最近見た夢を記しておこう。
まずは2月16日朝に見た夢。
ある女性がいて、1,600点とか、1,800点とか、持ち点がなくなることが良いことになっていて、女性は順調に持ち点を減らしていった。
場面変わって、高橋道雄九段と船戸陽子女流三段が練習将棋を指していた。局面は船戸女流三段が勝勢なのだが、船戸女流三段がなかなか指さない。
ふたりがよそを見ていたとき私が一手指したが、それが大悪手。しびれを切らした高橋九段が自玉の寄りを指南しようとしたら難しい局面になっていたわけだが、それでもまだ船戸女流三段に勝ちがあり、高橋九段は、寄り筋を教えてくれた。
……というところで、何となく目が覚めた。
続いて17日に見た夢。
これはイメージ的なものだが、ある9つの物体があった。それをイメージチェンジすることで、すべてが解決するのだった。
この夢は以前も見たことがある、と思った。9つ中8つまでチェンジしたが、そこで何となく目が覚めた。
18日は、夢の中で詰将棋を解いていた。寝る前に解いたものが、再び夢に出てきたのだ。
続いてはちょっと間が開くが、3月1日に見た夢。もちろんこの間にも夢は見ているのだが、起きると忘れてしまう。
私は近所のお店に勤めていた。店は2軒あり、私はその両方を行き来していた。2軒目の店は商店街の中にあった。でもそこでは売るものはあまりなく、事務所のようだった。
1軒目のお店でセロハンテープが入り用になったが、ない。それで私は自転車に乗り、2軒目のお店にセロハンテープを取りに行った。セロハンテープは4片くらいあればいい。適当に切り取って腕にでも貼り付けて行こうか……と思いつつ店に着いたが、そこでアラームの音に叩き起こされた。
さらに9日に見た夢。いくつもの夢を見ていたが、最後に憶えている夢である。
朝、私が起床すると、オフクロが、私あてに2つ電話があったと言った。それで私はピンときた。私は先日の奨励会三段リーグで2回目の次点を取り、四段申請したのだ。つまり棋士になったわけで、電話はその祝福だと思った。
それでこの機会に、私は両親に、棋士になったことを告げた。ただフリークラスなので、10年以内に規定の成績を取らないと現役引退に追い込まれる、という説明をした。
が、私は求職中なのに棋士になるのはおかしいと、これが夢であることが分かってしまった。瞼は開けなかったが、目が覚めた。
私も多くの夢を見てきたが、「これは夢だ」と気付いて現実に戻ったのはかなり珍しい。
当然そのあとは、激しい虚しさが襲った。現実はイヤだ。
続いて11日に見た夢。
棒グラフが何本かあり、それは大山康晴十五世名人や森安秀光九段だった。大山十五世名人は、棋聖戦リーグ入りしたようである(棋聖リーグは、いまはない)。
場面変わって、私はどこかの砂利道にいた。連れは成人女性と子供2人で、どうも私の家族のようだった。夢の中だから設定は自由なのだ。
私たちは大阪駅付近から寝台特急に乗るつもりだったが、あと1時間しかない。
通行者が見かねて、大型トラックを止めてくれた。私たちは乗れることになったが、私は荷台である。ただし荷台は畳1枚分しかなく、私は腹ばいになって、しがみつくようにして乗った。
場面変わって、私たちは駅近くの高級旅館に泊まり、風呂から出た。だがそんなことをしているヒマはなく、寝台特急の発車まで30分しかない。でも飛行機とは違うので、出発直前まで行けば大丈夫だ。まだ間に合う。
私たちはチェックアウトし、デパートの地下街に入った。ここが駅と直結していたようだ。
というところで何となく、目が覚めた。
このあたりで、アップしよう。
まずは2月16日朝に見た夢。
ある女性がいて、1,600点とか、1,800点とか、持ち点がなくなることが良いことになっていて、女性は順調に持ち点を減らしていった。
場面変わって、高橋道雄九段と船戸陽子女流三段が練習将棋を指していた。局面は船戸女流三段が勝勢なのだが、船戸女流三段がなかなか指さない。
ふたりがよそを見ていたとき私が一手指したが、それが大悪手。しびれを切らした高橋九段が自玉の寄りを指南しようとしたら難しい局面になっていたわけだが、それでもまだ船戸女流三段に勝ちがあり、高橋九段は、寄り筋を教えてくれた。
……というところで、何となく目が覚めた。
続いて17日に見た夢。
これはイメージ的なものだが、ある9つの物体があった。それをイメージチェンジすることで、すべてが解決するのだった。
この夢は以前も見たことがある、と思った。9つ中8つまでチェンジしたが、そこで何となく目が覚めた。
18日は、夢の中で詰将棋を解いていた。寝る前に解いたものが、再び夢に出てきたのだ。
続いてはちょっと間が開くが、3月1日に見た夢。もちろんこの間にも夢は見ているのだが、起きると忘れてしまう。
私は近所のお店に勤めていた。店は2軒あり、私はその両方を行き来していた。2軒目の店は商店街の中にあった。でもそこでは売るものはあまりなく、事務所のようだった。
1軒目のお店でセロハンテープが入り用になったが、ない。それで私は自転車に乗り、2軒目のお店にセロハンテープを取りに行った。セロハンテープは4片くらいあればいい。適当に切り取って腕にでも貼り付けて行こうか……と思いつつ店に着いたが、そこでアラームの音に叩き起こされた。
さらに9日に見た夢。いくつもの夢を見ていたが、最後に憶えている夢である。
朝、私が起床すると、オフクロが、私あてに2つ電話があったと言った。それで私はピンときた。私は先日の奨励会三段リーグで2回目の次点を取り、四段申請したのだ。つまり棋士になったわけで、電話はその祝福だと思った。
それでこの機会に、私は両親に、棋士になったことを告げた。ただフリークラスなので、10年以内に規定の成績を取らないと現役引退に追い込まれる、という説明をした。
が、私は求職中なのに棋士になるのはおかしいと、これが夢であることが分かってしまった。瞼は開けなかったが、目が覚めた。
私も多くの夢を見てきたが、「これは夢だ」と気付いて現実に戻ったのはかなり珍しい。
当然そのあとは、激しい虚しさが襲った。現実はイヤだ。
続いて11日に見た夢。
棒グラフが何本かあり、それは大山康晴十五世名人や森安秀光九段だった。大山十五世名人は、棋聖戦リーグ入りしたようである(棋聖リーグは、いまはない)。
場面変わって、私はどこかの砂利道にいた。連れは成人女性と子供2人で、どうも私の家族のようだった。夢の中だから設定は自由なのだ。
私たちは大阪駅付近から寝台特急に乗るつもりだったが、あと1時間しかない。
通行者が見かねて、大型トラックを止めてくれた。私たちは乗れることになったが、私は荷台である。ただし荷台は畳1枚分しかなく、私は腹ばいになって、しがみつくようにして乗った。
場面変わって、私たちは駅近くの高級旅館に泊まり、風呂から出た。だがそんなことをしているヒマはなく、寝台特急の発車まで30分しかない。でも飛行機とは違うので、出発直前まで行けば大丈夫だ。まだ間に合う。
私たちはチェックアウトし、デパートの地下街に入った。ここが駅と直結していたようだ。
というところで何となく、目が覚めた。
このあたりで、アップしよう。