一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

終戦記念日の4時から男(後編)

2020-08-26 00:06:19 | 新・大野教室

第7図以下の指し手。▲2二と△1三香(投了図)
まで、Shin氏の勝ち。

第7図で△1四歩▲同玉△2五角以下の詰めろがかかっており、▲1二とも△1三香▲同と(▲同角成もある)△1四歩で負けと読んだ。ここでも△3二桂が、うまい具合に2四歩を支えているのだ。
といって▲2六歩と指す気も起こらず、私はヤケの▲2二と。Shin氏の△1三香に投了した。
途中までは敗勢だったが、終盤は逆転して私の勝ちだった。心の整理がつかないまま感想戦となる。焦点は第4図の▲4三歩で、△同金ならShinの勝ちだったと思う。
ところが局面が飛び、Shin氏が
「(第7図からの)▲2二とでは、▲6三銀成△同玉▲6四角成(参考A図)であぶないと思いました」
と吐露したから驚いた。

「エッ、そんな手があった!? ▲6四馬の形になって金銀があれば詰むでしょ。△7二玉に▲7三金で」
以下△6一玉▲6二銀△5二玉▲5三銀成……。簡単な追い詰めである。「詰んでた!? じゃあ▲2二とが敗着か!!」
私は再び叫ぶ。いやこれは久々にやってしまった。だが▲6三銀成が見えなかったのだからしょうがない。
「私は(大沢さんとの対戦成績の借金を)ひとつ返せてホッとしましたよ」
とShin氏。
改めて感想戦を続ける。終盤の▲4三歩には△同金が正着であろう。以下▲5二馬には△3二銀がピッタリだ。Shin氏は△4三同金に▲4四歩を気にしたが、それも△同金で構わない。私は金1枚では何もできない。
それなのに▲4三歩に△3一銀打はココセっぽく、流れは私に傾いた。
第5図からの△1七金でも、△1七歩成がベターである。だが私は△3二金も気にしていた。検討では▲4三桂△2一玉▲4四銀くらいで先手勝ち、と結論づけたが、そこで△2二金打と強防してどうか。これでもShin氏が残していたと思う。
本譜△1六歩には▲1八玉を検討すると、わずかに詰まなかった。だがソフトに掛ければ、意外な筋で詰むかもしれない。
第6図からの△3二桂には、▲同香成△同玉▲4四桂△4三玉▲4二角成△同玉▲3一角(参考B図)以下詰みで先手勝ち。そこを▲2三桂はひどかった。

いや、最後の最後にヘマをやって、私はボヤキまくった。
さて、私は次、誰と指すのだろう。
ところがShin氏は早速Og氏と対局をし、ほかの4人も対局もしていて、私ひとりが残ってしまった。仕方ないから今日はこれで上がりとし、対局観戦である。
Shin氏はOg氏の振り飛車にエルモ囲いを採り、相変わらずの作戦巧者ぶりである。ほかの2局も面白い。
Og―Shin戦は、終盤はShin氏が二枚飛車で必勝形だったが、Og氏が△9三玉で耐える形で、最後にうっちゃった。この辺が元奨励会初段の剛腕で、私たちオジサンはなかなか勝ち切れないのだ。

全対局が終わり、少し雑談。Yos氏は還暦を過ぎているが、現在再就職先を探しているという。確か警備の仕事をしていたと思うのだが、そこは辞めたらしい。私はYos氏に就職先を世話してもらうことも考えていたから、誤算だ。
「私の職場なら、履歴書を出せば即採用ですよ」
「そうですか。私はでも、まだ営業の仕事に拘っているところがあるのです。でも歳がいってて」
「大沢さんはいくつなの?」
「50代です」
「なんだまだ若いじゃない」
「……」
長崎県川棚「あんでるせん」のマスターは、「50代の人には40代の人が、60代の人には50代の人が若く見える」と言ったが、その通りらしい。
さて、食事である。佐藤氏は帰ったが、それでも総勢8人で、久々の大人数である。熟年夫婦が営業している定食屋に行った。お盆期間だが店は開いていて、客は私たちだった。これで十分にソーシャルディスタンスを取れる。
ではここで、席の配置を記しておこう。

