80分の1丁目16番地

ペーパースクラッチによる車両作りを中心に1/80、16.5ミリゲージの鉄道模型を楽しんでいます。

1976年の岳南鉄道

2011-11-10 23:44:04 | 実物・資料系(過去)
こんばんは。
またまた音信が途絶えてしまいました・・・(汗)

全然模型をいじっていないばかりか、鉄分補給もままなりません。

次の4枚は、先々週に「0系のある公園」へ行った帰りに撮った、岳南鉄道の写真です。この日はとても天気が良くて、冠雪はないものの富士山がくっきりと見えていました。
しかし、車のナビ画面を頼りに手探りで探した撮影ポイントばかりで、イマイチすっきりした写真が撮れなかったのが残念。昔と違って線路脇に家が建て込んじゃって、なかなか開けた場所がないんですね。昼間に走る車両はどれも井の頭線の3000系を両運化した7000形ばかりでした。


(神谷~岳南江尾間の踏切にて)



(上の写真より岳南江尾寄りの路地から)



(岳南富士岡~須津間を行く吉原行き)



(終点・岳南江尾で顔を揃える7000形)


最近のローカル鉄道は、JR、私鉄ともにダイヤが極限までスリム化されてしまい、終点でさえ撮影時間が5分くらいしかないケースも珍しくありません。上の写真も右の電車はまるで都会の地下鉄のようにそそくさと引き返して行きました・・・

そういえば、大昔にここへ来たときは、こんなに家は建ってなかったよな~
などと思いつつ、古いアルバムをゴソゴソ探したら出てきました。
私の写真にしては珍しくちゃんと撮影年月日が記されていて、1976年(昭和51年)10月1日と明記してあります。高校の友人と訪ねた時の写真でした。
この時は東海道線を東田子の浦で降り、田んぼのあぜ道みたいなところをテクテク歩いて岳南江尾駅へ向かったのです。


で、やっとたどり着いたのはいいのですが、何か雰囲気がおかしいのに気づきました。いくらローカル私鉄とはいえ、当時はまだ貨物も人も今よりは運んでいた時代。なのに駅は閑散としていて、先ほどの7000形が止まっていた位置には、はいこのとおり、ベニヤで目隠しされたED32 1電機と2両の電車がポツンと留置されていたのです。



上の写真の反対側。止まっている電車は2103(手前)と2105(中間)という元小田急の車両で、背後はごらんのように一面田んぼが広がっています。



画質の粗い写真でなぜ車番がわかるかというと、アルバムの裏表紙にこんなイラストが残してあったからなのです。岳南江尾駅は、駅構内の配線はほぼ今と変わりませんが、右手に伸びる三島化工への専用線がまだ活きていた様子がわかります。神谷駅は昔から1面1線の無人駅。ホームにはベンチの代わりにバスのシートが置いてあった、とメモされています。須津(すど)駅はだいぶ変わったようで、今ではこの図の下側に描かれた側線群はなくなり、家が建っているようです。よくこれだけメモしたものだと我ながら感心してしまいます。



さて、待てど暮らせど電車は来ず、線路は赤錆び信号もついていない・・・
これはまさかの廃線かぁ?
インターネットなど夢のまた夢だった当時、リアルタイムの情報などあるはずもなく、キツネにつままれた気持ちで、とりあえず線路を歩き始めました。


その過程で描いたのが上の配線図というわけなのですが、なぜ須津までの3駅分しかないかというと、須津から次の岳南富士岡へ向かう途中で我々は、思わず息を呑む光景に出会うことになるのです。そこには折れて沈み込んだ鉄橋が・・・



なんと集中豪雨の影響で橋脚が流され、こんな状態になってしまったのです。これでは電車が来るはずもありません。



この被害をもたらした集中豪雨が何だったのか調べてみました。すると1976年9月8日から14日にかけて日本全土を襲った台風17号であることがわかりました。
死者161名、全壊家屋1,669棟など、すさまじい台風だったようです。その約半月後、何も知らない高校生「鉄」二人は、のん気にこのミニ私鉄訪問を実行に移したのでした。


この流失しかけた鉄橋を恐る恐る渡り(写真もあるのですが割愛・・・)、やっとたどり着いた岳南富士岡駅には「動く」電車が待っていました。左が日車標準車体をもつ1100形で、右は元小田急の1600形のようです。



実は、この先どうしたのか全く記憶がありません。写真もこの岳南富士岡駅を最後に撮っていないようなのです。まあ、電車が走る線路をそのまま歩き続けたとは考えられないので、このまま電車に乗って吉原へ出たのだと思いますが、車窓に見えていたであろう工場群の景色も、ツリカケの音色も全く覚えていないとは、よほど崩壊鉄橋の印象が強かったのでしょう。


岳南富士岡~須津間にかかるこの鉄橋は、今では何事もなかったように復旧していますが、せっかく費用投じて復旧させた鉄路もJR貨物の撤退通告で、いよいよ土俵際に追い込まれてしまったようです。どうか少しでも長く富士のすそ野を走り続けて欲しいものです。


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コメント (8)
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