< 充実した展示の九州国立博物館>
大宰府天満宮の美しい菖蒲池や「如水の井戸」を巡って行くと、九州国立博物館に出た。
お目当ては4階の常設展「海の道、アジアの道」だったが、3階の特別展示室で兵馬俑展をやっていた。
博物館の中は「撮影禁止」のため、写真はない。
兵馬俑の、将軍や兵士の、一人一人異なる顔は、緊迫感があって、すばらしい。その後の中国やアジア圏で見られる仏像彫刻などと比べて、いかにも人間的で、個性的である。
中国という国は不思議な国で、春秋、戦国時代から秦帝国に至る紀元前の時代が、歴史のダイナミックな動きにおいても、諸子百家を生み出した思想的営みにおいても、或いは、兵馬俑のような美術品を見ても、いかにも生き生きして、「人間」が躍動している。
ところが、そこから時代が新しくなるにつれて、アジア的古代専制国家として、沈滞していく。
人間賛歌の古代ギリシャ、ローマの時代から、キリスト教の支配する陰鬱な中世へと進んだヨーロッパと似ているが、ヨーロッパの場合はその後、ルネッサンスがあり、ブルジョア革命があった。
一方、中国は、今も、アジア的専制国家のままである。皇帝とその儒教的官僚群による中央集権国家は、そのまま中国共産党組織に引き継がれている。
4階の常設展は、「海の道、アジアの道」をテーマにして、縄文時代から、魏志倭人伝の時代を経て、江戸時代に至る5つのゾーンによって構成される。
お目当てにしていたのは、その弥生時代、魏志倭人伝の時代であるが、なかなか充実していて、全部をゆっくり見るには、何度か足を運ぶ必要がありそうだ。
< ひとこと >
あの「モナリザ」を含めて、パリのルーブル美術館も、オルセー美術館も、フラッシュをたかなければ自由に写真撮影できる。日本では、どこもかしこも写真撮影禁止だ。ガラスのケースの中の考古学的遺物を撮影して、何が問題なのか?? そもそも誰のための博物館なのか??
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< 神体山に起源をもつ竈門 (カマド) 神社 >
竈門神社は、太宰府天満宮から20分ほど北東の方向へ県道を走った、宝満山 ( 古くからの名は竈門山。標高829m ) の山懐にある。別称は宝満宮。
この神社が世に出たのは、太宰府 (天満宮のすぐ西の一帯) の東北、鬼門の方角にあり、「太宰府鎮護の神」として崇敬されるようになってから。
もちろん、信仰の起源はそれより遠く遡り、今も山頂に祠のある宝満山が、古来から神体山として信仰されていたらしい。
「カマド」の名の由来については諸説あるが、宝満山 (竈門山) の形が竈 (カマド) に似ており、雲や霧が絶えず、竈で煮炊きする様子に似ているため、とする説が、いかにも万葉風で、古代の風韻を感じさせる。
平安時代以降は神仏習合が進み、宝満山は九州における修験道の有数の道場となっていった。
現在、竈門神社、宝満山を含む一帯が、国の史跡に指定されている。
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石の鳥居の向こうはいかにも鬱蒼として、山に分け入るような坂道の参道である。
登るにつれて、雨露に濡れた緑が深く、シャクナゲの白や淡いピンクの花が迎えてくれた。7、8分で、境内に着く。
簡素で、いかにも神社らしい風情がある。
高校生の姿を見るのは、太宰府跡→天満宮→国立歴史博物館と回って来た修学旅行生だろうか ?地味だが、日本の心を感じさせる。
(竈門神社)
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夜は二日市温泉に泊まった。国道の脇にあるが、少し奥まって、源泉かけ流しのなかなかの湯だった。