ANCELLが私の主宰していた朗読ライヴイベント、Poe-Triにふらりと現れたのは昨年の8月のことだ。「変な奴が来た」と思った。
オープンマイクで彼がラップをやると、客席の後ろの方がざわざわしていた。涙ぐんでいる人もいた。不可思議/wonderboyに似てる、という声が上がった。確かに似ていた。ただ、wonderboyがあれでなんとなく上品で隙がないのに比べ、ANCELLの方がどこかしら突っ込みどころありげで、タフそうで、図々しそうであった。ラッパーの人が来たというより、ANCELLという独特の人間が来たという感じがした。
今度是非キャストで、という話をした。今年の1月の回にブッキングして、もう少しで実現するところだったが、3-tri-が移転することになり流れてしまった。申し訳ないとも思ったし、何より私自身が残念だった。それから5月になり、今度は詩のボクシング・神奈川大会でまた顔を合わせた。なんと個人戦、団体戦とも私と直接対決で、きれいに1勝1敗となった。私は続きがやりたかった。そして、今回の「ANCELL×大島健夫ツーマンライヴ 東京ポエトリー倶楽部2nd」で、初めて彼のパフォーマンスをロングセットでじっくり味わえることを心から楽しみにしていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/54/9ccdedcdacfc90283fa90ca3a9d356d3.jpg)
ANCELLがポエトリーの方向性を向いたのは、(逝去した後に)不可思議/wonderboyを聴いたことが大きなきっかけであったという。ふたりのパフォーマンスを聴き比べると、細かな点では実はどこもあまり似ていないが、それでも同質のフィーリングを感じる瞬間があることはまぎれもない事実だ。それは、一つ一つの声に込められた切実な熱量であり、その熱量によって提示した世界観によって、オーディエンスの感覚をグリップする力である。もっと徹底的に単純化して言ってしまえば、それは夢を見る力であり、夢を見させる力である。不特定多数の人間の前に立って何かを表現しようとする人間に備わるべき要素として、それよりも重要なものがどれほどあるだろうか?
ANCELLの40分のあと、私が40分。「ハラキリ」「神様工場」「公園の池」「花占い」そして不可思議/wonderboy作「先生、あのね」の5篇を朗読した。
ワンダー、
世界はちょっとずつ動いているよ。
みんなちょっとずつ動いていっているよ。
オープンマイクで彼がラップをやると、客席の後ろの方がざわざわしていた。涙ぐんでいる人もいた。不可思議/wonderboyに似てる、という声が上がった。確かに似ていた。ただ、wonderboyがあれでなんとなく上品で隙がないのに比べ、ANCELLの方がどこかしら突っ込みどころありげで、タフそうで、図々しそうであった。ラッパーの人が来たというより、ANCELLという独特の人間が来たという感じがした。
今度是非キャストで、という話をした。今年の1月の回にブッキングして、もう少しで実現するところだったが、3-tri-が移転することになり流れてしまった。申し訳ないとも思ったし、何より私自身が残念だった。それから5月になり、今度は詩のボクシング・神奈川大会でまた顔を合わせた。なんと個人戦、団体戦とも私と直接対決で、きれいに1勝1敗となった。私は続きがやりたかった。そして、今回の「ANCELL×大島健夫ツーマンライヴ 東京ポエトリー倶楽部2nd」で、初めて彼のパフォーマンスをロングセットでじっくり味わえることを心から楽しみにしていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/54/9ccdedcdacfc90283fa90ca3a9d356d3.jpg)
ANCELLがポエトリーの方向性を向いたのは、(逝去した後に)不可思議/wonderboyを聴いたことが大きなきっかけであったという。ふたりのパフォーマンスを聴き比べると、細かな点では実はどこもあまり似ていないが、それでも同質のフィーリングを感じる瞬間があることはまぎれもない事実だ。それは、一つ一つの声に込められた切実な熱量であり、その熱量によって提示した世界観によって、オーディエンスの感覚をグリップする力である。もっと徹底的に単純化して言ってしまえば、それは夢を見る力であり、夢を見させる力である。不特定多数の人間の前に立って何かを表現しようとする人間に備わるべき要素として、それよりも重要なものがどれほどあるだろうか?
ANCELLの40分のあと、私が40分。「ハラキリ」「神様工場」「公園の池」「花占い」そして不可思議/wonderboy作「先生、あのね」の5篇を朗読した。
ワンダー、
世界はちょっとずつ動いているよ。
みんなちょっとずつ動いていっているよ。