15日に「将棋ペン倶楽部」2021年春・第75号が届いた。中身を紹介しよう。
恒例の新春対談は、渡辺明名人がゲスト。ホストはもちろん、木村晋介会長である。
渡辺名人らしい、歯に衣着せぬ話が心地いい。白眉は渡辺名人による観戦記への提言で、この項だけでも本号1冊分の価値がある。
渡辺名人は20歳で竜王を獲り、若くして一流棋士の仲間入りをした。それだけに、若いころから俯瞰的に将棋界を見ている。渡辺名人がいる限り、少なくともこの世代までは、将棋界は安泰に思える。
続いて観戦記者・後藤元気氏の「観戦記の現在と未来」。渡辺名人と将棋ペンクラブの対談を取り持ったのが後藤氏だった。それが縁で後藤氏も対談に同席したのだが、前述のように渡辺名人の画期的な意見があったので、それに呼応する形で特別寄稿となった。これも必読である。
井出洋介麻雀名人の「パイコマ交遊録」は、「コロナ禍の中で」。コロナ禍における麻雀界の現状をレポートする。まったく、やりきれない状態である。
続いて不肖私の「プロ棋戦での詰め上がり」。1月15日に指された第1期女流順位決定戦で、千葉涼子女流四段が山口絵美菜女流1級の玉を詰まし上げてしまった。プロ棋戦で詰みの局面が現れるのは珍しいが、皆無ではない。それで、私が記憶している「詰め上がり図」を書いてみようと思った。
大山康晴十五世名人から藤井聡太王位・棋聖まで、誰もが知る詰み上がり図ばかりだが、最後の2局は知っている人がほとんどいない、異色図である。
実はこれ、例によってブログネタにするつもりだった。しかしこれをブログに書くからいけないんだと、将棋ペン倶楽部に転用した。
ただ昨今は、アマの書き手がプロ棋戦の指し手や局面図を引用することは不可の傾向にある。今回の投稿に際し、編集部がそういった判断をしたら、つまりボツにするなら、それに従うつもりだった。
結果的には掲載になり、今回も編集部がうまくまとめて、ピッタリ5頁に収まった。一読したところ省かれた箇所はないので、改行を微妙に調節するかして、合わせてくれたのだろう。いつもながら見事な編集であるが、これは書いた私にしか分からない感慨である。
今回の原稿は、山口女流1級が最後まで粘ってくれなかったら、誕生していなかった。これは本当にそうである。いつもはこういう言い方はしないが、今回の原稿は、山口女流1級に捧げる。
続いて美馬和夫氏の「将棋狂の詩」。1969年に「近代将棋」に掲載された「アマ名人の全国歴訪 関則可六段八十一番勝負」の紹介である。安定の美馬節というところ。さりげなく挿入された、北海道将棋連盟設立におけるウラ話も興味深い。
黄信号氏選の「将棋川柳」は10句を掲載。私も投稿しようしようと思い、いつも忘れてしまう。
「将棋はどこから来たか 日本将棋の謎」は、湯川博士氏。研ぎ澄まされた文章がキッチリ4頁にまとめられている。
和田伸一郎氏は久し振りの投稿で、大崎善生氏編「傑作将棋アンソロジー 棋士という人生」の書評。
後藤康文氏の「棋響園」は連載第9回。今回はマクラにあたる部分が特に面白い。
林慎氏も久し振りの投稿で、「たった一手の大盤操作、大名人の置き土産」。大名人の生涯最後の名手を、独自の視点から考察する。
続いては新たな書き手氏で、愛知県の将棋事情を記した。
常連の水野保氏は「将棋と奇術」。今回のエッセイは異色で、将棋のある局面を題材に、二段構えの構成になっている。
続いてこれも新人の書き手だと思うが、読んでいて「分かる!」とヒザを打つこと必定である。
常連・榊原智氏は「「観る将」の増加」。日頃思うことをコンパクトにまとめた。
今号は将棋ペンクラブ大賞への応募号なので、「将棋著作リスト」が記されている。1年間にこれだけの著書が発行されたのかと思う。
ほかには「幹事のひとこと」やクロスワードパズルなど。クロスワードは今号より懸賞問題になった。応募は古典的にハガキで。やっぱり懸賞はこれでないといけない。
あッ、バトルロイヤル風間氏の「オレたち将棋んゾンビ」もあった。
最後に湯川博士氏の編集日誌。博士氏は年末に年賀状を200枚出したという。その量に圧倒される。ちなみに私はここ数十年、ずっと15枚前後だ。
今回は、来た年賀状の要約を差し支えない範囲で掲載した。たった1行なのに、それぞれの人柄が窺えて面白い。
以上、今号は表周りも含めて98頁。予算の問題はあるが、将棋大賞発表号以外でこれだけボリュームがあれば、毎号「会報」にできるのではなかろうか。
