旅するためには、普段からあんまり抗菌・除菌グッズに囲まれた生活するのはよくないかもしれないですね。・・・まあぼくはしとらんけどね、めんどくさがりだから。

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 マーケットは人だらけだ。ちなみに、イスラム教徒は写真を撮られることを極度に嫌がる。多分偶像崇拝を禁じている教義からの考え方だと思うが、だからこの旅でも人を映した写真はあんまり撮っていない。もし、写真をメインにする旅ならば断りを入れて撮らしてもらう努力をするだろうが、そうではなくフリー状態に解いた自分自身が何を感じるかに重きを旅をしますから、というわけでこんな写真ばかりですんません。

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 ナンバープレートを売る土産物屋。

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 ストーンタウンの、このはげたブルーやグリーンが、石造りとマッチして歴史観を醸し出していて、よい。

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 ザンジバルはかつて奴隷貿易の地にもなっていた。アフリカ各地から捕らえられた奴隷が、いったんザンジバルにつれてこられ、市場で売買される。買われた奴隷たちはヨーロッパやアラビア半島やインドに連れられていった。地理的に、南北アメリカへの奴隷は西アフリカからだが、東向きにはこのザンジバルが中継地として最適だったようだ。ハブ的な絶妙のロケーションであるがゆえ、こういうヘヴィな裏歴史も存在する。

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 アフリカ女性は特に、おしゃれに気を遣っている人が多い。ヘアーカッティングサロンがところどころにある。

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 重厚なザンジバルドア。このドアの模様がミニチュアで土産物になっていたりする。

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 各種スパイスが袋に小分けして売られている。ザンジバルは北のペンバ島、南のウングジャ島両方ともにスパイスの一大産地として知られ、アラビア半島、インド亜大陸との交易で大いに栄えた。その影響でポルトガル、オマーン、イギリスが目をつけ、それぞれ時代に応じて統治が変わっている。こういうふうにきれいに小分けされたスパイスは観光客用でやや値段が高く、ローカルのマーケットで量り売りしているやつの方が断然安い。ぼくもクローブ、カルダモン、シナモン、カレーパウダー等いろいろ買った。

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 マーケットには色んなものが売られていて、色んな人が行き交っていて、見ていて飽きない。

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 建築中の足場の組まれ方が何ともハンドメイド感が出ていてすごいなと思った。

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 ローカルのバス、これは高級バスだ。

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 エチオピアレストラン。ツーリストがよくいく。ぼくもローカルフードに飽きたら何度か通った。

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 ダラダラと呼ばれるローカルのバス。満員になるまで発車せず、ぎゅうぎゅう詰めにされた上ででこぼこ道を走る。疲れるが、車窓に窓ガラスがないのでストリートの空気感がダイレクトに感じられて、面白かった。アフリカ旅は体力勝負だな。


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イスラム教徒とポレポレタイム

2013-03-24 22:30:43 | タンザニア・ザンジバル島カヤックトリップ
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※タンザニア・ザンジバル島カヤックトリップの続き記事。当カテゴリの下から順に読んでいくと話の流れが分かりやすいです。

 そのストーンタウンのオールド・フォートのアトリエで描いているティンガティンガの画家のニイちゃんとはその後も滞在中あちこちでばったり出会ったりすることになるわけですが、とにかくアトリエの中で一時間以上色んな話をしましたね。どんなアトリエかと言いますと、一番上の写真がありますでしょう? その写真の中の一番奥にボコッと砦が飛び出しているでしょ。その中です。風が通らない、体感気温42℃といった感じの石造りの室内にて。

