函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

鎌倉殿の13人、義時の失恋!!

2022-03-21 | 歴史

いよいよ鎌倉殿として東国の頂点に立った頼朝

ほんの数カ月前には信じられなかった事が起き

ています 

御家人としての武将達も戸惑った筈です 

侍所の別当に任じられた和田義盛もその一人。 

「何をするんですか?」と義盛。 

「知らんで言ったのか?」と頼朝。 

漫才のボケと突っ込みの様でしたね 

義盛だけではなく、他の御家人も似た様なもの

です。 

大江広元、三善康信どの京の下級官吏が鎌倉に

下向し、頼朝政権の礎を作ったのが大きかった

みたいですね。 

領地争いだけをしてきた東国の武士だけなら間

違いなく収拾がつかなくなっていた筈

 一方

頼朝の仲立ちもあり間違いなく八重と結婚出来

ると思っていた義時

頼朝も含めた北条家の人々の前で「お断りしま

す。」と…

実際にはあり得ない話だと思いますが、涙ぐむ

義時を見ると健気と言うか?何というか? 

衆人の前ではなく直接本人だけに断りを入れた

方がと思ったのは僕だけでしょうか? 

結局、どうやら義時と八重は結婚するみたいな

のでメデタシメデタシなのですが…

 

ところで 

乙若こと源義円が登場しましたね 

文武に秀でた人物だと言われていますが、頼朝

に会った記録が無いのです

阿野全成や源義経は頼朝のもとに駆け付けてい

ますが、義円の行動が分かりません。 

単独で行動していたのでしょうか? 

叔父・源行家の挙兵に参加し平家軍と尾張で衝

突したとも…

平家軍の平維盛、重衡、忠度と対峙していた義

円でしたが、功を焦っていたのでしょうか?

単独で夜襲を掛け失敗、呆気なく討ち取られて

しまいます 

27歳だった言われています。 

頼朝が義円を行家軍に参加させた可能性もあり

ますが、おそらく自分の意志で加わったのでは

ないでしょうか 

自意識が強く独立性が強い人物だったのかも知

れません。 

おそらく、頼朝に会うことなく行家軍として

っていたのかも知れません。 

文武に秀でていた義円ですが、人を見る目だけ

はなかったようですね

 

予告を見ると来週は亀の前事件です 

政子の怒りが亀の前に襲い掛かります。 

この時代、戦をしていたのは男だけではなかっ

たようです

 

 

コメント
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