一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

いい文章とは

2021-03-07 01:57:50 | プライベート
2日、私あてに1通の封書が届いた。昨年履歴書を送付した会社からだった。もちろんここは、書類選考で落ちていた。
中を読むとどうも、自社商品の販売代理店を募集、というものだった。社員としては雇えないが、オタクが独自でウチの品物を売ってくれれば、マージンは出しますよ、という感じか。
ただそれでも、一読しただけでは意味がよく分からなかった。書式もおかしなところがあった。
例えば「拝啓」の書き出しで始まった改行の2行目、先頭の1マスが空けてなかった。ところが次の改行では1マス空き、その次の改行では、また1マス目から書かれていた。
こういった乱れが、私には我慢できないのである。
文章も全体的に箇条書きみたいな感じで、リズムがない。原文のまま1行引用すると、
「当初、代理店として活動をして状況で社員にお願いしたいと思います」
とあった。言っている意味は分かるが、「てにをは」が破綻している。私はヒトの文章を添削できる身分ではないが、これは翻訳ソフトを使ったごとくで、とても日本人が書いた文章とは思われない。これでは会社の活動自体に不信感を抱いてしまう。
担当者名も書かれていなかったので、この会社にはいまのところ、連絡をするつもりはない。

いい文章とは何か。
私は以前から、「豊富な語彙力を持ち、リズム感があって読みやすいもの」と定義していた。
しかし最近は、これに疑義を唱えるようになってきている。なぜならこの定義でいくと、小学生低学年の書いた文章は下手っぴ、になってしまうからだ。だけど彼らの作文には唸る出来が少なくない。
そこで私が思う新定義である。いい文章とは、
「自分のいいたいことが読み手に100%伝わる」
ではないかと思う。
この当たり前のことが、実はなかなかできないのではないか。
例えば俳句の場合、17文字しかないから、逆に読み手がいろいろな味わい方をすればよい。
だけど長文になったら、自分の言いたいことが100%相手に伝わらないと、いらぬ誤解を招いてしまう。
文章を書くのは簡単なようだが、実は相当、難しい。例えば日常会話で「アレじゃん」で済ませていることも、文章では万人が分かるように、キッチリ説明しなければならない。
以前も当ブログで書いたことがあるかもしれないが、文章力を量る場合、何のテーマでもいいから、200字書かせればいいと思う。
200字は短いようで、結構長い。これだけあると、文章が不得手の人は、何が言いたいのかよく分からぬ文章になってしまう。

ここから先は、昨年の7月7日に書いたことの繰り返しである。
文章の陥りがちなうっかりに、「誰が」の省略があると思う。
考えていることを文章化する場合、書き手本人はすべてが分かっているから、読み手も分かっていると思い込むことがある。そのとき省略しがちなのが、「誰が何をしたか」ということだ。
それを言うと、書き手は「そんなの書かなくたって、誰がやったかは分かるじゃないか」と反論するだろう。だがよくよく読むと、判然としない箇所が少なくない。
むろん読み手とすれば、簡潔な文章がいちばんいい。だけどそれで文意が伝わらなければ本末転倒なので、多少しつこいようでも、書き手はきっちり書くべきだと思う。
そして、こうしたうっかりを回避する方法はひとつしかない。
全文を書いたのち一日置いて、第三者の新鮮な気分で読み直すのである。そうすると、当日では分からなかった瑕疵がボロボロ見つかる。
私もブログでこの手法を採っていて、毎日、過去記事をチェックしている。そして、他者では分からない小さな瑕疵を、こっそり訂正しているのである。
もっともそんな時間があったら、エン転職やマイナビミドルからのメールをチェックしろ、という話なのだが。
コメント (2)
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