 まあ知らない異国人同士が色んな話をするとなると、必然的にお互いの国の話が一番多くなるわけですが、昨今の日本の話となると、どうしても震災や原発事故に触れることになります。
 タンザニアはほとんど地震のない国で、まず津波というものがどういうものが全くイメージがつかないようでした。まあ、ハンパなくでかい波のことだろうということで、タンザニアでも嵐が来た時に海が荒れまくって海岸線の道路にバババーンと覆い被さってくることがあったりするけれど、どうやら彼はそれのでかいやつが津波だと思っているようでした。
 実際は津波って波ではなく、水の壁が突進してくる現象ですが、確かに地震のない国ではイメージつかないでしょうね。
 
 一方、原発事故による放射能の脅威のことは結構、よく本質を分かっているなと思いました。普通の危険物質と違って何万年も毒性が消えない、しかも見えないところから危険が進行してゆき気づいた時には手遅れとなってしまうもので、他の凡百の危険物質とはヤバさの格が違う。そんなものを人間は扱うべきではない、と、まっとうな意見が返ってきました。
 多分これは逆に、変な情報がないからだと思います、普通の人間のごく普通の神経で考えたらなんびとたりともこういう答えになるという証だと感じました。原発や放射能の場合、様々な情報を日常茶飯事に聞いていると、妙に慣れっこになって危機感覚が麻痺してしまうところがどうしてもあります。本質を見失ってしまっている人も多いですよね。
 全く関係のない人の方が、しがらみなく、色眼鏡をかけず、素直にものを見ることができるという、ひとつの分かりやすい例のように思いました。

 そしてぼくはなにげに「原発や放射能によって復興も遅れ、どえらい損害となっている。ま、悪魔みたいなもんだな」とつぶやきました、すると彼は面白い答えを返してきました。
 「悪魔? そんなものはいないよ」と。
 ここで文化の違いが出てきたのです。

 東アフリカのスワヒリ語圏はイスラム教徒が趨勢を占める地域となっていまして、オマーンの統治が長かったザンジバルは特にイスラム教色の強い土地柄です。そして彼もムスリムでした。で、彼が言うには、イスラム教的には全ての創造物は創造主であるアラーが作った物であり、であるからして原発も放射能も創造主の下にある万物のひとつであるので、デヴィルとかそういうものではない。ということでした。

 デヴィルなんてものはこの世にはいない。
 だけど人の心の中のイーヴル(邪悪さ)というものは存在する。
 人間の心のイーヴルさが結果的に原発事故や放射能を生み出したわけだけど、
 事故を起こした原発や放射能そのものは物質なわけで、
 ということは全ての物質を生み出した創造主アラーの下でのイチ物質となるわけで、
 デヴィルとかそういうものではない。

 このデヴィルとイーヴルの使い方が絶妙で実に興味深いなと思ったのでした。
 ちょいと難しい話になっているかもしれませんが意味、分かります?
 色んな国や文化の人の、色んな見方があって面白いなと思いました。


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バランス感覚

2013-03-22 10:44:20 | タンザニア・ザンジバル島カヤックトリップ
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 ※タンザニア・ザンジバル島カヤックトリップの続き記事。カテゴリ下から読んでいくと話の流れが分かりやすいです。

 ヴェトナム航空で関空からハノイ経由でバンコクに飛んで一泊し、エチオピア航空でバンコクからアジスアベバ、ダルエスサラームを経由して、ザンジバル島ストーンタウンに到着。上記航空会社を使ったのは、安かったのと、あと預け荷物が40キロまでOKだったからですね。だいたい安いエアラインは20キロまでという所が多いのですが、なんせこっちはフォールディングカヤックほか色々、合計35キロほどの荷物を持っていますから、かなりの超過料金になってしまいます。エアラインの制限荷重のチェックはカヤックトリップ時の鉄則ですね。
 到着後すぐ、古都・ストーンタウンに向かいました。
 
