80分の1丁目16番地

ペーパースクラッチによる車両作りを中心に1/80、16.5ミリゲージの鉄道模型を楽しんでいます。

下河原線最後の日に走ったのは101系トプナン・ユニットだったのか?

2023-09-17 03:28:55 | 中央東線周辺
以前、「下河原線を走った101系・・・半世紀前の歴史をたどる」と題した投稿の中で、下河原線の営業最終日に走った5両編成の列車の中にクモハ100+クモハ101とみられるユニットが含まれていたことをご紹介しました。

より正確に申し上げるならば、Mc+M'cのユニットではなく、M+M'cの「M」すなわちモハ101をクモハ101に差し替えたものではないかというニュアンスの文章を書いていました。当該の編成は次の写真です。国分寺駅へ戻ってゆく列車を後追いで撮影されたものです。

(出典:-70年代の追憶-  鉄道ファンだった頃「在りし日の下河原線」)


これについて読者の方より、「クモハ100+クモハ101は『クモハ100-1+クモハ101-1』ではないかと思います。」との情報をいただきました。ご教示いただいたzyusai様ありがとうございます。101系のユニットに関する子細な考証から導き出されたとのことで、「量産車第1陣で中央線初期の組み換えの嵐をくぐり抜け最期まで離れずにいた、のではないかと思っております。」とのコメントに、この頃まで2連ユニットが残っていたのか!と驚きました。全文はこのリンク先にある記事のコメント欄をご参照ください。


検証のため引用元の写真の車番部分を拡大してみました。最後尾のクモハ100です。画質が荒いですがハイフンの後は確実に一桁で、ほぼ「1」と読んで間違いないようです。残念ながら2両目のクモハ101は角度の関係で読み取れませんが、クモハ100-1+クモハ101-1のトップナンバーどうしのユニットであった可能性はかなり高いといえます。

(出典:-70年代の追憶-  鉄道ファンだった頃「在りし日の下河原線」より部分拡大)


ところでこのトプナン・ユニットですが、どうして後年まで生き残ったのでしょうか。ふつう考えられるのは基本または付属編成のユニットが定期検査に入る時に代わって組み込まれるものですが、ユニットの分解で検査時期が揃っていないユニットも多かったでしょうし、「付属編成がTc+Mc+M'Cだった!!」などという目撃談も聞かないので、代打で組み込まれる時は離れ離れになっていたのかも知れません。

あるいは、ふだんから下河原線の運用に優先的に入っていたのかも知れません。前回の記事に書いたように停止位置目標に「2」は無いので2連単独ではなく、例えば付属の3連と組み合わせた5連がデフォルトだった、とか。

競馬開催時の東京駅からの直通7連は、「下河原23」編成(ストレート5連)とこのトプナン・ユニットを連結した7連で運転されたこともある・・・などという話がもしあったとしたらタイムマシンを買ってでも見に行きたいと思います。笑

また話が脱線してしまいましたが、下河原線の最終日はモールで奇麗に飾られたクモハ40の陰で、101系の栄光のトップナンバー・ユニットもささやかな華を添えていた可能性が高いことが分かりました。貴重な情報をお届けいただいたzyusai様に改めて御礼申し上げます。


ということで、「まあ中間にクモハを入れない普通の5連でもいいかな、、」と安易な方向に傾きかけていた心に喝!を入れ、既に仕入れてあるホビーモデルのキットのうち2両をクモハ100-1+クモハ101-1として組み、残りの3両は番号が不明ながら、変則5両スタイルの最終日編成を目指したいと思います。


コメント (5)
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