Islander Works

書いて、読んで、人生は続く。大島健夫のブログ

試合してきました。

2010-02-28 20:41:56 | 日常のこと
さてさて今日は春の大一番、千葉県社会人剣道大会だった。

今回我がチームの事務方を担当してくださっていたNさんは、大会を前に「現地に行ったらエントリーされてなかった」という悪夢を見たという。それだけ気を遣ってくださっていたのであろう。私が今でもたまに見る、「高校を留年してしまいそうな夢」と同じようなものかもしれない。<ちょっと違うと思うぞ

そして我がチームは予選リーグで二試合し、決勝トーナメントに進むことはできなかった。

皆全力で、一つ一つの局面を精一杯やったと思う。しかし、望む結果を得ることができなかった。それは力が足りなかったからだ。プロの試合や、学生時代のトーナメントのような、「負けたらおしまい」の戦いと違い、大人のアマチュアの試合は、言ってみれば明日がある戦いだ。「やーめた」と言ってやめない限りは続きがある。自分に足りないもの、チームに足りないもの。見えたものもあるし、浮かび上がってきたものもある。ものすごくものすごく悔しいけれど、また次の稽古が楽しみになってきた。

そして、何はともあれ、みんな怪我をせずに五体満足で帰ることもできた。明日からまた働ける。何でもできる。そういうのって最高に幸せだ。

Sさん、Nさん、Oさん、Iさん、セコンドを務めてくれたkimkimさん、お疲れ様でした。ありがとうございました。また近いうちに道場で!

明日は試合

2010-02-27 14:11:05 | 日常のこと
数えてみると、今年で剣道を始めてから20年、空手を始めてから15年になる。その間、やってない時期も相当多くあるので中身はかなりスカスカなのだが、まあ細々と続けてきた。

その間、複数の暴漢に絡まれた女の子を救出し、「危ないところを救っていただいてありがとうございます・・・お名前は?」「いやあ、名乗るほどのものではありません(夕陽に向かって去ってゆく)」などといったようなロマンスは特になかった。せいぜい、酔っ払いの喧嘩を止めたことがある程度である。

山の中で稽古していて天の声を聞き、「おお、これだ!俺は今、真の極意に達した!(突然降り出した雨に打たれながら)」などという瞬間も全くなかった。毎日「あーでもない、こーでもない」の繰り返しである。

なぜ剣道だの空手だのを始めたのか。「わからない」としか言いようがない。「強くなって女の子にもてたい」とか「いじめを克服したい」とか、そういう明確なリーズンはさっぱり思いつかない。なんだかわかんないけど気がついたらやっていたという感じだし、揺るぎない意志で続けてきたというわけでもない。稽古がきつい時など、「もうこんなことはやめだ!やめるんだ!」と思ったことは数限りなくあった(・・・今でもたまにある)。しかしだいたい翌日になるとまたのそのそと道場に来てしまった。

そんな私だから、筋の通ったカッコいい武道人生を語ることなどできない。およそロクなエピソードがない。

家の中で素振りをしていて天井の蛍光灯を叩き割ってしまったことが前後三度ある。

今でも、防具袋と竹刀袋を手に剣道の稽古に行く度に、隣の婆さんに釣りに行くのだと思われ、「今日はたくさん釣れるといいねえ」と励まされる。

某先生の家に呼ばれた時、壁が大理石だったのですごいなあと思って裏拳でコツンと叩いてみたら、実はプリントの合板でヒビが入ってしまい、誰も見ていなかったので床においてあったゴルフバッグをその位置に立てかけてごまかし、そのまま帰ってきてしまったことがある。

道場の神棚のお神酒を盗んで多人数で酒盛りをし、空の瓶に水を入れて戻しておいたことがある。

夜、公園で空手の形をしていたら、それを見ていたブラジル人に「かっこいいねえ」と言われたので、「でしょ?俺が考えたんだよ」とウソをついたことがある。

高校の時、準備運動の跳躍素振り千本の号令をかける際に、時々、七十九の次を九十にしていた。

とりあえず、いろんな人に出会った。無条件で素晴らしい人もいれば、変だけど素晴らしい人もいた。ただ変なだけの人もいた。

私よりもっと根性があり、肉体的にも精神的にも優秀であったのにいつの間にかやめてしまった人間は星の数どころか円周率の桁数くらいいる。以前はそういうことを考えると切なくなったが、今はみな運命だと思うことにしている。人にはそれぞれ、その時その時で進むべき道があるのだ。