……無理か。
恒例の新春対談は、渡辺明名人がゲスト。ホストはもちろん、木村晋介会長である。
渡辺名人らしい、歯に衣着せぬ話が心地いい。白眉は渡辺名人による観戦記への提言で、この項だけでも本号1冊分の価値がある。
渡辺名人は20歳で竜王を獲り、若くして一流棋士の仲間入りをした。それだけに、若いころから俯瞰的に将棋界を見ている。渡辺名人がいる限り、少なくともこの世代までは、将棋界は安泰に思える。
続いて観戦記者・後藤元気氏の「観戦記の現在と未来」。渡辺名人と将棋ペンクラブの対談を取り持ったのが後藤氏だった。それが縁で後藤氏も対談に同席したのだが、前述のように渡辺名人の画期的な意見があったので、それに呼応する形で特別寄稿となった。これも必読である。
井出洋介麻雀名人の「パイコマ交遊録」は、「コロナ禍の中で」。コロナ禍における麻雀界の現状をレポートする。まったく、やりきれない状態である。
続いて不肖私の「プロ棋戦での詰め上がり」。1月15日に指された第1期女流順位決定戦で、千葉涼子女流四段が山口絵美菜女流1級の玉を詰まし上げてしまった。プロ棋戦で詰みの局面が現れるのは珍しいが、皆無ではない。それで、私が記憶している「詰め上がり図」を書いてみようと思った。
大山康晴十五世名人から藤井聡太王位・棋聖まで、誰もが知る詰み上がり図ばかりだが、最後の2局は知っている人がほとんどいない、異色図である。
実はこれ、例によってブログネタにするつもりだった。しかしこれをブログに書くからいけないんだと、将棋ペン倶楽部に転用した。
ただ昨今は、アマの書き手がプロ棋戦の指し手や局面図を引用することは不可の傾向にある。今回の投稿に際し、編集部がそういった判断をしたら、つまりボツにするなら、それに従うつもりだった。
結果的には掲載になり、今回も編集部がうまくまとめて、ピッタリ5頁に収まった。一読したところ省かれた箇所はないので、改行を微妙に調節するかして、合わせてくれたのだろう。いつもながら見事な編集であるが、これは書いた私にしか分からない感慨である。
今回の原稿は、山口女流1級が最後まで粘ってくれなかったら、誕生していなかった。これは本当にそうである。いつもはこういう言い方はしないが、今回の原稿は、山口女流1級に捧げる。
続いて美馬和夫氏の「将棋狂の詩」。1969年に「近代将棋」に掲載された「アマ名人の全国歴訪 関則可六段八十一番勝負」の紹介である。安定の美馬節というところ。さりげなく挿入された、北海道将棋連盟設立におけるウラ話も興味深い。
黄信号氏選の「将棋川柳」は10句を掲載。私も投稿しようしようと思い、いつも忘れてしまう。
「将棋はどこから来たか 日本将棋の謎」は、湯川博士氏。研ぎ澄まされた文章がキッチリ4頁にまとめられている。
和田伸一郎氏は久し振りの投稿で、大崎善生氏編「傑作将棋アンソロジー 棋士という人生」の書評。
後藤康文氏の「棋響園」は連載第9回。今回はマクラにあたる部分が特に面白い。
林慎氏も久し振りの投稿で、「たった一手の大盤操作、大名人の置き土産」。大名人の生涯最後の名手を、独自の視点から考察する。
続いては新たな書き手氏で、愛知県の将棋事情を記した。
常連の水野保氏は「将棋と奇術」。今回のエッセイは異色で、将棋のある局面を題材に、二段構えの構成になっている。
続いてこれも新人の書き手だと思うが、読んでいて「分かる!」とヒザを打つこと必定である。
常連・榊原智氏は「「観る将」の増加」。日頃思うことをコンパクトにまとめた。
今号は将棋ペンクラブ大賞への応募号なので、「将棋著作リスト」が記されている。1年間にこれだけの著書が発行されたのかと思う。
ほかには「幹事のひとこと」やクロスワードパズルなど。クロスワードは今号より懸賞問題になった。応募は古典的にハガキで。やっぱり懸賞はこれでないといけない。
あッ、バトルロイヤル風間氏の「オレたち将棋んゾンビ」もあった。
最後に湯川博士氏の編集日誌。博士氏は年末に年賀状を200枚出したという。その量に圧倒される。ちなみに私はここ数十年、ずっと15枚前後だ。
今回は、来た年賀状の要約を差し支えない範囲で掲載した。たった1行なのに、それぞれの人柄が窺えて面白い。
以上、今号は表周りも含めて98頁。予算の問題はあるが、将棋大賞発表号以外でこれだけボリュームがあれば、毎号「会報」にできるのではなかろうか。
……無理か。