出入口
   Yos    大野  Shin
壁   □    □    □
  Taga Tok Og W 一公
     壁

ここの定食はどれも美味いが、私はから揚げ定食を頼んだ。美味しくいただき、食後はゆんたくである。
私は夏子さんのことを話したが、まあ、私の席の周りは当ブログの読者なので、新たな情報はない。ただ、私とOg氏との会話に熱が入ってしまって、間にいたW氏は若干迷惑だったようである。
帰り道はShin氏、Yos氏、Tok氏と駅まで一緒だ。私は夏子さん絡みの話を続ける。
「当時は20代(後半)で結婚なんて、早すぎると思ってた。30代でもどうか、っていうところ。40代で結婚してもいいと思ってたよ」
と私。するとShin氏が
「いまの(晩婚の)風潮ならそれもアリですけど、私たちの若いころって、その認識がありました?」
「……」
Shin氏、私の強がりにサラッと流してくれればいいのに、そこは厳しく衝いてくる。昨年就職した会社は、ミーティングでの社長の追及が厳しかったが、あれを思い出した。「あ、ああそうだね、オレも1988年前後の女性の平均初婚年齢を調べたけど、25.7歳だった」
「じゃあ男性となると」
「27、8歳だろうね」
「じゃあ……」
20代で結婚しても、早くないじゃないですか、というわけだ。傷口をえぐるわぁ、Shin氏。
あー、26年前の9月15日の渋谷に戻りたいと思った。
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終戦記念日の4時から男(中編)

2020-08-25 00:08:17 | 新・大野教室

第2図で少年に▲2六銀と指されていたら、△1四歩▲3七銀で大切なと金を取られ、上手が戦意喪失になるところだった。
しかし少年は▲1七飛と浮いたので、私は△3六とと引き、これは私の優勢になった。
ちなみにここ、船戸陽子女流二段だったら、「ここはよく考えましょう」と言って、再考を促す。前局の▲4四桂もそうである。これが私にはできないのである。
将棋は私が勝った。

2局目に指した少年が指し足りないようなので、またも私が再戦する。振駒で、私が後手となった。
対局開始。少年が早くに▲2五歩を決めてきたので、私は向かい飛車に振る。相居飛車は神経を遣うのでイヤだ。時々飛車を振りたくなるのである。
少年は▲5七銀左から急戦である。さすがに少年、どの戦法にも精通しているようだ。

第1図の△4四角が欲張った手。捨て置けば△3三桂で、のちの△2五飛や△2五桂を見る。
少年は▲4六歩ときたが、△3三桂▲5六銀△2五桂▲4五歩△3七桂成▲2二飛成△同角▲3七桂△3九飛(第2図)で、私が有利になった。

戻って少年の▲4五歩では、じっと▲2六銀だったと思う。
第2図以降は、△2四角~△6八角成▲同金に△7七香が決め手。この囲いは一段目に飛車を置き、△7七○、が決め手になることが多い。
以下は豊富な持駒を利用して、先手玉を討ち取った。

ここまで5戦全勝は望外の成績である。
次はいよいよShin氏と対局である。Shin氏はいい会社に長年勤め、しっかり家庭も持っているよきパパである。私から見れば眩しい存在でしかなく、彼と対等に渡り合えるのは将棋しかない。Shin氏が振って、私が先手になった。
▲7六歩△8四歩に、▲6八飛と振った。Shin氏は居飛車の定跡に精通しているし、さっきも書いたように、振り飛車で序盤はラクに指したかった。
しかしShin氏は早々と△4四角と出、△3三桂と跳ねる。地下鉄飛車を狙っているのかと思いきや、玉を2一に収め、いっそう固くする構想だった。
私は▲4五歩~▲6五歩と突っ張り、▲7五歩。もし△同角なら、▲3三角成△同金▲7五飛の桂得で先手有利という仕掛けだ。
Shin氏は駒組を進め、私は▲6八角。しかし▲5七歩型だったので、違和感があった。ここでShin氏が仕掛ける。

第1図以下の指し手。△8六歩▲同歩△4四歩▲7六飛△4五歩▲7七角△7四歩▲同歩△7五歩▲6六飛△4四角▲6七銀△6六角▲同角(第2図)