 バンコクで一泊したせいか、長い空の旅も思ったほど疲れなかったけれど、暑さにやられましたね、多分30℃台だったと思うけれど、真冬の日本からやってきた身には、体感気温では45℃くらいあるように感じられました。ストーンタウンは19世紀にインド人やアラブ人の商人によって作られた町で、その名の通り石造りの建物が所狭しと立ち並んでいます。町の規模としては、日本で例えると、地方の、特急が止まるか止まらんかのくらいの田舎町の感じです。歩いて見て回るにはちょうどいい大きさなのですが、これがなかなか・・・。路地が狭く複雑な迷路状になっていて、歩いているうちに方向感覚がおかしくなります。こっちだろうとひたすら歩いていくと同じ場所に戻ったり、全然見当違いの場所に出てきたりします。まあ別に急ぎの用があるわけじゃないのでその迷子感覚を楽しみました。

 石の建物の森。
 どれもこれも年期が入っていて、漆喰のはげ具合とか、壁から浮かび上がってきたカビや汚れの色合いが織りなすハーモニーとか、はがれたトタンとか、むき出しの電線とか、取れ落ちそうになった出窓の無造作感とか、なかなかかっこいい。廃墟ではなく、人間が住んでいる中でのこのボロさ加減が、なんというかアートな感じでした。しかし地震来たら一発でアウトだろう。震度5くらいでも崩壊するだろうなと思われるくらい、どの建物も老朽化していました(こちらでは地震はまずないようです)。

 あちこちの路地で迷う中、様々な人たちと行き交います。昼間っから何もせず軒先で涼んでるおっさん、色とりどりのへジャーブをまとったイスラム女性たち、集団でわいわい言いながら走り回っている小学生、手製の一輪車にたくさんの商品を載せ、どけどけと言って先を急ぐ商売人、白人系の観光客と、彼らに何かしらの物を売りつけようと必死に声を掛ける小売店の店主・・・。

 すれ違いざま、いろんな人が声をかけてきます。
 ジャンボ(こんにちは)
 マンボ(ご機嫌いかが)
 カリブ(ようこそいらっしゃい)
 ハクーナマタータ(ノープロブレム)。
 アサンテ(ありがとう)
 クワヘリ(さよなら)

 基本、だいたい英語が通じるのですが、挨拶する時のスワヒリ語くらいは誰でもすぐ覚えられるほど分かりやすいです。元々スワヒリ語とは、アラブ人やインド人の商人とアフリカ人とがコミュニケーションを取るために、アラビア語、ヒンドゥー言葉、アフリカ諸語をミックスしてできた言葉で、お互いのために分かりやすくできているようです。東アフリカの海岸線で広く使われていて、つまりは海洋民族の言葉ですね。
 いつか、日常会話程度は話せるようになって、じっくり旅してみたいなと思いました。

 空港のタクシーの運ちゃんが教えてくれた安宿にチェックイン後、そうやって町をうろつき歩くうちにふと海岸沿いのオールド・フォートに出てきました。フォートというのはアラブ風の砦で、今はその跡地が公園やレストラン、土産物屋みたいになっています。後日ここで3日間のアフリカ音楽のフェスがあるということで、どんなところかと見回りました。歩き回っているとギャラリーというかアトリエみたいな一室が出てきて、背の高いニイちゃんが「ジャンボ!!」と声をかけてきました。
 ここで絵を描いている最中の画家のにいちゃんでした。
 彼と色々話し込みました。

 もちろん人にもよるんでしょうが、タンザニア人は結構話し好きの人が多いようです。
 見ず知らずでもありますしこういう時、日本人の感覚では普通、ただ挨拶する程度でしょうが、彼はそんなことおかまいなしに実に色んな話をしてきます。しゃべっているうちにどうやら何か物を売りつけようとかそういう魂胆があるのではなく、「時間感覚」がぼくら日本人とは全く違うことに気づき始めました。スワヒリ語で「ポレポレ」という言葉がありますが、それは「ゆっくり、のんびり行こうぜ」という意味のフレーズです。この「ポレポレ」時間の楽しみ方が、彼らには身に着いているようです。独特のポレポレ・タイムの中で、お互いの多少の言葉のミスなどは気にせず、初対面でも友達感覚で会話を楽しむというのが、ひとつの文化なのでしょう。これも交易時代の名残なのか、フレンドリーな中にも距離感がうまくこなれていて、なかなかいいもんだなと思いました。