昔は稽古が大嫌いだったが、今はしばらくやらないと「稽古したいなあ」と感じられる。「稽古できて嬉しいな」とも感じられる。上級者の方々に言わせると、この上には「稽古しないと寂しい」「稽古しないと死んじゃう」などのステージがあるそうである。道は果てしない。

いっぱい怪我もしたし、情けない思いもしてきたけれど、その分いろいろなものも得てきたように思う。続けてきて良かった。もしみな運命であったなら、運命に感謝したい。そして、その中で関った人たちには、もっともっと感謝したい。

ということで明日は剣道の試合だ。

ちょっぴり燃えている。

お台場の夜

2010-02-22 21:44:05 | 日常のこと


昨日は高校の剣道部時代の仲間の結婚式だった。お台場なんてこんなことでもなければなかなか来ない。ゆりかもめに乗ったのも久しぶりだ。

私の代は、同期の間の仲はいいほうだと思う。それでも全員同じ場所に揃うのは、前に別の同期が結婚したとき以来かもしれない。みんなそれぞれの人生を送っている。嬉しいこともあれば辛いこともあり、悪いこともあればいいこともあるのだと思う。だけど、少なくともみんな、出てきて「よっ」と言うことができる。そういうことって最高だ。

K、おめでとう。すごくいい結婚式だったよ。

3月3日、Poe-Tri Vol.21

2010-02-17 17:34:48 | 告知
第一水曜日は池袋へ。第一水曜日はステージ&スペース3-triへ。第一水曜日は朗読ライヴの夜を。

3月3日、雛祭りの日に、Poe-TriはVol.21を迎えます。

Poe-Tri Vol.21
2010年3月3日(水)
会場は池袋ステージ&スペース3-tri
住所は豊島区東池袋1-2-4 B2F。ほんとに毎回くどくて申し訳ないですが、B1は別のお店です。特に男性の方は間違って入らないように。入ってもすぐ出てくるように。
地図はこちら
池袋駅東口から徒歩5分くらいです。

今回も、出演者は4人です。

もはやPoe-Triではすっかりお馴染み。詩のボクシング2003年大阪大会&2008年神奈川大会チャンピオン、お茶祭り企画代表、川島むー

「猫道節」主宰。パワフルで知的でエモーショナルなそのステージは一度見たら誰も忘れない。都内のスポークンワーズシーンの旗手、「猫道一家」党首、猫道

キャストとしては今回が初登場。詩のボクシングに何度も出場し、鶴山欣也さんとタッグを組んで、桜金造の怪談と朗読で競演するなど各方面で活躍。底響きする声と朗読は必聴。市毛友里!

そして、私、大島健夫です。

恒例通り、入場料は1500円+1ドリンク。
タイムテーブルは、
開場 20:00
開演 20:30

前半が
川島むー 20:35~20:50
猫道   20:50~21:05

当日エントリーのオープンマイクを挟み、

市毛友里 22:20~22:35
大島健夫 22:35~22:50

となっています。23:00までには全て終了の予定。

オープンマイクは、当日ご来場の皆様からエントリーを募集いたします。一人あたりの持ち時間は5分以内。時間に限りがある都合上、先着13名までとさせていただいておりますので、ご来場のタイミングによってはエントリーをお断りさせて頂く場合がございます。どうかご理解のほどをよろしくお願い致します。

読みにいらっしゃるもよし、聴きにいらっしゃるもよし。ご都合の宜しい方は是非、お気軽に遊びにいらっしゃってください。皆様のご来場を心よりお待ち申し上げております。

私のハカセ人生

2010-02-16 18:36:39 | エッセイみたいなもの
生き物ブログなんかやっていると、時々、周囲の人間に「博士」と呼ばれることがある。たいてい何か質問されるときだ。ある日メールが来て、「博士、家の中にハチが入ってきちゃったんだけどどうすればいい?」とか、「息子が変な虫捕まえてきたんだけどこれ何?教えて博士」とかそんな感じである。

