とだ*やすこの「いまここ@島本」

暮らしの豊かさ最優先!
ひとが主役のまちづくり!

大阪府島本町議会議員
とだ*やすこの活動報告

映画「ゆずり葉」を観る

2010年05月08日 | とだ*やすこの活動日記
財団法人・全日本ろうあ連盟が創立60周年を記念して制作された映画「ゆずり葉」が全国で各地で自主上映されています。今日、ふれあいセンター・ケリヤホールで観ました。いい映画でした。ちょっと言葉では表現できない感動でした。

大和田伸也さん、林家正蔵さん、西村知美さん、山口果林さん、素晴らしい役者さんが出演されていますが、この映画の出演者の多くは聴覚障害をもった方です。監督もまた、生まれたときから耳が聞こえませんでした。ごくごく普通に毎日を生きる姿が描かれる一方、聴力がないということが「命」に与える影響を鮮やかに訴えて胸を打つ名作です。

当事者の訴えが法律を変え、その法律が人の生きる権利を保障する・・・この映画を通じてわたしはそのことを実感することができました。それでいて「ゆずり葉」は映像が美しいごく普通の名作なのです。素晴らしい映画でした。島本町では島本町聴力障害者協会が主催されました。ありがとうございました。

画像はJR山崎駅のホームにて
刈り込まれ躑躅の紅は毬のごと 靖子
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救える命を救いたい

2010年05月06日 | とだ*やすこの活動日記
高槻市にある三島救命救急センターに視察に行ってきました。日頃交流のある大阪府の議員、高槻市の議員で自主的に行った視察です。高槻市議が呼びかけてくださいました。「地域医療・保健事業推進協議会」に属していることもあり、また、島本町も多額の運営費を負担しているので、一度必ず行っておきたいと思っていました。

全国でも珍しい救急単独の施設で(全国で3箇所)、専門医が専属で救命治療にあたるという、有難くも頼もしい施設です。今年に入って、要請があっても受け入れられないというケースが急速に増えたそうです。マスコミやドラマなどでセンセーショナルに取り上げられるわりには、足元の地域では注目されない。これが現実です。

建物の耐震化を考えると、規模を拡大しての建替えが望ましいと考えておられます。高槻・島本だけではなく「三島地区」を視野に入れ、茨木市や摂津市とともに運営することで財政基盤を拡大し、救急救命としての機能向上に努めたいとも考えておられます。医療の高度化による設備投資は膨大。さらなる広域化によって解決していく必要があるという現場の声でした。

島本町も多額の運営費を負担しています。北摂地域の自治体は「市民病院」をもっていませんので、理念として負担はあってしかるべきとわたしは考えています。救急は究極の地域医療です。第一次、第二次、第三次医療が揃ってこその地域医療です。「命」に直結する第三次医療が地域にあるということの意味を実感しました。同時に、課題が山積ということも。
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新緑の憲法記念日

2010年05月03日 | とだ*やすこの活動日記
黄金週間を大原の里で過ごすという母を訪ねました。京都、大原、寂光院。父の晩年に豊かな彩りを添えてくださった大原の里のみなさんに感謝しつつ、新緑に包まれた憲法記念日を過ごしました。

従姉妹の夫が大原の出身というご縁で、駐車場の管理と長らく閉鎖したままであった小さな土産物の店番を、ここ数年、観光シーズンに限り父と母が自由に楽しませていただいていました。もともとは竹の皮で包んだ(京都デザイン賞を獲得)佃煮を置いており、過去、学生の頃のわたしは大原女の姿で店を手伝っておりました。

西海岸、ディズニー、洋楽の流れる喫茶店が流行した80年代、お、お、お、大原女・・・と絶句。そこはアルバイトといえども持ち前のプロ意識。友人には内緒のお忍びアルバイトでしたが、今思えば修学旅行生にそれなりの人気があり、今でいうところの「コスプレ」でした。

思い出しても残念な寂光院の放火事件を機に、周辺は寂びれてしまいました。本堂再建の後は、時代の流れもあり旅先で大量にお土産を買う観光客は珍しくなりました。京都名産、和風の品々が集められた駅構内の超大型店でまとめて購入、「宅配」を利用して自宅に送って身軽に帰宅できる時代です。

歩いてみてわかったことですが、三千院方面の土産物店も疲弊していると感じました。人通りはあっても立ち止まって買い物をしている人は稀、魅力的な展開と感じるお店はごくごくわずか。コインで買える、自分の、その場のものが売れており、怪しげな串差しの揚げ物やアイス胡瓜・アイス茄子と、棒を手に食べながらぶらぶら歩く人が多いのには閉口しました。

一方で駐車場のある「里の駅」はびっくりするほどの賑わい。完全無農薬を謳った農産物、添加物不使用の柴漬け、つきたてのお餅、草餅(よもぎ)や紫蘇のお餅、お赤飯、お弁当、クッキー・・・おそらくは地元の女性が生産者でしょう、既存の土産物店にはない不思議な活気に満ちていました。

駅前の大規模土産店と観光地の格差だけでなく、同じ観光地内にも「里の駅」と既存の土産物店との格差が生じていることを実感しました。シャッターを下ろしたままの店が増えていました。母が店番をしている店は、寂光院の参道にある小さな店ながら、やはり「開いている」ということの意味は大きく、周辺店舗の方にとてもよくしていただいています。

母のお友だちがみなさん手弁当で参加。60歳から70歳後半、今日一日遊べてお昼代が出れば幸いというノリで「お店屋さんごっこ」を満喫してくださっています。基本「仕入れない」ということにして、母やお友だちの手づくり品を並べるという方針です。

晩年の父は週末になると店先をうろうろ、ぶらぶらし、通りがかりの人に「どっから来はりました?へぇ、和歌山、みかん送ってもらわなあかんな」「新潟?米、送ってくれはりまっか」と声をかけては無駄口を楽しみ、近くの茶店が大忙しの時期には助っ人として活躍していたそうです。

信じられないことに「お米、送りましょう」というご婦人(農家の女性)があり、新潟からコシヒカリが届きました。お礼に京都のお菓子を送り、その後の交流がはじまったそうです。以降、毎月お米を分けていただくことになり、新酒の時期には、めったに流通しないという越乃寒梅(字、あってますか?)を頂戴して驚きました。

ところで、寂光院は出家した建礼門院・徳子(平清盛の娘・高倉天皇の中宮)が晩年を過ごした秘境の寺です。壇ノ浦の合戦で、わが子安徳天皇を抱いて入水した実母を追うように自らも海に身を投げ、平家の滅亡のその日を目の当たりにして源氏側に引き上げられた悲劇の女性(「平家物語」:どこまでが史実のなのでしょうか)。

建礼門院、このとき29歳ということですが、20数年後にこの世を去るまで、ひたすら亡き人の霊を弔い、質素に暮らされたといいます。寂光院や三千院のある大原の里は、念仏行者の修行の地であり、貴人の隠棲の地であったそうです。諸行無常、大原は戦の虚しさを語り継ぐ地です。


画像は、三千院奥「音無しの滝」
声明の練習中、滝の音が音律に同調して音が消えて無くなったことから名付けられた滝
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