 内陸のタンガニーカ湖近くで生まれた彼は、ティンガティンガの絵を描くペインターです。
 ティンガティンガというのは1960年代にエドワード・サイディ・ティンガティンガという人が確立したポップアートの一種で、動物や魚や植物やマサイ族の人々などを、独特の、ややマンガチックでもあるタッチで描く手法です。それが今や東アフリカの代表的な絵画スタイルとなっていて、観光客が好む東アフリカ土産の代表格のひとつでもあります。誰も彼もが、同じスタイルで描きます。で、そこがユニークな所でもあります。

 普通、誰かがひとつのアート・スタイルを確立した場合、それはその人独自のオリジナルの世界観であり、またその人のみの専売特許となるわけで、それを真似するなんてことはあまり容認されることではない。だけどここでは、真似とかオリジナリティとか、あまり誰も気にしていないようです。ティンガティンガ派の画家が集まって暮らす村があったり、長老が若手に教える工房やワークショップがあったりします。
 
 なぜか? 要するに「食える」からですよね。
 孤高のオリジナリティを追求する個人主義的アートというより、精巧な工芸作品。その技術を身につけるとみんなが食っていける。そこにアフリカ特有の「部族」社会性が垣間見えるような気がしました。一人の天才の手柄は、一族みんなのもの。みんなでシェアし、助け合って生きていくという価値観ですね。

 それはすごくいいなと思うと同時に、
 あまりにもみんながみんな同じような作品を生産しすぎて、
 ちょっと面白みに欠けるかな、とも思いました。

 またそこに個人主義と部族主義との違い、
 いい面と悪い面が出ているようにも思えました。

 多分ティンガティンガの創始者は大天才でしょう。で、アフリカでは多分それくらいの人じゃないとオリジナリティではなかなか食えないんじゃないかと思います。世の中には中天才、小天才くらいのレベルの人もたくさんいて、中天才の人の作品は中天才なりの、小天才の人は作品は小天才なりの面白さがあって、先進国ではそういう人も食っていけるんでしょうが、アフリカではそれが無理なんでしょう。
 例えていうと、マイケル・ジャクソンやスティーヴィ・ワンダークラスだけが
 オリジナリティで食っていけるという感じでしょうか?

 何を偉そうに言ってる、と思われるかもしれませんが、
 これだけアートが生きているんだから、
 オリジナリティ追求の切磋琢磨があればなお面白いだろうなと
 思った次第です。

 だって、アフリカ人のアートセンスって世界最高だとぼくは思ってますからね。
 特にリズムと色彩感覚がぜんぜん違うわけで、
 オリジナリティを追求したものを見てみたいと思うのもまた、人情でしょう。
 
 ここで色々考えましたね。
 ある程度の個人主義と、ある程度の「助け合い主義」、
 このバランスがこれからの世界で大切になってくるのではないか、と。
 スピーディな効率主義と、ゆったりポレポレ主義とのバランス感覚とか、
、自己主張と和の精神とか、
 西洋と東洋とか
 色々な調和のセンスね。
 それは多分、頭で考えるより、心と身体で実践するものなのだろう。

 その後、彼と色んな話をしましたが、続きは次回の記事にて。

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 ティンガティンガ派の代表的なタッチの絵

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タンザニア・ザンジバル島カヤックトリップ話スタート

2013-03-21 11:50:54 | タンザニア・ザンジバル島カヤックトリップ
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 さてさて、お待たせしました。先月に行ったタンザニア・ザンジバル島へのカヤックトリップの話をこれからしばらく連続でこのブログに書いていこうと思いますのでよろしくです。

