和歌山県 東牟婁郡那智勝浦町那智山 青岸渡寺宝篋印塔
西国三十三箇所の第一番として著名な青岸渡寺。観音堂の向かって右手、地蔵堂の脇、鐘楼の手前に重要文化財指定の宝篋印塔がある。目を見張る大きさで、基壇をあわせると高さはゆうに4mを越える。塔高は約11尺9寸というから略々12尺、約3.6mに達する。花崗斑岩製(一説に石英粗面岩つまり流紋岩製、いずれにせよこの地元産の石材である)。元々この場所にあったわけではないようで、大字市野字滝原という場所(不詳、市野々の間違いか?)にあったという。また、古い写真をみると境内においても移動しているようである。自然石を積んだ上に長短の延石を方形に組み合わせた基壇(上端一辺約2.2m、延石部分の高さ約33cm)を設け、上端に幅約145cm、高さ約23cmの反花座を据えている。この基壇は当初からのものか否かは不詳。延石部分は一具と見ても支障はないように思う。反花座は長短3種類の石材を組み合わせた構造で、東側だけが継ぎ目がなくおそらくこれが正面と考えられる。逆に西側は左右2箇所に継ぎ目が見られる。反花座側面高約11cm、蓮弁の弁先と側面との間が7.5cmも空いているのが特長。蓮弁は抑揚感のある複弁式で隅弁は間弁にならないタイプ。ただし隅弁は複弁にせず覆輪付の単弁としている。両隅弁を除くと一辺あたりに三枚の主弁を配し、各主弁間にはそれぞれ間弁(小花)を挟み込む。上部の受座は幅約107cm、高さは非常に低く5mm程しかない。基礎は幅約104cm、高さ約49.5cm。南北に継ぎ目が見られることから東西2石からなるものと考えられ、西側を除く各側面とも外縁を枠取りをして輪郭を残し内側を彫り沈めて格狭間を入れている。輪郭の幅は左右が約8cm、上下が約6cm、格狭間は幅約78cmあり、輪郭内いっぱいに大きく表現され、花頭部分がまっすぐであまり肩の下がらない整った形状を示す。西側の側面のみは素面とし、6行にわたり「依先師権律師/慶賢宿願所令/造立也矣/元亨二壬戌三月日/願主禅尼善覚/大工藤井景成」の造立銘が陰刻されており、肉眼でもなんとか確認できる。慶賢という師の宿願に基づいて善覚という尼さんが藤井景成という石工に作らせたというもの。これらの人々がどういう人物なのかは不詳。元亨2年は鎌倉時代末期、1322年。基礎上には幅約83.5cm、高さ約25cmの別石反花座を載せ、塔身を受けている。側面高は約11㎝、基礎下の反花とよく似た意匠の抑揚感のある複弁式の蓮弁だが、両隅弁を除くと主弁は一辺あたり1枚で、両隅弁も複弁とし間弁にも覆輪を付加してより装飾的になっている。側面と弁先との間はあまり開かない。受座は幅約59cm、高さはほとんど計測できないほど低い。塔身は幅約52.5cm、高さ約52cm、各側面とも蓮華座上の月輪を陰刻し、金剛界四仏の種子を雄渾なタッチで薬研彫している。笠は上6段下2段で、下2段は別石としている。軒幅約93cm、軒厚は約10cm。別石の段形は上段幅約77cm、下段幅約59cm、上段下面は意図的に水平にはせずに斜めに切っており、四隅に稜線がうっすら出来ている点も面白い表現である。隅飾は基底部幅約26cm、高さ約30cm。軒から3cmほど入って立ち上がり、直線的にやや外傾する。三弧輪郭式で内に径約10.5cmの円相月輪を平板陽刻し、中に種子を陰刻している。隅飾の種子は一様でなくバイ、イーなどが確認できる。これは十二天中の天地日月すなわち梵天、地天、日天、月天を除く八方天、つまり東北伊舎那天(イー)、東方帝釈天(イ)、東南火天(ア)、南方閻魔天(エン)、西南羅刹天(ニリ)、西方水天(バ)、西北風天(バー)、北方毘沙門天(バイ)を表しているとの考え方が示されている。さらによく見ると月輪の位置がカプスの中央にあったり、やや下方にあったりと各面で微妙に違っている点もおもしろい。相輪はやや側面の直線部分が目立つものの均整のとれた伏鉢、複弁八葉の下請花、逓減が強く凹凸をはっきり刻んだ九輪、小花付素弁の上請花と下端のくびれがやや強めの宝珠といずれも優れた意匠表現を示している。優美な反花座を用いる装飾的な表現やところどころ別石とする点が特徴で、全体に少し縦長な印象でどっしりとした安定感には欠けるものの、規模の大きさの割に細部までよくいきとどいた丁寧な作りに石工の並々ならぬクラフトマンシップを感じる。隅飾の一部を少し欠く以外に大きな欠損もなく遺存状況良好で紀年銘も貴重。なお、西側の鐘楼にかかる梵鐘には2年後の元亨4年の陽刻銘がある。また、地蔵堂を挟んだ南側の目立たない場所にも同じくらいの大きさの立派な江戸時代の宝篋印塔がある。
写真右上:あまり紹介されたことがないようなアングルからのカットです。写真左2段目:反花座、基礎の格狭間などの様子、写真右中:隅飾の月輪にご注目、位置が微妙にずれています。写真左3段目:笠下別石の段形。中段下端にわざと傾斜をつけている点は心憎い程の念の入れようです。写真右下:相輪です。残りがいいです。写真左下:銘文の後半部分。元亨二の文字がわかると思います。
文中総高ないし塔高以外の法量値はコンベクスによる略測ですので多少の誤差はご容赦ください。大き過ぎて笠の軒から上はコンベクスでは計測不能でした。反花の蓮弁など地理的に近い大和よりもむしろ京都の宝篋印塔に近い雰囲気を感じました。なお、参拝客の怪訝そうな視線を背中に感じながら基壇に上って単身コンベクス計測を敢行しておりましたところ、お坊さんにやんわりとご注意を受けました。この場をお借りしましてお詫び申し上げます。良識ある皆さんはまねをしないでください。まぁ普通の人はこんなことはしませんね、ハイ。
参考:川勝政太郎 新装版「日本石造美術辞典」東京堂出版 1998年
服部勝吉・藤原義一 「日本石造遺宝 上」大和書院 1943年
巽三郎・愛甲昇寛 「紀伊國金石文集成」熊野速玉大社 1974年
児玉義隆 「梵字必携」朱鷺書房 1991年
拙ブログもおかげさまをもちまして今回で通算200回を数えることになりました。今後ともご愛顧、ご指導賜りますようお願い申し上げます。