函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

風林火山と貧乏将軍足利義昭!!

2007-08-13 | 歴史
晴信が砥石城で村上軍に負けたとは…
勘助はさぞ驚いたでしょう
まさか自分が甲斐へ戻る前に村上と戦を始めるとは。
その上、宇佐美定満にまで自分の素性を見抜かれていたとは…
全く、策士策に溺れるですよね。
上には上があるものです
景虎と宇佐美が手を結べば、武田も敵わないでしょうね。
実際この先、武田の前に立ちはだかるのは今川でも北条でも
ないのですから…

ところで
信玄は死に臨んで「自分の死を三年隠せ」と遺言したと言います
しかし、家康をはじめとして主な武将には直ぐに知れるのです。
ここに全く蚊帳の外に置かれた人物が一人!!
貧乏将軍と言われた足利15代将軍、足利義昭、その人です。
この義昭には全く情報が入らなかったようだ
人徳が無いと言えばそれまでですが、信玄の死後三ヶ月もたってから
信長打倒の軍を起こしたと言う説もあるくらいなのです。
勿論、信玄の力を当てにしての事だと思われますが…
本当だとすれば、何と間抜けな将軍なのでしょう
人間落ちぶれると、正確な情報も入ってこなくなるのですね。
この説によれば、三好氏と手を結び兵を挙げた様なのです。
義昭は山城の国、槙島(まきしま)城で反信長の兵を挙げて
信長軍に城を包囲されると、あっけなく降伏し京都に逃げ帰った
と言います。
ここに室町幕府は事実上終演をむかえる訳です
この後、毛利に身を寄せたりしていたのですが、秀吉が天下を取ると
捨扶持として一万石を与えられ、権力と縁の無いところでのんびり暮
らしたと言います
義昭の後半生は意外と悠々自適のシルバー人生だった様です
秀吉の御伽衆として、61歳でこの世を去るまで…
征夷大将軍になりたい秀吉が義昭に猶子にしてくれるように頼んだのです。
おそらく、豊臣幕府を作りたかったのでしょうが、義昭はきっぱり
断っているのです
源氏の血だけは守りたかったのでしょうね
あっさりと猶子にして、秀吉を関白にした近衛前久とは大違いですよね。
プライドだけは人一倍強かった最後の将軍です


コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする