石造美術紀行

石造美術の探訪記

滋賀県 愛知郡愛荘町平居 生蓮寺宝篋印塔

2008-02-03 02:03:18 | 宝篋印塔

滋賀県 愛知郡愛荘町平居 生蓮寺宝篋印塔

平居集落の北東寄りに浄土宗生蓮寺がある。山門を入りあまり広くない境内の左手、ブロック塀沿いに立派な宝篋印塔がある。13_2花崗岩製、高さ162cm、基礎は直接地面に置かれているようで基壇等は見当たらない。上2段式で側面四方に輪郭を巻き内に格狭間を入れており、西側はブロック塀に接し見えないが各面とも三茎蓮花のレリーフを配するようである。輪郭は左右が広く上下が狭い。格狭間は輪郭内に大きく配され、上部花頭はまっすぐで側線のカーブは下方がやや硬く、まっすぐ立ち上がる脚間はやや狭い。19全体として伸びやかな印象の優れた格狭間といえる。格狭間内の三茎蓮花は各面ともよく似た意匠で、大きい葉が左右対称に下向きかげんに外を向いている。輪郭、格狭間、三茎蓮花ともに彫りは浅く、平らに仕上げている。基礎幅約59cm弱、側面高32cm余。塔身は金剛界四仏の種子を、月輪を刻まず直接薬研彫する。本来西側であるべきキリークが正面東側になっている。02 端正なタッチだが勇健さはない。幅約29cm弱、高さ約30cm。笠は軒幅約54cm、上6段、下2段で、幅・高さとも非常に大きい隅飾は、軒と区別してほぼ垂直に立ち上がり、一弧素面で各面に大きくアを直接陰刻している。隅飾の先端は5段目に達し、幅は軒の1/3を越える。相輪は高さ約54cm、下請花は複弁、上請花は副輪付単弁のようで、伏鉢と宝珠の曲線はまずまずだが九輪はほとんど線刻で間隔が不統一かつ平行でない。無銘ながら各部揃った優品で、大きい隅飾のインパクトが強い。造立時期の決め手に欠けるが、幅に比して背の高い塔身、低めの基礎、左右幅の広い基礎輪郭、浅く平らな格狭間や三茎蓮花の彫りなどいずれも古調を示す。一方、相輪は全体に彫りが拙く退化を示すと思われる。ただし相輪は全体的にやや短い観があり、別に相輪の残欠が脇あるので別物かもしれない。相輪を別物と仮定し長大で特徴的な隅飾を定型化以前のものと見れば鎌倉後期でも始め頃、13世紀末ごろまで遡る可能性がある。すぐ南隣にもひとまわり小さい宝篋印塔があるが寄せ集めである。このうち笠はなかなか立派なもので上5段下2段、隅飾が二弧輪郭式で内部に種子を直接刻んでいる。

参考:佐野知三郎 「近江石塔の新資料(一)」 『史迹と美術』412号

平居は先に宝篋印塔を2度にわたり紹介した広照寺のある畑田の北隣にある集落です。平居の西隣の東円堂にある真照寺には鎌倉末期とされる笠下請花式の宝篋印塔があります。また北隣の栗田の本善寺には六字名号を塔身に刻む完存の宝篋印塔があるとのこと(未見)。さらに西隣は東近江市勝堂町で、ここの瑞正寺にある宝篋印塔は一茎蓮、鎌倉後期初めごろの優品。勝堂の共同墓地には完存する南北朝ごろの五輪塔があります。この付近は湖東地方でも最も石造美術の分布密度の濃い場所です。(この密度の濃い分布状況は小生などからみればなんともうらやましいかぎりです)鎌倉時代の終わりごろから室町時代にかけて隣り合う村々で競いあうかのように次々と宝篋印塔など石造塔婆が造立されたのでしょうか。それだけ中世には経済的にも豊かで信仰心に厚かった土地柄ともいえるかもしれませんね。

(高さ162cmは佐野氏報文を参照、各部寸法はコンベックスによる現地実測)