Islander Works

書いて、読んで、人生は続く。大島健夫のブログ

卒業式に来賓として・・・

2010-03-09 19:39:32 | エッセイみたいなもの
世間は卒業式シーズンである。もう今から7、8年前のことになるが、私は母校の高校の卒業式に『来賓』として出席したことがある。

と言っても、私が偉いために呼ばれたといったようなことは全くなく、剣道の先生の関係で学校の同窓会の仕事を手伝っていたところ、たまたま同窓会の会長が都合で出席できなくなったため、代理で私が出されることになっただけの話である。

今でこそ大きな顔でイベントだ司会だとやっているが、だいたい、私は元来『人前』というものがあんまり好きではないのであった。当時は経験値が少なかったの尚更である。

ところが、私が出なければならなかったのは卒業式だけでなく、卒業式の前の日にもなんかの式典があり、そこでは「同窓会活動について三分ほど喋ってくれ」と言われ、体育館いっぱいの高校三年生の見守る中、黒のスーツなんぞを着て壇上に上らせられてスピーチさせられる始末。仕方ないので勝手に値切って一分くらい頑張って喋り、とっとと下りてきた。下りたら下りたで校長室に連れて行かれ、お寿司などご馳走になる破目に。いや、寿司は大好きだが、目の前には校長先生がいて、教頭先生と二人、「この明日の式辞の中の、『うららかな春の光を浴びて』という部分は、もし明日雨だったらどのようにしたら良いか」といった、凄まじくシュールリアリスティックな議題を真剣に話し合っているのである。もう味なんかしないのだ。

で、いよいよ翌日の卒業式。また黒のスーツを着て高校に行く。控室はまた校長室である。PTA会長だの教育委員会の偉い人だのが居並ぶ中、当時まだ20代半ばだった私は際立って『若造』である。そりゃそうだ。他の人は自分が学校活動に対して何らかの貢献をなしたことで呼ばれているのだが、私はただの代理なのである。言ってみれば、子供の頃の草野球の透明ランナーみたいなものである。私は場の雰囲気にいたたまれないあまり勤勉になり、気がつくといつの間にか自ら進んでみんなに湯飲み茶碗を配ったりして、単なるお茶汲み係と化していた。

そしてついに、メインイベントの卒業証書授与式である。実は前日の式典の後、ちょっと用があって剣道部の後輩にあたる卒業生と電話で話した時に(その頃、私はけっこう足しげく高校に剣道の稽古に行っていたので、卒業生の中には一緒に稽古したりした人間がたくさんいて、それがまた私を緊張させたのである)「先輩ずいぶん緊張してましたね」と言われた私は、どうやったら緊張しないでかっこよく見えるかを一晩寝ないで考えたのだった。その結果得た結論は、「動かずにまっすぐ座っていれば堂々として見えるに違いない」というものであった。

私はそれを実践した。式が進む間、名前を呼ばれて礼をしたりする時以外は、ひたすらおごそかに(と、自分では思っていた)背筋を立ててじっと座っていたのである。そして無事にというか、式が終わり、再び校長室に戻ってうだうだした後に解散となったのだが、校長先生と教頭先生は「近年にない素晴らしい式になった」とか言って喜んでいて、まあ確かにそう悪い式でなかったような気はするし、知っている人間が卒業していくのはとってもめでたいことだし、ひとまず安心して、後輩連中に「卒業おめでとう」の一言も言ってやるべく、そして、世間の声を拾い『じっと動かず堂々と見せる作戦』の成果のほどもはかるべく、帰りついでにちょっと剣道場に寄ってみた。

すると、前の日に電話で話したのとは別な卒業生が私を出迎え、満面の笑顔を浮かべて開口一番こう言った。

「先輩、見てましたよ!なんかカッチンコッチンに緊張してましたねえ!」


☆☆☆


最初に書いたように世間は卒業式シーズンです。この項を読んでくださっている皆様の中にも、きっとどこかからどこかへと卒業してゆく方がいらっしゃるかと思います。

どうかあなたの明日が、素敵なものでありますように。

私のハカセ人生

2010-02-16 18:36:39 | エッセイみたいなもの
生き物ブログなんかやっていると、時々、周囲の人間に「博士」と呼ばれることがある。たいてい何か質問されるときだ。ある日メールが来て、「博士、家の中にハチが入ってきちゃったんだけどどうすればいい?」とか、「息子が変な虫捕まえてきたんだけどこれ何?教えて博士」とかそんな感じである。

