9月24日、「近代将棋」元編集長・永井英明氏が亡くなった。86歳。
「永井英明」といえば、「近代将棋」が代名詞である。昭和25年、英明氏が編集長となって、同誌を創刊。英明氏24歳のときだった。執筆陣には木村義雄名人、大山康晴八段らトップ棋士。すでに創刊されていた「将棋世界」とともに、この2誌は将棋専門誌のツートップとなる。どちらもためになったが、個人的には、硬派なツクリの「近代将棋」のほうが好きだった。
1980年代まで、「近代将棋」「将棋世界」は互角の勝負をしていたように思う。しかし「近代将棋」はその後、赤字将棋誌を引き受けたり、雑誌の判型を変えたりして、やや迷走を始める。
英明氏を語るうえでもうひとつ、NHK杯将棋トーナメントの司会を忘れてはならない。
英明氏は、NHK杯が50人制になった、昭和56年の第31回大会から登場。それまでNHK杯は、番組進行と将棋の聞き手は別々だったが、この回より統合。司会の重要度が各段に増した。
英明氏は、最初の2~3か月はオープニングでガチガチだったが、回を追うごとに固さも取れ、実に落ち着いた語り口になった。
「本業」の聞き手はお手のもの。英明氏は元奨励会員。その辺のアマチュアよりよほど強いのだが、それはおくびにも出さず、つねに初級者の視線に立って、棋士の解説を引き出していた。それゆえ視聴者の中には英明氏を、ただの将棋好きのおじさん、と見る向きもあったようだ。
英明氏が最も引き立ったのは、英明氏が敬愛する大山十五世名人の解説のときだった。
大山十五世名人は、自分で大盤の駒を動かさない。英明氏と視聴者の中間ぐらいのところに視線を合わせ、「4五歩、同歩、同桂、4四銀…」とやる。以前は、この解説に聞き手がついていけずまごまごする場面もあったが、英明氏は手馴れたもの。大山十五世名人の指し手に合わせ、テキパキと駒を動かした。その名コンビは、木村十四世名人と佐藤健伍六段のそれと双璧だった。
そんな英明氏が将棋を指すシーンを一度だけ観たことがある。NHKのお好み対局で、講師の引き継ぎの回だった。ペア将棋で、英明氏は青野照市八段と組んだ。青野八段、▲5五歩と仕掛け、後手ペア△同歩。ここで英明氏は▲5五同角。青野八段は▲4五歩と突いてほしかったふうだった。英明氏、指し手も中級者を演じていたようだ。
英明氏の司会は、10年続いた。これは異例の長さである。これも視聴者の強い支持の表れであった。
「近代将棋」は結局、平成20年、惜しまれつつ休刊になった。英明氏に心残りがあるとすれば、これであろう。執筆者や読者に迷惑を掛けたと、最晩年まで口にしていたようである。
「近代将棋」の父、永井英明アマ八段。
心よりご冥福をお祈りいたします。
「永井英明」といえば、「近代将棋」が代名詞である。昭和25年、英明氏が編集長となって、同誌を創刊。英明氏24歳のときだった。執筆陣には木村義雄名人、大山康晴八段らトップ棋士。すでに創刊されていた「将棋世界」とともに、この2誌は将棋専門誌のツートップとなる。どちらもためになったが、個人的には、硬派なツクリの「近代将棋」のほうが好きだった。
1980年代まで、「近代将棋」「将棋世界」は互角の勝負をしていたように思う。しかし「近代将棋」はその後、赤字将棋誌を引き受けたり、雑誌の判型を変えたりして、やや迷走を始める。
英明氏を語るうえでもうひとつ、NHK杯将棋トーナメントの司会を忘れてはならない。
英明氏は、NHK杯が50人制になった、昭和56年の第31回大会から登場。それまでNHK杯は、番組進行と将棋の聞き手は別々だったが、この回より統合。司会の重要度が各段に増した。