名人戦は渡辺二冠が勝ったようである。B級1組に落ちてからの名人は初めてのはずで(8月25日註:読者から指摘があったが、加藤一二三九段の例をうっかりした)、36歳の戴冠はうれしいだろう。おめでとうございます。
Shin氏は△8六歩▲同歩の突き捨てを入れたあと、△4四歩。▲同歩は△同角で調子がいい。私は▲7六飛と浮いたが、堂々と△4五歩と取られてしまった。
私は▲7七角と戻ったが、Shin氏は△7四歩。こんなもん、取る一手と▲同歩としたが、その瞬間△7五歩~△4四角があるのに気付いた。実戦もそうなって、対His戦だったら投了していたかもしれない。しかしまあ投げられないので、▲6七銀と引く。のちの△8六飛が角取りにならないためだが、これもおかしな手だった。といって、ほかに指す手もなかったのだが。

第2図以下の指し手。△8六飛▲9五角△8九飛成▲5一角成△5五桂▲同角△同歩▲4四桂△6八飛▲3二桂成△同金(第3図)

第2図でShin氏は当然のように△8六飛と走ったが、先に△6九飛もあったかもしれない。▲5八銀とは引けないので、この銀の処置に困ったところである。
△8六飛には▲9五角があったが、Shin氏は織込み済。以下△8九飛成として有利、の読みである。
▲5一角成には△4六桂がイヤだったが、Shin氏は5五に桂馬を置いた。これは▲同角と切り、返す刀で▲4四桂が勝負手である。この将棋、後手を引いていては負けになる。
とはいえ攻め合いの△6八飛も厳しい。私はとりあえず金を取ったが……。

第3図以下の指し手。▲5九銀△6七飛成▲4三歩(第4図)

第3図で▲5八銀打は先手にならない。といって▲5八金打は投入のしすぎ。仮に△6七飛成▲同金となっても、この金は一生働かない。そこで▲5九銀と打った。△6七飛成で銀は取られるが、飛車を三段目に追いやり、一段竜を2枚の駒で遮断している。
そこで▲4三歩と垂らした。

第4図以下の指し手。△3一銀打▲4二金△1五歩▲3二金△同玉▲4二金△2一玉▲3一金△同銀▲4二歩成△1六歩▲3一と△同玉▲3三馬(第5図)

第4図で私なら、ノータイムで△4三同金。以下▲5二馬なら△3二銀の要領である。でもShin氏は取らないと思った。とはいえ△3一銀打は疑問で、私は▲4二金と張り付き、かなり形勢が縮まったと思った。
△1五歩は急所の端攻めだが、まだ猶予がある。私は▲4二金から攻め、先ほどの▲4三歩がと金に昇格した。△1六歩には▲3一とと銀得し、勝手にせいの▲3三馬。さっきまで敗勢だったことを思えば、この展開は望外である。

第5図以下の指し手。△1七金▲同桂△同歩成▲同香△同香成▲同玉△1六歩(途中図)

▲1六同玉△8六竜▲4六歩△1五歩▲同玉△1二香▲1三歩△同香▲1四歩△2四角▲同馬△同歩(第6図)

Shin氏は△1七金と放り込んだが、もったいなかった。ここは△1七歩成でよく、▲同桂は△1六桂があるから、不可。よって▲同香と取るよりないが、△同香成▲同玉で、玉を引っ張り出せた。本譜はここで金を1枚手放している勘定になるから大違いである。
Shin氏はすでに秒読み。私は数分残っているが、指す手は限られている。しかし△1六歩にはもう少し考えるのだった。すなわち▲1八玉で残していると思ったが、相当あぶない。それで▲1六同玉と取ったが、これでもわずかに逃れていると思った。
Shin氏は△1二香と打って詰み、と見ていたようだが、私は▲1三歩~▲1四歩。これで1四からの脱出ルートができ、逃れている。Shin氏は△2四角と馬を消しにきたが、ここで私が先手を取っては、逆転したと思った。

第6図以下の指し手。▲5三角△4二角▲3三香△3二桂▲2三桂△2二玉▲1三歩成△3三玉▲4二角成△同玉▲3一角△5一玉▲5二銀△6二玉(第7図)

▲5三角はノータイム。△4二角に▲3三香もノータイム。△3二桂には▲同香成△同玉▲4四桂で詰みと思ったが、私はノータイムで▲2三桂と打った。△4一玉なら、▲3二香成△同玉▲4二角成△同玉のとき、▲3一角と打てる。ゆえに△2二玉だろうが、そこで▲1三歩成と、香を取りながら王手ができる。この順に魅入られてしまったのだ。
だが▲1三歩成△3三玉に▲4四金で詰みと思いきや、△2二桂が利いている。そこで▲4二角成と先の変化に合流させたが、△同玉▲3一角△5一玉▲5二銀△6二玉のときに、指す手が分からなくなってしまった。私もすでに秒読みである。どうする?

