石造美術紀行

石造美術の探訪記

滋賀県 犬上郡甲良町正楽寺 若一神社宝塔

2007-02-01 00:59:33 | 宝塔・多宝塔

滋賀県 犬上郡甲良町正楽寺 若一神社宝塔

国道307号を東に折れ、名神高速道路の下をくぐり正楽寺の集落から、佐々木(京極)道誉の菩提寺と伝えられる古刹勝楽寺に通じる道路の北側に若一神社がある。民家の軒先のような参道を進み、大きくない境内に入るとすぐ宝塔が目に入る。

06_1 周囲より少し高く整地し二重の切石基壇の上に立つ基礎から相輪まで全て揃った見事な宝塔である。壇上積式の基礎はやや高く、北側背面を除く三方に開蓮華入り格狭間を飾る。塔身軸部には三方に扉型を陰刻、北側のみ素面とし、首部との間に框座を廻らせる。笠下に二重の垂木型を表現し、軒は厚く隅で力強く反る。隅棟は稚児棟を彫り出し、若干の照りむくりがある。頂部はほぼ垂直に立ち上げ側面無地の露盤を表す。相輪も遺存状況、彫技ともに優れ、伏鉢はやや背が高く、凹凸をはっきり刻み出す九輪を挟む請花は下複弁、上単弁。最上部の宝珠は完好な曲線を見せる。花崗岩製。目立った欠損もなく、風化も少ないため、全体にすっきりとしてシャープな印象がある。高さ約2.2m(※2)。

面白いのは塔身軸部の扉型のうち、東側の一面のみ左右に平行四辺形が付き観音開きになった表現で、あまり例を見ない。基礎格狭間は大きく側辺の曲線や花頭曲線が伸びやかで、格狭間内の彫りがやや浅く平板で、鎌倉様式をよく示している。造立年代について、佐野知三郎氏が「當先考沙弥願念十三/年忌奉造立之/延慶四年(1311年)辛亥二月廿八日/願主清原□□」の銘文を発表されている(※3)。ただし、銘文の場所の記載がなく、恐らく基礎か塔身軸部の北側素面部分にあると思われるが、肉眼では確認できない。大正年間に勝楽寺から移建されたという。

なお、地名の元になったと思われる勝楽寺には南北朝期~室町初期の優れた重制無縫塔三基をはじめ、見るべき石造美術が多く、裏山は道誉が築いた勝楽寺城跡である。あわせて訪ねられることをおすすめしたい。

 参考

 ※1 滋賀県教育委員会編 『滋賀県石造建造物調査報告書』 91ページ

    同書には室町時代製作で総高5mとあるが、2.5mの誤りと思われる。

 ※2 川勝政太郎 『歴史と文化 近江』 176ページ

 ※3 佐野知三郎 「近江の石造美術(二)」『史迹と美術』590号

 


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