 まずはザンジバル島ってどこにあるかというところから話をしますと、ちょうど一番上のグーグルアースの画像をクリックして拡大して見ていただければ分かりやすいかと思います。タンザニアの首都・ダルエスサラームのやや右上に島がふたつ並んでいますが、北島がペンバ島、南島がウングジャ島と言います。日本で言うとそれぞれ淡路島くらいの大きさの両者を合わせて「ザンジバル島」と総称されます。両者とも珊瑚礁に囲まれ、またさらに微細な小島を有した美しい諸島でもあります。断然南島の方がよく知られていて、ツーリストも多く、通常「ザンジバル」というと、南島のことを指すようです。一方、北島のペンバ島はあまりツーリストのいない、ローカル色の濃い島です。現金収入的にはとても貧しく、ろくすっぽ銀行も病院もないような島でしたが、緑が多く、田んぼとかもあって、バリ島とかジャワ島にも似たアジアンテイストがあって、ぼくはとても気に入りました。

 さて、では今回なぜザンジバル島に行ったのかという理由ですが、これまでぼくが旅してきたのはアジア方面が多く、東南アジア、インド亜大陸、アラビア半島と来て、その延長で今度はアフリカ方面に行きたいなと思っていたからです。アジア・アフリカの連続的な関係性は感じられるかなあ、と。また実は昔からアフリカ文化には興味があり、特にアフリカの音楽にはすっごく関心があり、いつかいきないなあと思っていました(アフリカへの興味に関することは以前このブログでも書いたことがあります。参考までに、http://blog.goo.ne.jp/islandstream/d/20120122

 あえてこれまで行かなかったのは、
 ぼくの思い描いているアフリカ観が、
 実際に訪れる事によって崩れてしまうことが、
 嫌だったからというのもありました。
 (旅において、そういうギャップというのもよくある)

 ではなぜアフリカ本土じゃなくザンジバル島なのか? と思われるかもしれません。確かにそうですね。タンザニアだったら野生動物のサファリにキリマンジャロ登山とアウトドアを満喫できるだろうに、全くお前は変わり者だな、と実際あちこちで言われたりもしました。

 理由とすればまず物理的に、カヤックで旅することを考えた場合、大陸っていう場所は全く向いてないんですね。特に治安の悪い場所が多いアフリカにおいて、フォールディングカヤックなどという重い物を背負って歩くことは大きなリスクになります。悪漢に襲われたとしても、スタコラサッサと走って逃げる事ができません。またアフリカの海岸線はインド亜大陸と同様、外洋に面した単調な地形が多く、なかなか漕ぐのに面白そうな場所が見当たらないという面もあります。もしアフリカ大陸を旅するならば、文化を見に行くということに絞って、フォールディングカヤックなど背負わず、小さなバックパックひとつで旅することになるかと思います。

 また、大陸のすぐ近くに付随する島や半島というのは、その大陸の文化を凝縮したような要素を持っていることも多いものです。辺境にこそ、中央の失われたエッセンスが宿っているということも多くあります。そういうことも微妙に意識しながら旅先をどこにしようか考えます。

 でも結局なんだかんだ言っても、カヤック旅人としてのぼく自身が、
「アイランダー」志向であるということに尽きるかと思います。

 カヤックトリップを中心に考えると、絶対に島か半島に限る。
 これだけは断言できます。
 カヤッキングのフリーダム・スピリットは島か半島にこそ宿っているのです。
 (日本も島国だしね)

 島っていうのは一見狭い閉鎖的な空間に思えるかもしれないけれど海人にとっては逆で、四方八方海に囲まれてるがゆえに海路として全方向に開かれています。風も通るし、空も広い。で、そういう場所を漕ぐとイマジネーションも全方向に開かれます。交易の歴史を身近に感じたり、国境など超えた自然の営みの地球的スケールをリアルに感じとったりします。で、そのイマジネーションの広がり感がカヤッキング特有のフリーダム・スピリットだったりするのです。