(つづく)
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終戦記念日の4時から男(前編)

2020-08-24 00:14:56 | 新・大野教室
大野教室はお盆の時期にも「第1、第3土日曜開催」を崩していない。これはありがたいことである。今年はコロナ禍で姪と甥が遊びに来なかったので、終戦記念日の15日、大野教室に行った。今回は「4時から男」である。
川口駅構内の立ち食いソバ屋でかけそばを食べ、午後3時45分ごろ教室に入る。すると土曜日なのに下駄箱が満杯だった。土曜日は客が少なくなっている、とW氏の弁だったから、これは異変だ。
W氏「あれ大沢さん、珍しいね」
「私は大沢さんが来ると思ってましたよ」
と、大野八一雄七段が散文的に言う。「前回のとき、Shinさんが15日に来るって言ってたからね。Shinさんと指しに来ると思った」
私は図星を指され、苦笑いである。もちろんShin氏も来席していた。
1局目は小学生低学年と思しき少年と指す。和室にはOg氏(指導担当)、佐藤氏、Tod氏、Taga氏、Ok氏、Tok氏らの姿があった。これだけ成人が集まったのは珍しい。いまは子供たちに席巻されているが、ちょっと前はこれが当たり前の光景だった。
平手なので振駒にし、私が先手になった。私が彼相手に先手か。まだ平手だからいいが、彼に駒を落としてもらう成人もいるわけだ。子供相手だと、これが結構な屈辱になるのではなかろうか。将棋は年齢のハンデなく戦える競技ではあるけれど、それがアダになる場合もある。
将棋は横歩取りになった。私は▲3四飛のまま▲5八玉から▲3六歩。いわゆる青野流だが、この先どう指していいか分からない。
少年は角を換え△2六角(第1図)。

以下▲3八銀△3五角▲同歩△3六歩▲4五桂となったが、これに△4四歩なら苦しいと思った。少年は△3七歩成▲同銀△2九飛を選び、私は▲6六角。これに△2二歩なら▲7五角とするつもりだったが、△5二金で二の矢がない。
少年は△2二歩とせず△1九飛成だったが、私は▲1一角成(第2図)として十分になった。

以下数手進んで第3図。ここで▲3二馬と決断する。以下△3二同銀▲3四桂△5一玉▲5三角成△同金▲同桂成△2五角▲7九玉△3六角打▲7一銀まで、私の勝ちとなった。
感想戦。第1図以降△4四歩の変化は、▲6六角で難しい、の結論になった。とはいえ私たちレベルの感想なので、定跡は違う評価なのだろう。
今日は第78期名人戦第6局が行われている。私が家を出る時は、渡辺明二冠が勝勢だったが、豊島将之名人はまだ粘っているようだ。プロ的にはオワリでも、すぐに投げられないところである。
教室の和室の隅では、Taga氏とOk氏が熱戦を繰り広げている。

Taga氏はともかく、60歳近くになって将棋を始めたOk氏の上達が凄まじい。大野七段は、「ヒトは何歳から将棋を始めてもアマ四段になれる」と言ったが、その通りなんだと思う。
このあたりで、Tod氏が帰ってしまった。Tod氏には現在の環境も含め親近感を抱いているので、食事会でいろいろ慰めてもらおうと思ったのに、大誤算である。
次にTod氏が大野教室に行くことが分かれば、私も駆けつけたいと思う。
私の2局目は、また少年と。今度は私の飛車香落ち。この手合いは厄介で、端を破られるのを覚悟しなければならない。かつて植山悦行七段は、「飛車香落ちを指すくらいなら、二枚落ちのほうが指しやすい」と言ったが、私も同意見である。
対局開始。△3四歩▲7六歩△4四歩のあとに、△3二金と指したのが躓きの元。▲1四歩△同歩▲同飛に△1三歩とせざるを得ず、そこで▲3四飛と横歩を取られてしまった。よく分からないが、上手がこの歩を取らせては失敗だと思う。
しかしそこから私が怪しい手を連発し、最後は私の勝ち。