そうやって仲間うちで博士呼ばわりされているうちはいいのだけれど、先日、ちゃんとした研究者の先生のいるところで「この人がカエル博士の・・・」なんて紹介されてしまい、ヒヤリとして思わず「博士じゃない博士じゃない!」と言ってしまった。だって無論言うまでもなく、私は公的には完全に単なるいち素人に過ぎないのであって、博士号どころか修士号も持っていないのである。学士号は一応持っているが、私が卒業したのは法学部だ。「生物研究会とかに入ってなかったんですか?」と聞かれることもよくあるが、そのてのものも一切所属経験がなく、代りに空手道場などに所属していた。私が生物関係の組織に入るのは、一昨年、縁があって千葉市野鳥の会に入れていただいたのが最初である。

しかし思い返してみれば、私が幼稚園の頃、人生で最初についたあだ名が「博士」であった。とにかく物心ついたときから生き物が好きであったことは間違いない。何しろ私の地元は今でものんびりした田舎だが、当時は河川改修も田んぼの基盤整備もされておらず、魚やカエルなんか素手でいくらでもつかみどりできるという、秘境みたいなところであった。タヌキ、ノウサギ、リス、イタチがあたりをうろうろし、飼っていた猫は三日に一度はノネズミやモグラをくわえてくる。そんなところで育ったら誰だってそれなりに動植物に関心を持つようになる。

おまけに私は本も好きで、暇さえあれば子供向けの図鑑やらシートン動物記やらに没頭していた。従って、仲間たちが何か捕まえてきたり、幼稚園の教室に何か入ってきたりすると、みんなが私のところに「これ何?あれ何?」と聞きにくるようになった。・・・なんだ、今とおんなじじゃないか。

幼かった私には、「自分が何かに詳しくなって何かの役に立てる」ということが、素晴らしい喜びのように感じられた。もう、「僕はこれだ、これしかない、将来は動物学者として食べていこう」くらいの勢いだった。

しかし、世の中はそんなに甘くないのである。尊敬される偉い人になるには周囲と和していけることが大切であるのだろうが、当時の私にはそれができなかった。何だったか忘れたが、下らないイタズラをやって「うめ組」の保母さんを激怒させてしまい、クラスのみんなの前で気をつけの姿勢で額に指を突きつけられて「あなたは博士じゃありません!今日からバカセです!」と怒鳴られたとき、私の正統的な学者としてのキャリアは終りを告げた。

気がつけばそれからもう三十年が経った。巡り巡って結局、生き物と本が好きということは昔と変らない。考えてみるとなんだか不思議だ。今、私の部屋の窓の前には、一見昔と同じような、しかしその中身は昔とは全く異なる風景が広がっている。荒れてゆく里山の木々の枝をリスが走ることはもうなく、コンクリートで固められた川、基盤整備によってその川と切り離された田んぼにはほとんど魚が住むこともできない。様々な生き物が割り算のようなスピードで消えてゆこうとしている。そしてそれは、長年に渡ってこの国の風土を支えてきた第一次産業の構造の変化、そして衰退と明らかに密接な連結を持って迫ってくる。そこに関係していない人は日本に誰一人としていない。みんなの生活に関係があることなのだ。この国から生物多様性が失われる日は、この国の人たちが自分の国でとれた食べ物を口にすることができなくなる日だ。

そういった問題が存在することを皆に伝え、そしてどのように向き合ってゆくか、それを考え、何かしらの実践を生み出す上で、今後私という人間が、自分の立場でほんの0.00001ミリでも役に立つことができるなら、そんなに幸せなことはないと思う。私が本物の博士になることはもうできないだろうけれど、偽物の博士とでも呼ばれるなら、それはそれでけっこう身が引き締まる。だって「偽」という字は「人」の「為」と書く。それってどえらく責任が重いじゃないか。