 そういった意味で、アフリカを意識すると必ずこのザンジバル島に目がいきます。
 それがカヤック旅人のサガというものです。
 (西アフリカ沖の「マカロネシア」と呼ばれる「カーボ・ヴェルテ諸島」も気になりますが・・・)

 ザンジバル島はアフリカ大陸とアラビア半島、インド亜大陸とを結ぶ交易の中継地として栄えた島で、ちょうどロケーション的にも、ハブ空港的というかターミナル駅的というかレーダー基地的というか、そういうヴィヴィッドな場所にあります(奴隷貿易という暗黒歴史もありますが)。

 そしてこの諸島への旅の終わりに、3日間に渡るアフリカ音楽のフェスがありました。出演者はアフリカ全土からやってきたアーティストで、また客はアフリカ人4割、その他の外国人6割くらいの割合でした。白人、黒人、東洋人、ラテン系、アラブ系・・・、カザフスタン人とかロシア人とかもいたなあ。実に色んな人たちがケンカもなく分け隔てもなく仲良く楽しそうに踊っている姿を見て、「ああ、これだよなあ」と思いました。
 島と流動とミックスカルチャー。
 フリーダム・スピリット。

 そんな旅の話をこれからしばらく続けていけたらなと思います。
 どうぞよろしく!!


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失敗は成功のもと。

2013-03-21 09:42:09 | インポート
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 残念ながら今回のWBCでは
 日本チームは準決勝でプエルト・リコに負けてしまいましたが、
 とても面白い大会だったと思いました。

 特に、問題になっているプエルト・リコ戦の、
 8回一死一・二塁での井端と内川のダブルスチール失敗の場面。
 よくあそこでランのサインを出せたな、と思いました。

 色んなメディアもそこの部分を取りざたしていましたが、
 この日本において、特に昨今の閉塞感の強い日本において、
 何かにトライして失敗した場合、
 これでもかというほど叩きまくられる風潮があります。

 ましてや日本中が注目するWBCという舞台。
 失敗は許されない、最も緊迫した場面。
 相手はメジャー屈指の強肩であるモリーナ捕手。
 失敗すると、日本全国から叩きまくられるのが目に見えています。
 そこでの、あのトライです。

 結果は失敗に終わったけれど、
 失敗は成功の元、こういうトライは必ず次のハイレベルな技術として
 生かされてくることと思います。
 思えば台湾戦では九回二死からの鳥谷の盗塁によって、
 勝利を呼び込んでいますよね。

 野球なんて勝ったり負けたりのスポーツで、
 ペナントレースではどんなに強いチームでも勝率6割で優勝であり、
 ってことは4割は負けるということでもあります。
 だから、トーナメント戦で必ず勝つということが
 どんなに難しいことか。
 その日の選手の微妙な調子とか、
 ちょっとした運不運が大きく作用しますしね。

 そんな中で、あの勇気あるトライ。
 あそこで失敗したからこそ、今後生かされてくるものが必ずあると思います。
 試合に負けたからと言って、メディアにたたかれたからと言って、
 原発事故なんかとは違って、別に命に関わってくるわけじゃない。

 結局、微妙な中途半端さが失敗の原因でしたが、
 いいものを見せてもらった感がありますね。



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震災・原発に関するカテゴリ作成

2013-03-21 02:04:47 | 震災や原発に関連する事
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 先日も福島第一原発で、 
 配電盤に入り込んだネズミが感電してショートした事により停電し、
 冷却システムが停止したという恐ろしいことが起こりました。
 世間の反応はシレっとした感じでしたが、
 3.11以前ならば大騒ぎになっていたことかと思います。

 もうこの程度のことは、慣れっこになって、
 感覚が麻痺してしまっているのですね。
 だけど、麻痺してしまったとしても、
 それは人間側の問題で、
 物理的な危なさは変わらない。