3局目はまた別の少年で、また私の飛車香落ち。たぶんいくらか前は、大野七段と二枚落ちだったのだろう。そこから上達し、いまは飛車香落ちに昇格しているに違いない。つまり大野七段の教えをしっかり守っているわけで、油断のならない相手ということである。
対局開始。私は△3二金を後まわしにし、△3三角~△2四歩~△2二銀。少年は▲1四歩△同歩▲同飛と来たが、私は△2三銀。これで飛車が成れない仕組みである。
少年は▲1八飛と引き、私の△1四歩に、今度は▲4八飛と、こちらに戦機を求めてきた。

だが部分図の▲4四桂が錯覚。△同歩で▲3二角成とはできない。▲4四桂のとき待ったをしてあげてもいいのだが、それは少年のプライドを傷つける。黙って△4四同歩と取った。
少年は▲4四同飛としたが、△4三銀▲4八飛△3三角で、私はだいぶ楽になった。
「これは大山―升田戦みたいですね」
とOg氏の声。T君と対局中で、覗き込むと、Og氏の振り飛車に、T君が居飛車穴熊に囲っていた。
私「昭和43年の名人戦ですか?」
Og「はい」
私「第2局ですね」
Og「はい」
これは升田幸三九段の構想が冴えたのだが、終盤▲8一銀成の疑問手を指して惜敗したやつだ。
すると誰かが「マニアックな会話だ……」とつぶやいた。
私の将棋は、以下私が勝った。

感想戦は、▲4四桂より前の、下手の攻め筋を説いた。▲4四桂には触れないのがエチケットである。
しかし少年は消化不良だったようで、W氏がそこを汲み、再戦となった。
今度は少年もポカなく指したが、私は△5七角成(第1図)とし、まずまずの形勢。
しかしそこから数手進んで第2図の△5五桂が意味不明の大悪手。ここで少年に好手がある。

(つづく)
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将棋ペンクラブ、今年の社団戦に参加

2020-08-23 00:29:08 | 社団戦
22日に将棋ペンクラブ幹事のKan氏からメールをいただいた。チームとして今年の社団戦に参加する、との内容だった。
今年の社団戦はコロナ禍により開催規模を大幅に縮小し、団体戦4日・個人戦1日を廃止、交流戦3日とした。よって参加チームは大幅に減り、我が将棋ペンクラブは7部だが、7チームの参加に留まった。
ちなみに日程は以下である。

1日目:8月30日(日)12時30分~
2日目:9月26日(土)12時30分~
3日目:11月1日(日)12時30分~

場所は例年と同じ、東京都立産業貿易センター台東館。2日目は借りられるフロアの関係で、26日(土)になった。午後からの対局になり、昼食は各自済ましてくることになった。
ところで東京都は事業者向けに、「東京都感染拡大防止ガイドライン~「新しい日常」の定着に向けて~」をネット上に公開している。それを見ると、社団戦は「イベント」にあたりそうだ。
ちょっと引用してみよう。

□イベントを主催する場合は、観客同士が密な状態とならないよう、あらかじめ観客席の数を減らすなどの対応を行う。
□来場者の募集に際しては、来場者に対して大声での発声や歌唱、声援を行わないなど、来場者が順守すべき事項をあらかじめ明示する。
□来場者が順守すべき事項は、イベント受付など会場の至る場所に掲示等を行うとともに、イベントの合間等を活用し定期的なアナウンスを行うなどの取組を講じる。

である。
今回の社団戦に関しては、1チームの参加人数を5人としていることと、参加チームが激減したこと、それでいて同じ2フロアを使うことから、社会的距離は十分に取れると思う。

私は参加の意向に賛成だったので、というか、夏子さんの件をペンクラブのみんなに話したかったので、参加する旨を記し、Kan氏に返信した。
第1日目は1回くらい参戦させてもらえると思うので、それまで将棋の勉強をしておこう。
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初タイトル獲得から二冠までの日数

