函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

風林火山と市川文書!!

2007-07-09 | 歴史
もう誰も晴信を止めることは出来ない。重臣たちにも勘助にも
負け戦で晴信の目を覚まさせようとする勘助。
その勘助に敵意を表し、真っ向から反対する甘利
どんな手を使ってでも勝つと宣言する甘利
晴信、勘助、板垣、甘利とそれぞれ別々に戦に備えているが、これでは
勝てない。
皆バラバラだー目的は同じなのに残念
晴信よ早く目を覚ませ!!と言いたいところですが、晴信も人間
大きな失敗をしないと分からない様ですね
結果論ですが、村上との戦で板垣・甘利をはじめとする多くの家来を
失う事になるわけですから、代償は大き過ぎます。
結局、晴信は父信虎と同じ道を歩もうとしている訳ですが、武田家のもつ
血筋なのか?それとも上に立つ者の宿命なのか?負けた事の無い者が誰しも
持つ恐怖心なのか
唯一、板垣だけは負けを恐れる為に戦を続けていると見抜くのですが…
自信を持てと晴信に諭す板垣、さすが晴信の守役、迫真の演技です
果して、死を決意した板垣の諌言に晴信は耳を傾ける事が出来るのか?
それとも、動き始めた戦は誰にも止められないのか?
何れにしても、晴信が目を覚ますのはもう少し先になりそうですね

ところで、市川文書をご存知でしょうか。
38年前発見され、山本勘助が実在したと言う証拠となった古文書
なのです。
中身は、晴信が家臣の市河藤若宛に書いた手紙なのですが…

山本勘助が実在したかどうか、長い間疑われていたのです。
その理由は、甲陽軍艦にしかその名前が登場しないからでした。
甲陽軍艦自体が信憑性の高い書物ではないので、尚更ですね。
しかし1969年に市川文書が発見されるのです。
市川氏の子孫は、我が北海道の釧路に在住しているのですよ。
所蔵していた文章は、武田晴信が自軍の市河藤若に宛てた書状で、
晴信の直筆であることも確認されています。
その中に『使者として山本管助が口頭をもって伝える』と書いていたのです。
又、『重要なことは、使者山本管介が口頭をもって伝える』とも書かれている。
この書状の持ち主が市河藤若の子孫の市川氏だったため、俄然勘助の存在が
クローズアップされた訳です。
市河氏の子孫から出たものなので信憑性もかなり高い!!
勘助と管助の違いだけですものね。
しかし、この文書からは軍師としての勘助はまだ想像出来ないのです。
あくまでも、信玄の口上を伝える軍使としての山本管助なのか、それとも
軍師に近い役割を負っていたのか?
以前にも書きましたが、勘助の存在自体は間違いない様なのですが
軍師の山本勘助は存在したかどうか、そこはまだ何とも言えないのです。
その内に又、古文書が発見されるといいですね
最新情報です
来年4月から3ヶ所で釧路市の指定有形文化財・市川文書の公開を
するそうですよ
指定以来初めての一般公開と言う事ですが、実際に見てみたいものです。
山梨県・新潟県・大阪府で公開するそうですが、場所までは分かりません。
函館にも来ないかなーと思っているのですが…




にほんブログ村 その他日記ブログへ

にほんブログ村 地域生活ブログへ





コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする