1960年ごろ、私が東京の大学に合格すると、以前から単身赴任していた父の勤務地の大阪へ、住み慣れた岡山から引っ越した。
あの時代、18歳で、たった一人、東京に出て行くことは、今で言えば、ニューヨークかパリに留学するようなものだったかもしれない。
東京は遠い。今、パリへ行くより、当時の東京へ行く方が時間がかかった。
新幹線はまだなかったから、岡山から試験を受けに行ったとき、夜行列車で14~15時間くらいかかっただろうか。
深夜に一人、岡山駅の暗いホームに立ち、やって来た列車は超満員で、列車のデッキに入るのがやっとだった。乗ってから5時間、大阪まで立ったまま身動きもできなかった。夜が明けるころにやっと大阪に着き、暖かい車両の中に入れたが、それ以後も、東京までずっと立ちっぱなしだった。もちろん、一睡もできなかった。名古屋を過ぎたころから車内で聞こえてくるカッコいい大学生の、加山雄三のような東京弁に気後れした。
ずっと後になって、あの東京へ向かう夜汽車こそ自分の成人式だったのだ、と思うようになった。
入学後は東京に下宿し、家は大阪に引っ越した。大阪~東京間が急行で7時間半、夜行なら10時間くらいはかかった。
高度経済成長期に入ったとは言え、日本はまだ貧しかったから、サラリーマンの家庭で息子を東京の大学にやることは大変だった。だから、一度上京すれば、 長期休暇以外のときに汽車賃を使って帰省するわけにはいかない。帰らないのと、帰れないのとでは、気持ちが違う。その「遠さ」の感覚が、今なら海外留学だと思わせる。
東京での生活は書生らしく、節約した。3畳1間の下宿で、昼は学食、夜は100円程度の一膳飯屋、風呂は銭湯。本代も、服代もなかった。生活費の半分は家庭教師その他のアルバイトで稼いだ。級友たちに夏の旅行に誘われたこともあったが、断った。カネがなかった。
それでも、入学当初は、シャンソンの流れる喫茶店で、当時50円のコーヒーを飲みながら、「今、あこがれの東京にいる…!!」と、しみじみと幸福感に浸ることもあった。あの当時は、なぜか、喫茶店のコーヒーの良い香りが店の外まで香っていた。
しかし、最初の半年間も過ぎると、貧しさと孤独感が心に沁みるようになった。
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夏の長期休暇が終わると、再度上京するため、大きなスーツケースを持ち、御堂筋線に乗って大阪駅へ向かう。
父の会社は梅田新道にあったから、いつも律義に大阪駅の東京行きホームまで見送ってくれた。
父はプラットホームでお茶と新聞を買い、浜松で鰻弁当を買うようにと500円札とともに渡してくれた。500円はありがたかった。
東京へ向かう列車の旅はわびしかった。見知らぬ人たちとともに4人掛けボックス席に座り、新聞にも、本にも目を向けることができず、ただぼんやりと小雨降る窓の景色を見ていた。
そのころすでに、高度経済成長は始まっていたが、それでも当時の日本の田園風景は美しかった。
広がる田んぼの緑も、遠く小雨に霞んで見える山々も、浜名湖も、晴れてきて右側の車窓に見える太平洋も、富士山も、眺めていて飽きることがなかった。
富士山が近づくと、車内のたいていの人は、車窓からその姿を探した。山側の席の人は、海側の席の人や立っている人が富士山を見やすいように気を使って、身を引いたりしたものだ。
今では東京まで、「のぞみ」で3時間足らず。窓の外の景色を眺めている人など、まずいない。
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上京するときはいつも朝の列車だったが、帰省のときはなぜか夜行列車を使った。
夜行列車は 1 駅ごとの停車時間が10分、20分と長く、駅でもない所にぐずぐすと停車し、昼の列車よりずっと時間がかかった。その長い一夜を窮屈な4人掛けボックス席で過ごさなくてはならない。
にもかかわらず、なぜ夜行列車にしたのだろう? 夜は下宿でのびのびと寝て、朝の列車に乗れば、身体も楽なはずなのに。
もしかしたら、夜、東京を発つことに青春の情感を感じていたのかもしれない。
窓は、夜露に濡れて / 都すでに遠のく
北へ帰る旅人ひとり / 涙流れてやまず
(北帰行 / 旧制旅順高等学校寮歌)
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ある夜。
季節は思い出せない。7月から8月、或いは12月末、或いは3月。
夜汽車の外が明るいことに気づき、そのうち、熱海の海を照らす月光から、今宵が満月であることを知った。
これだけ明るければ、富士山も見えるかもしれないと、期待した。
そして ‥‥
暗い夜空に、大きな満月が出ていた。
当時、この辺りに人工の灯りは何もなく、煌々と照らすその月光の下に、富士山がくっきりと、その秀麗な姿を浮かび上がらせていた。
ただただ感動しながら、頭の中でこれをどう形容すべきか、考えていた。
雅やか。そう、「夜は闇」の王朝の時代に、月下の富士は、このように美しかったに違いない。
陰暦八月十五夜。大きな満月の夜。或いは美々しく武装し、或いは麗しい衣をまとった天人・天女たちが、美しい駕籠を乗せた雲とともに、かぐや姫を迎えに舞い降りてくる、あの時代の富士山だ。
洋の東西を問わず、私の生涯で、最高に美しいと感動した景色は?と問われたら、第2、第3はすぐには思いつかないが、第1位は、躊躇なくこのときの光景である。
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その富士山が、世界文化遺産に認定された。
これは、日本人にとって、最高にすばらしい出来事である。
( 西伊豆から見た朝の富士 )