何かにとりつかれているような義朝、まるで鬱状態でしたね
本来頼りになる筈の一族ですが、その殆どを殺してしまった
のですから仕方ありません
一族の殆どを亡くした者と一族の殆どが生き残った者の差で
しょうか??
逆に清盛は吹っ切れたような感じさえします
信西の命令を逆手にとって大宰大弐を目論む清盛ですが、も
し就任出来れば西国の防衛、外交、経済を一手に握る事が出
来るのです
西国は都からも遠く言わば無法地帯。
商才があれば莫大な富を得る事ができます。
その富を背景に大臣、いや総理大臣を目指そうとしている清盛、
政治に金がかかるのは今も昔も変わらない様ですね
実の親子でありながら天皇の座を巡って対立している後白河と
守仁親王
繋ぎの天皇として擁立された後白河ですが、守仁親王に中々譲
位しません
美福門院からの圧力は相当のものだった筈です
この時期の後白河天皇はまだ絶対的な権力を握っていなかった
のです
後白河天皇にとって頼りになるのは信西だけだったのですが、そ
の信西も元々は鳥羽法皇の側近で美福門院とも深い関わり合い
があるのです
美福門院による譲位の圧力にはさすがの信西でも逆らえなかった
のでしょうか??
いよいよ守仁親王に攘夷を決断した後白河天皇、二条天皇親政派
VC後白河上皇院政派の始まりです
実の親子同士で対立したり院政と親政が入り乱れ実際政治を動か
しているのが誰なのか??とても複雑で分かり辛くこのへんが低視
聴率の原因なのかも知れませんね
ところで
守仁親王の母は早くに亡くなり鳥羽院と美福門院(得子)によって育て
られたと言われています。
生みの親より育ての親と言いますが、美福門院を実母のように慕って
いた守仁親王にとって後白河天皇との距離は中々縮まらなかったよう
です
愚鈍な後白河に比べて「末の世の賢王」と賞賛されたほど才気に溢れ
た天皇だった二条天皇。
当然後白河が行おうとしている院政に反発、自らによる親政を始めよう
とします
一緒に過ごした事も口を利く事も無かった親子、親子の情は殆ど無かっ
たと僕は思っています。
いよいよ平治の乱へのカウントダウンが始まりました
院政を行うため自分が自由に操れる側近を作りたかった後白河とその
後ろ盾でのし上がってきた藤原信頼
平治の乱は信西・信頼のいわば身内同士の権力争いなのですが、その
元を糺せば後白河の権力欲から始まったといっても過言ではありません