 これは海に出る時と一緒で、
 慣れてきた頃が一番危ないことが多い。
 どんなにうまくなろうが経験を重ねようがいい道具を持とうが、
 感覚が麻痺してしまったらだめなんですね。
 実はぼくがシーカヤックで一番気をつけていることは、
 まさにそこの部分で、だからこそ、原発事故に関して、
 この慣れきってしまった風潮が非常にこわく感じてしまいます。

 自分自身でも、常に普通の感覚を思い出すためにも、
 3・11以降このブログに書き留めた震災・原発関係の記事を
 ひとつのカテゴリーにまとめてみました。
 興味のある方はどうぞ。
 http://islandstream.blog.ocn.ne.jp/weblog/cat12419769/



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春の海

2013-03-18 17:49:18 | インポート
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 メロウな春の海を漕ぐ心地よさ。
 写真上二枚は湯浅湾。
 下二枚は御坊~日の岬周辺の海域。

 海の上では、時間の流れも、
 空気の微細な変化も
 陸に居るいつもとは違って感じられるようになる。

 あわただしい日常時間も現実ならば、
 こちらのおおらかかつダイナミックな自然時間もまた、現実だ。
 いつでも自分自身に立ち返ることができる、みんなの空間。
 大事にしたいものだ。


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死の時代 だけど、おれたちの時代 だから

2013-03-15 23:58:40 | 震災や原発に関連する事
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 3月13日、山口まで走った。
 14時からのスラップ裁判(中電によるいやがらせ裁判)傍聴には間に合わなかったけれど、そのあとの「上関原発現状報告とミーティング」と山口県庁前での上関原発建設反対デモに参加。3.11後のこの日本において、既存原発再稼働もとんでもない暴挙だけどそれをさらに飛び越えて、なんで新しい原発を建設せにゃならんのか、経済的価値ってやつから見ても、全く意味が分からない。なにか、ものすごく不気味なものを感じます。

 参加してみて、やはりこういうミーティングとかデモに参加することは大事だなと改めて思いました。政治は裏切る、マスコミも自浄作用なし、企業もそしらぬ顔、専門家は全く公平性に欠ける、自治体もしがらみまみれでがんじがらめ・・・、となると、結局、良識ある普通の市民が声を挙げるしかないのかもしれないな、と。

 それに「ノーと言わないで黙ってると、自動的にイエスってことになる」。

 そんな馬鹿な、と思うだろうけれど、世の中そういう構造になっているのだ。「ノー」とちゃんと表明することによって初めてイエスではなくなる。その人数が多ければ多いほど、機会が多ければ多いほど「ノー」が強くなる。そうなると向こうもおいそれと好き勝手にはできなくなるし、個人はさらに別の個人と繋がり、やがて国境を越えた国際世論にも繋がっていく。物理的にそうなる。
 だから参加できる機会を見つけてできるだけ参加したほうがいいと思った。

 いや、本心ではそんなことしたくないと思っている。ぼくみたいな中途半端者だけじゃなく、たとえ反原発に命を張ってきたような人でも、本心ではきっとそう思っていると思う。人生は短い。たった数十年だ。みんな、ほんとはこんなことよりももっと自分の夢の成就や自己実現にエネルギーを使いたいはずなのである。そして、にこにこ笑いながら山紫水明を愛で、花鳥風月を礼讃したいのである。
 そうじゃない時代、そういうわけにはいかない時代。。

 「みんな原発なんて要らないと思ってるはずなのに、
 なんでワシがこんなことせにゃならんのだ」。
 そう思うのが、人情ってやつだ。

 だけど誰かが声を挙げないと、体を張らないと、
 「イエス」になってしまう。

 ああ、なんちゅう時代。
 
 そんなことを思いつつ、翌14日は反核シンガーの内田ボブさんらとご一緒させていただき、感動的なライヴを観せていただきました。ボブさんの歌は非常に分かりやすく、のびのびと自然体のようでいて、無駄な言葉が一語もなく「てにをは」まで徹底的に考え抜かれ鍛え抜かれた歌詞だと感じました。帰りの車の中でもカーステで歌詞をじっくり吟味しましたが、ますますそう感じましたね。
 特に「おお チェルノブイリ」という曲の、
 「おお、死の時代 だけど おれたちの時代 だから」ってフレーズ。
 前後の歌詞の流れと「だけど」「だから」という言葉を使う時の呼吸、あるいは使わない時の呼吸が、「なんて絶妙なんだ」と感銘を受けました。