2020-08-22 00:14:10 | データ
19日・20日は、福岡市にて、第61期王位戦第4局が行われた。ここまで木村一基王位の0勝、藤井聡太棋聖の3勝。世間は藤井棋聖の二冠誕生を望んでおり、木村王位は旗色が悪い。また藤井棋聖が今後4連敗することも考えにくく、第4局以降のどこで藤井棋聖が勝つか、が焦点になっていた。
将棋は木村王位十八番の相掛かりになったが、藤井棋聖も追随し、初日はほぼ互角。しかし2日目の封じ手で、藤井棋聖が飛車を切ったのが英断の好手だったようで、形勢は藤井棋聖に傾いた。
こうなれば藤井棋聖のものである。差はジリジリと広がり、あとは藤井棋聖の収束を待つのみである。17時、藤井七段の△7七角が放たれ、木村王位の投了となった。我が町では、5時を知らせるメロディーが鳴っていた。
これにて藤井棋聖は王位と合わせ二冠、同時に八段に昇進した。18歳1ヶ月で達成とは、何という記録だろう。
昨年秋に永瀬拓矢二冠が誕生したとき、私は10月3日のブログで、「次の二冠達成者は藤井七段になってしまうのだろうか」と書いた。それが1年足らずで、現実のものとなったのだ。
まさに現実離れで、たとえば将棋小説を書く場合、突拍子もない設定は別だが、中学生でデビューしていきなり公式戦29連勝、高校生にして渡辺明三冠からタイトルを奪うなどタイトル2期、棋戦優勝2回で八段昇進、などという設定にすれば、編集部から「夢物語もいい加減にしろ」と一蹴されるであろう。事実は小説より奇なりである。
まったく、私のような凡人とは住む世界が違うのだ。まあ私はプロ棋士を目指してないからまだエクスキューズは利くが、現役奨励会員は藤井二冠をどう捉えているのだろう。18歳以上の奨励会員はいくらでもいるわけで、その時点でこれだけ棋歴を引き離されては、才能の差を見せつけられて、腐ってしまうのではないだろうか。将棋界はとんでもない怪物を生み出してしまった。

藤井二冠の18歳1ヶ月二冠は、羽生善治九段の21歳11ヶ月を抜いて最年少らしい。3年10ヶ月も更新してしまい、この記録を破られることは、私の存命中にはもうあるまい。
また二冠同時戴冠は、私の調べでは藤井二冠で16人目だが、一冠目の棋聖から二冠目の王位までは、わずか35日だった。
これがどのくらい早いか、過去15人の二冠棋士と比較してみよう。
なお今回は、初タイトルを獲った日を起算とする。たとえば、竜王を奪取したが、のちに取られ無冠。そのあと棋王、王座と獲ったとしたら、竜王を獲った日から王座を獲った日までを計算する。

35日 藤井聡太二冠(2020.07.16棋聖~2020.08.20棋聖・王位)
73日 豊島将之竜王(2018.07.17 棋聖~2018.09.27棋聖・王位)
74日 南芳一九段(1988.01.12棋聖~1988.03.25棋聖・王将)
144日 永瀬拓矢二冠(2019.05.11叡王~2019.10.01叡王・王座)
353日 久保利明九段(2009.03.30棋王~2010.03.17棋王・王将)
670日 森内俊之九段(2002.05.17名人~2004.03.16竜王・王将)
742日 大山康晴十五世名人(1950.07.05九段~1952.07.15九段・名人)
908日 中原誠十六世名人(1968.07.19棋聖~1971.01.12十段・棋聖)
1,002日 羽生善治九段(1989.12.27竜王~1992.09.22棋王・王座)
1,640日 高橋道雄九段(1983.09.26王位~1987.03.23王位・棋王)
1,757日 谷川浩司九段(1983.06.15名人~1988.04.05王位・棋王)
1,893日 升田幸三実力制第四代名人(1952.02.12王将~1957.04.18王将・九段)
2,277日 米長邦雄永世棋聖(1973.07.20棋聖~1979.10.13棋王・王位)
2,465日 渡辺明名人(2004.12.28竜王~2011.09.27竜王・王座)
3,156日 佐藤康光九段(1993.12.10竜王~2002.08.01王将・棋聖)
3,684日 加藤一二三九段(1969.01.07十段~1979.02.08棋王・王将)


初タイトルを保持しながら二冠目を獲った例は、藤井二冠から久保九段までと、大山十五世名人、渡辺名人の7例。渡辺名人の竜王は9連覇の最中で、この間はほかに竜王を渡していない。
まったく意味はないが、藤井二冠を除く15人の平均達成日数は1,389日。加藤九段のように、初タイトルから二冠まで10年以上を費やした例もあり、二冠達成がいかに難しいかを物語る。そこを藤井二冠は、わずか35日で達成してしまったのだ。
どうであろう。今後藤井二冠にタイトル戦で勝てる棋士が出るだろうか。七番勝負で4勝、五番勝負で3勝は相当大変である。絶好調時の渡辺名人、豊島竜王くらいしか思いつかない。
この予想が間違っていなければ、今後藤井二冠は、タイトル戦に出るたび勝ち続けることになる。
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