石造美術紀行

石造美術の探訪記

京都府 綴喜郡宇治田原町岩山字中出 真言院五輪塔

2008-10-25 11:28:26 | 五輪塔

京都府 綴喜郡宇治田原町岩山字中出 真言院五輪塔

宇治田原町の総合文化センターや町立図書館、住民体育館等の公共施設が集まっているところから北東、直線距離にして約500m程の小高い山腹、南側からは尾根に遮られあまり目立たない場所に亀井山真言院がある。03西側すぐのところには宇治田原随一の古社として知られる雙栗神社がある。詳しいことは調べていないが別当寺だったのかもしれない。木々に囲まれた境内は静寂そのもので、南面する本堂の西側、鎮守社のある尾根の斜面に優れた反花座を備えた立派な五輪塔が立っている。00反花座は幅約93cm、高さ約25cm、受け座の幅約63cm、南北方向に直線的な割れめがあり、台座は元々1/3と2/3に2分割されるものであった可能性がある。蓮弁は抑揚感のある複弁式で側面一辺あたり主弁3葉、小花(間弁)4葉、隅が小花にならないタイプである。これは大和で多く見る隅が小花になるタイプの反花座と異なる。蓮弁の彫りに際立ったシャープさは感じられないものの整美な反花といえる。側面幅に比して受け座の幅が小さく、どちらかというと全体に低平でどっしりした台座である。五輪塔は塔高約163cm、地輪幅約58cm、高さ約40cmと高すぎず低すぎず、水輪の球形はよく整い、直線的な硬さや裾がすぼまった感じは受けない。幅約55cm、高さ約43cm。火輪は軒幅約54cm、高さ約35cm。軒口は中央で厚さ約11cm、隅で約14cm。隅にいくに従い厚みを増しながら反転する軒反りはスムーズで、下端より上端の反りが目立つ。01_2空風輪は大きめで、台座も含めた五輪塔全体のバランスを絶妙に引き締める視覚的効果をあげている。風輪幅約32cm、高さ約16cm、空輪は幅、高さとも約28cm。空輪と風輪の間のくびれは深いが脆弱な感じはない。風輪の鉢形の曲面のアウトラインに直線的なところがなくスムーズな曲線を描く一方で上端はきっちりまっすぐに仕上げている。空輪の最大径はやや上方にあるが宝珠形は完好な曲線を描き、直線的な硬さはまったく感じさせない。空輪頂部には小さい突起がよく残っている。花崗岩製で、各部とも素面で梵字などはみられない。表面的な観察からは刻銘は確認できない。総じて細かいところまで手抜きのない堅実な出来映を示し、全体のバランス感覚にも優れているが逆にまとまりすぎてこれといった特長がないといえるかもしれない。造立年代について、川勝博士は鎌倉末期と推定されている。硬さはないが豪健さはややなりを潜め、温和な調子がにじみ出ているようにも見える。こうした全体の印象に加え、火輪の軒反の様子などから川勝博士の推定のとおり、鎌倉後期でもおそらく末期に近い頃、概ね14世紀前半頃の造立と推定できる。町指定文化財。

参考:川勝政太郎 「京都の石造美術」 150ページ

静かで緑豊かな木陰、苔むした地面に立つ五輪塔は落ち着いた佇まいを見せ、訪れる我々に、何というか安心感のような感覚を与えてくれます。境内にはこのほかに戦国期頃のものと思われる小形の宝篋印塔や舟形背光五輪塔などの石造物が散在しています。

なお、近くの禅定寺にある五輪塔はやや時代の降る康永2年(1343年)(康永元年説も…)銘があり、こちらは台座は隅が小花になる大和系のものです。同じ地域の近い年代の五輪塔に異なるタイプの反花座が採用されています。反花座を考えていく上で実に興味深いものです。そういえば近くの大宮神社にある宝篋印塔は格狭間内に三茎蓮を持つ近江系のデザインを採用しており、近江、大和、京都の石造文化の交わりを考えていくうえで宇治田原町は実におもしろい場所です、ハイ。


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