Islander Works

書いて、読んで、人生は続く。大島健夫のブログ

詩人の夜

2010-01-18 20:09:57 | 出たもの
昨夜はBen's Cafeの「笑いと涙のぽえとりー劇場」に参加した(「愛の三角関係」を朗読した)。スペシャルゲスト、我らが鶴山欣也さんのパフォーマンスを初め、盛り上がった夜となった。



服部剛はぽえとりー劇場であり、ぽえとりー劇場は服部剛である。誰が何と言おうとそうであろう。

服部さんというのは私と同い年で、誕生日もわりと近かったりするのだが、本当に不思議な人だ。司馬遼太郎だったら「長者の風格がある」とか書くかもしれない。毎月第三日曜日、Ben's Cafeにおけるその司会ぶりはすごい。長年続けているにもかかわらず、いつも途中から完全に酔っ払っている。人の名前もちゃんと覚えていないし、言い間違いなども多い。しかし、おそらく会場の誰一人としてそれを不快には思わない。それはもはや人徳とかそういう生易しいレベルの話ではない。「笑いと涙のぽえとりー劇場」というのは、いわば服部さんという空のもとで、言葉に携わる老若男女が自由に息をしているようなものである。

話すとわかるのだが、服部さんは決して、世俗の感覚を切り捨ててゆくストイックなタイプの人ではない。人として、男としての欲望もきちんと持っているし、それはもしかしたら常人以上に強いかもしれない。それなのに、彼が朗読する姿からは「ほら、この朗読している俺を見てくれ、認めてくれ」というような自己顕示の精神は微塵も感じられない。むしろ神々しいくらいに無私である。丹念に、かつ真摯にひとつひとつの言葉を紡いでゆくその姿はとても感動的だ。

人間的な特性だけで彼が特筆されるとしたら、それは不公正なことである。服部さんは文学・音楽に幅広い愛情と知識を有しており、彼自身の日常生活の中に投影して多くのものを肉体化している。そして何よりも、詩人になるべくして生まれてきたような、天性の詩人である。彼は多作な人だ。のみならず、しょっちゅう、「ここへ来る電車の中で書いてきた詩です」などとさらっと言う。そして本当にそうして書いた素晴らしい詩を訥々と朗読してゆく。あまりに自然なのでみんな聞き流してしまうが、ちょっと考えてみて欲しい。カップラーメンじゃあるまいし、普通、詩というのは、そんなに簡単にできるものではないのだ。なぜそれが可能なのか。それは、服部さんの中に詩人としての属性がしっかりと根を張っているからに他ならないと思う。ある日、こんなことがあった。秩父のポエトリーカフェ武甲書店の表に私と服部さんが立っていると、向かいの民家の軒に大量の干し柿が吊るしてあった。それを発見した私たちは、ほぼ同時に言葉を発した。

大島「うまそうだな」
服部「あれは詩だね」

私はちょっぴり自分を恥じた。

そんな服部さんが、2月3日のPoe-Tri Vol.20に久々にキャストとして出演する。他の二人の出演者、福田理恵さん、不可思議/wonderboyさんとともに、主宰として共演者として、心から楽しみにしている。

おっとその前に、私のライヴの話。明日19日は高円寺無力無善寺で、「NEKOMICHI NEW YEAR ROCK FESTIVAL ~ 『 猫道節 』 総集編 第2弾~」に出演します。

是非、足をお運びください。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