官兵衛の新たな領地・豊前は400年に渡り宇都宮家が治めていた
領地です。
藤原鎌足の流を汲むと言われている宇都宮家ですが、400年の間
に一族が豊前全土に広まり戦国時代になっても団栗の背比べ、各々
独立性が強くまとまりがなかったようですね
宇都宮鎮房は戦国大名と言うよりは地侍に近かったかも知れません。
長く土着していた土地を離れるのは辛い選択だとは思いますが、家を
残すと言う事に比べれば比較になりません。
それも今治12万石へと大幅に加増されたのですから断る理由などあり
ません。
鎮房は毛利元就に対抗するため大友宗麟(義鎮)属し宗麟の娘を娶り宗
麟から一字を貰い受け鎮房と名乗ったほどですから大友家とは繋がりが
深かったようです
九州は龍造寺、島津、大友の三つ巴の争いとなりますが、大友が島津に
耳川の戦いで大敗すると鎮房は手のひらを返すように反大友となります
龍造寺も沖田畷の戦いで島津に負け島津による九州統一目前となりま
すが、どうにか阻止したい大友宗麟は秀吉に助け舟を求めます。
秀吉による九州征伐の始まりですね。
この時、宇都宮鎮房は島津に属していましたが、呆気なく秀吉に寝返ります。
家を残すためには仕方ありませんね。
そんな鎮房が何故?頑強に抵抗したのでしょうか??
本領安堵のお墨付きを秀吉から貰ったと言われていますが、お墨付きなど戦
国の世では何の意味もありません
武力を背景にした最高権力者の前では紙切れ同前。
何故?大幅に加増され12万石の大名として存続を図らなかったのか?全く理
解に苦しみます
肥後での一揆に呼応して反旗を翻せばどうにかなるとでも思ったのでしょうか?
秀吉を甘く見ていたとしか言いようがありません。
情報判断が出来なかった田舎侍だったという事でしょうね。
ところで
官兵衛の息子・長政ですが、どうも僕のイメージからほど遠い感じがしています
武辺者で戦ともなれば自ら先頭を切って切り込むイメージでしたが、ドラマでは
神経質で陰湿、たえず何かに怯えている様に描かれている気がしてなりません
線の細い松坂桃李が演じているせいなのかも知れませんね。
これから成長していく過程で僕のイメージしている長政に近づくかも知れないと少
しは期待しているのですが…