そうやって仲間うちで博士呼ばわりされているうちはいいのだけれど、先日、ちゃんとした研究者の先生のいるところで「この人がカエル博士の・・・」なんて紹介されてしまい、ヒヤリとして思わず「博士じゃない博士じゃない!」と言ってしまった。だって無論言うまでもなく、私は公的には完全に単なるいち素人に過ぎないのであって、博士号どころか修士号も持っていないのである。学士号は一応持っているが、私が卒業したのは法学部だ。「生物研究会とかに入ってなかったんですか?」と聞かれることもよくあるが、そのてのものも一切所属経験がなく、代りに空手道場などに所属していた。私が生物関係の組織に入るのは、一昨年、縁があって千葉市野鳥の会に入れていただいたのが最初である。

しかし思い返してみれば、私が幼稚園の頃、人生で最初についたあだ名が「博士」であった。とにかく物心ついたときから生き物が好きであったことは間違いない。何しろ私の地元は今でものんびりした田舎だが、当時は河川改修も田んぼの基盤整備もされておらず、魚やカエルなんか素手でいくらでもつかみどりできるという、秘境みたいなところであった。タヌキ、ノウサギ、リス、イタチがあたりをうろうろし、飼っていた猫は三日に一度はノネズミやモグラをくわえてくる。そんなところで育ったら誰だってそれなりに動植物に関心を持つようになる。

おまけに私は本も好きで、暇さえあれば子供向けの図鑑やらシートン動物記やらに没頭していた。従って、仲間たちが何か捕まえてきたり、幼稚園の教室に何か入ってきたりすると、みんなが私のところに「これ何?あれ何?」と聞きにくるようになった。・・・なんだ、今とおんなじじゃないか。

幼かった私には、「自分が何かに詳しくなって何かの役に立てる」ということが、素晴らしい喜びのように感じられた。もう、「僕はこれだ、これしかない、将来は動物学者として食べていこう」くらいの勢いだった。

しかし、世の中はそんなに甘くないのである。尊敬される偉い人になるには周囲と和していけることが大切であるのだろうが、当時の私にはそれができなかった。何だったか忘れたが、下らないイタズラをやって「うめ組」の保母さんを激怒させてしまい、クラスのみんなの前で気をつけの姿勢で額に指を突きつけられて「あなたは博士じゃありません!今日からバカセです!」と怒鳴られたとき、私の正統的な学者としてのキャリアは終りを告げた。

気がつけばそれからもう三十年が経った。巡り巡って結局、生き物と本が好きということは昔と変らない。考えてみるとなんだか不思議だ。今、私の部屋の窓の前には、一見昔と同じような、しかしその中身は昔とは全く異なる風景が広がっている。荒れてゆく里山の木々の枝をリスが走ることはもうなく、コンクリートで固められた川、基盤整備によってその川と切り離された田んぼにはほとんど魚が住むこともできない。様々な生き物が割り算のようなスピードで消えてゆこうとしている。そしてそれは、長年に渡ってこの国の風土を支えてきた第一次産業の構造の変化、そして衰退と明らかに密接な連結を持って迫ってくる。そこに関係していない人は日本に誰一人としていない。みんなの生活に関係があることなのだ。この国から生物多様性が失われる日は、この国の人たちが自分の国でとれた食べ物を口にすることができなくなる日だ。

そういった問題が存在することを皆に伝え、そしてどのように向き合ってゆくか、それを考え、何かしらの実践を生み出す上で、今後私という人間が、自分の立場でほんの0.00001ミリでも役に立つことができるなら、そんなに幸せなことはないと思う。私が本物の博士になることはもうできないだろうけれど、偽物の博士とでも呼ばれるなら、それはそれでけっこう身が引き締まる。だって「偽」という字は「人」の「為」と書く。それってどえらく責任が重いじゃないか。