英明氏は、最初の2~3か月はオープニングでガチガチだったが、回を追うごとに固さも取れ、実に落ち着いた語り口になった。
「本業」の聞き手はお手のもの。英明氏は元奨励会員。その辺のアマチュアよりよほど強いのだが、それはおくびにも出さず、つねに初級者の視線に立って、棋士の解説を引き出していた。それゆえ視聴者の中には英明氏を、ただの将棋好きのおじさん、と見る向きもあったようだ。
英明氏が最も引き立ったのは、英明氏が敬愛する大山十五世名人の解説のときだった。
大山十五世名人は、自分で大盤の駒を動かさない。英明氏と視聴者の中間ぐらいのところに視線を合わせ、「4五歩、同歩、同桂、4四銀…」とやる。以前は、この解説に聞き手がついていけずまごまごする場面もあったが、英明氏は手馴れたもの。大山十五世名人の指し手に合わせ、テキパキと駒を動かした。その名コンビは、木村十四世名人と佐藤健伍六段のそれと双璧だった。
そんな英明氏が将棋を指すシーンを一度だけ観たことがある。NHKのお好み対局で、講師の引き継ぎの回だった。ペア将棋で、英明氏は青野照市八段と組んだ。青野八段、▲5五歩と仕掛け、後手ペア△同歩。ここで英明氏は▲5五同角。青野八段は▲4五歩と突いてほしかったふうだった。英明氏、指し手も中級者を演じていたようだ。
英明氏の司会は、10年続いた。これは異例の長さである。これも視聴者の強い支持の表れであった。
「近代将棋」は結局、平成20年、惜しまれつつ休刊になった。英明氏に心残りがあるとすれば、これであろう。執筆者や読者に迷惑を掛けたと、最晩年まで口にしていたようである。
「近代将棋」の父、永井英明アマ八段。
心よりご冥福をお祈りいたします。
どうぞ安らかに。
近代将棋は数年に亘って愛読しておりました。
二十代で将棋雑誌を創り、それを数十年も続けるなんて、スゴイことです。
「近代将棋」は詰将棋コーナーを愛読しており、ときどきハガキも出していました。
会場の新宿、都庁舎の指定された入口に行くと建物内部のホールに
コート姿の永井さんが立っていました。
警備員がドアを開け中に入ると、永井さんは参加者のリストを片手に
入場者の名前をチェックしていました。
オウムの小包郵便爆破事件の影響でセキュリティが厳しかった。
休日、真冬の暖房のないホールに1時間以上は立っていたのではないでしょうか。
すでに60代後半だったと思います。
将棋番組の司会,聞き手から大会の裏方まで労を惜しまず働いていた姿は
将棋バカの枠を超越していました。
いい話ですね。永井さんはつねにアマチュアの立場に立って、裏方に徹していたんでしょうね。自分だけが目立ちたい、金儲けをしたいという風潮が蔓延する中、これはなかなか出来ないことです。
心よりご冥福をお祈りします。
「全国アマ強豪勝ち抜き戦」「詰め将棋鑑賞室、研究室」などのコーナー、斎藤栄氏の小説などは忘れられませんし、付録も随分活用した覚えが有ります。
廃刊になったと言う話を聞いた時は「エ~、何で?」と非常に残念でした。永井さんの活躍に報いる為にももう一度復活して欲しいですが、今は将棋雑誌そのものが売れなくなっているので難しいんでしょうね。
上のさわやか風太郎さんの返信で、「あわやか風太郎」と書いてしまいました。
4年9か月経ってしまいましたが、お詫びいたします。
お父様は創刊号から読んでおられましたか。それはすばらしい。
昔は将棋雑誌が将棋界の情報源でしたから、将棋ファンは必携でした。
「近代将棋」は、私は「詰将棋鑑賞室」の後身の「昼の詰将棋」を解いて、よくハガキを出していました。
「近代将棋」の復刊は難しいでしょうね。でも今月号の「将棋世界」は藤井効果で増刷になったとのこと。とりあえずはめでたいです。