滋賀県 蒲生郡日野町北畑 八幡神社宝篋印塔
北畑は日野町の東端に近い地域で、集落北側の丘陵端に八幡神社が鎮座している。拝殿の背後から急な石段を上ると正面に南面する社殿があり、そのすぐ西側、石積みの崖下の隅っこに中型の宝篋印塔がぽつんと立っている。花崗岩製で、基礎下には前後2枚からなる延板石の方形基壇を備えている。風化の程度や石材の質感が塔本体とよく似ていることからこの基壇も当初からのものである可能性がある。笠や塔身の背面にかなり欠損があり基礎も割れてモルタルの補修痕が痛ましいが、いちおう基礎から相輪まで揃っており辛うじて正面観は保たれている。塔高約151cmを測る五尺塔である。基礎は上二段で側面は壇上積式。各側面に整った格狭間を配するが、格狭間内は素面で近江式装飾文様は見られない。基礎幅は葛と地覆で約50cm、束部はそれより1.5cmほど狭い。高さは約34.5cm、側面高は約26cmである。塔身は幅約25.5cmで高さ約26cmとやや高さが勝る。塔身各側面には金剛界四仏の種子を薬研彫しているが月輪や蓮華座は伴わない。現状で正面南側を向いているキリーク面の残りがよく、種子の向かって右側に「正安元年六月十八日/村人敬白」の陰刻銘がある。風化によりところどころ厳しい部分もあるが概ね肉眼でも判読できる。背面のウーン面から向かって左側のアク面にかけての隅が大きく欠けている。種子は端正で筆致もしっかりしており、大和などに比べ塔身の種子が総じて貧弱な傾向が強い近江にあっては雄渾な部類に入るだろう。笠は上5段下2段で軒幅約46cm、高さ約36.5cm。隅飾は軒と区別して若干外傾し基底部幅約16cm、高さ約18cmで笠全体に比して少し大きめにしている。二弧輪郭式で輪郭内は素面。上側の弧が大きいのに比べ下側の弧が極端に小さい。正面側の隅飾2つはよく残っているが背面側の笠の欠損は大きく隅飾は2つとも失われている。笠上の段形は6段が一般的かつ本格式であるが、5段にするのは近江でも特に湖東地域でよく見かける手法で、簡略化とも考えられるが、正応4年(1295年)銘の東近江市柏木町正寿寺塔や、低平な基礎と一弧素面の隅飾を持つことから13世紀後半に遡ると推定されている寂照寺塔(これは北畑の東に隣接する大字である蔵王にある)などかなり古い段階から採用されている。相輪は高さ約52.5㎝、下請花は八葉各弁とも彫りが深く覆輪部を軽く盛り上げ弁先を少し外反ぎみにする手の込んだ手法を見せる。小花を設けないので弁先が一層際立って見える。九輪は逓減が少なく太く短い印象で太めの沈線で各輪を区切る。上請花も単弁だが小花付で相輪全体に比して大きめに作る。主弁八葉の弁央に稜を設け、側面をわざと直線的に仕上げてしゃきっと立ち上がる蓮弁を上手く表現している。宝珠はやや重心が高いが側面の描く曲線はスムーズで上請花との境目を太めにして脆弱感はない。惜しくも先端の尖りが少し欠けている。全体に荘重で安定感があり上下の請花の異なった意匠がもたらすメリハリ感が効いて出色の出来映えを示す相輪である。ところで、基礎の壇上積式というのは、輪郭を巻いただけの枠取りより一層手の込んだ側面の手法で、左右の束部分を少し内側に引っ込ませ、上下の葛と地覆が框状になってあたかも本格的な壇上積の基壇のように仕上げるやり方。近江では宝篋印塔や宝塔の基礎に多く採用されており、近江系の特長のひとつと考えられているが、鎌倉時代後期でも前半以前に遡る在銘例は案外に少ない。正安元年(1299年)銘を持つ本塔は、近江における壇上積式の基礎を備えた宝篋印塔として在銘最古である。一方で優秀な相輪と基礎を壇上積式にする以外にデザイン的にはやや控えめな点は注意を要する。もっとも近江系のいくつかの特長、具体的には①壇上積式の基礎、②格狭間内の近江式装飾文様、③三弧輪郭の隅飾、④隅飾内に蓮華座月輪を配して種子を刻む、のうち①から④まで全て備えたフルスペックの宝篋印塔は意外にもそれほど多くはなく、14世紀初頭よりも古い在銘品に限れば正安2年(1300年)銘の竜王町弓削阿弥陀寺塔や正安3年(1301年)銘近江八幡市上田町篠田神社塔くらいで、関西形式の宝篋印塔の典型としてよく引き合いに出される米原市清滝徳源院の京極家墓所の伝氏信塔(永仁3年(1295年)銘)も基礎は輪郭式で壇上積式ではない。多くは①から④のいずれかを単独、または複数を組み合わせているが、どれかは足りないものがほとんどのように思う。なお、滋賀県のお隣、岐阜県海津市の蛇池宝篋印塔が壇上積式の基礎を備え、近江でも古い壇上積式基礎の宝篋印塔に比肩する時期の正安二年銘を有している点は留意すべき事実である。
参考:川勝政太郎「近江宝篋印塔の進展(二)」『史迹と美術』357号
田岡香逸『近江の石造美術(一)』
池内順一郎『近江の石造遺品(上)』
日野町教育委員会町史編さん室編『近江日野の歴史』第5巻文化財編
写真左中:これが川勝博士も絶賛の相輪です、写真右中:壇上積式の基礎、写真左下:背面の欠損がよくわかるアングル、写真右下:キリーク面の刻銘です。これも今更小生が紹介するまでもない著名な宝篋印塔で諸書に取り上げられています。近江における壇上積式基礎の宝篋印塔の在銘最古例です。でも近江式装飾文様はないんですね、正面観は整っていますが背面の欠損が痛ましく惜しまれます。なお、例によって文中法量値は実地略測によりますので多少の誤差はご勘弁ください。