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大震災より丸二年

2013-03-11 22:33:46 | 震災や原発に関連する事
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 タンザニア・ザンジバル島から帰ってきてしばらく、バタバタしていました。
 その旅の話は今月中に一気にこのブログに記載させていただきますのでよろしくです。

 さて、大震災より丸二年。昨日は犠牲者への哀悼、被災者への想い、復興への祈りを込めて、そして脱原発、反核、平和の祈りも込めて、祈りの聖地である高野山への参詣道をウォークしてきました。おかげさまで20キロの山道を全員無事完歩。この日のために体調を整えて来て下さった参加者の方々に心よりお礼申し上げます(誰もこなかったらどうしよう・・・、とか思ってましたし)。
http://homepage3.nifty.com/creole/kouyasan.html

 寒冷前線のやってきた昨日はなかなか、自然のダイナミズムを実感する一日でした。なんせ一時間で12度くらい一気に気温が下がったわけですから。朝、沼地の横で休憩していると、なんとも気色の悪い生暖かい風が吹いてきて、まるで沼からカッパでも出てきそうな雰囲気になりました。その後昼過ぎまで気温高めで、シャツ一枚で歩き続けました。13時半頃(ゴールから2キロほど手前)に物凄いスピードで灰色の雲が山間を流れたかと思うと、雨が降り出しました。そしてちょうどゴールするやいなやザザ降りになりました。サテンで茶をしばきながらやりすごし、しばらくすると止みましたが、途端にグーッと冷え込みました。一時間で15度くらいから2度くらいに落ちたわけです。さらに夜にはマイナス5度まで下がったらしいです(ちなみに上の写真は、近くにいたおっちゃんに撮ってもらったのですが、手ぶれしてますでしょ? 要するに急に寒くなってブルったからです)。

 で、やはり自然はすげえなと思いました。まあ町に居ててもこの気温の変化くらいは実感できだだろうけれど、やはりトレッキングという行為にて自然の懐に入り込むことによって臨場感が何十倍も増すところがありましたね。全身で捉える一連の気象の流れと気温の変化。生き物のような脈動というか鼓動というか、吐く息が届きそうな生々しい距離感というか、ほんとにリアルな感覚でした。

 そしてふと考えたことは、こういう、自然のヴァイヴに対して「グレートだ」と感じる心や畏怖心を大切にするために空海はわざわざこんな山奥に高野山を開いたのかもなということでした。そもそも空海の真言密教とは自然のスピリットの中に大日如来の叡智を見いだすっていう信仰ですし。

 で、こういう感覚を分かってると、普通の神経として、原発など容認できるわけがないなとも思いました。人間の小手先など自然にはかなうわけがないのだし、大地震や津波などの猛威によっていつか大事故を起こすに決まっている。思えば、原発推進派のお偉い識者らの顔ぶれを見ていると、どんなに秀才っぽくても自然音痴の面構えをされておられます。
 
 別に自分がアウトドア人間だから言うわけでもないですが、そもそも日本文化って自然文化なわけですし、日本人であるならばもっと自然に触れる機会をもったほうが絶対楽しいし色んな発見がある。で、ぼく自身もそういうことを遠慮せずもっともっと言った方がいいんじゃないか、そのためにカヤックガイドやカヤック旅人なんぞやっとるんだろが、と改めて空海さんに叱咤激励されたような気がした今回の旅路でした。


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