一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

角館の美女(第4回)

2011-06-13 00:46:16 | 小説
(第1回は2009年7月31日、第2回は2009年9月5日、第3回は2010年1月31日に掲載。画面内の「カテゴリー・小説」をクリックのこと)

奥から出てきたのは、頭が禿げあがった老人だった。そこには申し訳程度に白髪がちょぼちょぼと生えているのみだ。土曜の午後らしく、ステテコに腹巻きというラフな姿である。ちょっと異様に見えたのは、老人が禿げ頭やステテコ姿だったからではなく、サングラスをかけていたからだ。この人が郁子さんの父親なのだろうか。
「なんだあ?」
「あ、あの、はじめまして。私あの、い、い、郁子さんに6年前旅先で会ったものでして、それであの、郁子さんのことが、いやあの、郁子さんにまた会いたいと思いまして…」
私は焦りつつも、用意していた言葉を述べる。「それで先週来たんですけど、そのときにあの、小説を送ることになったんですけど、それであの…」
「なんだあ? なんだお前は」
老人はひざをつくと、要領を得ない私に、怒ったように応えた。
「はい、あのそれで、小説を郁子さんに読んでいただこうと思いまして、きょうお持ちしたんですけど、あの――」
「なんだお前は! 何者だお前は!」
老人は私の言葉を遮り、警戒の言葉を吐く。私は冷静に事情を説明しようと努めたが、すっかり平常心を欠いてしまった。
「はい、だからあの、私は小説を持って――」
「ああ? 何がだ、何をしに来たんだ!!」
老人が上目使いに私を見て、怒鳴る。サングラスから覗く瞳は白く濁っており、とても正常とは思えない。老人が眼を患っているのは明らかだった。
この老人が、本当に郁子さんの父親なのだろうか。俄かには信じがたいが、よく見ると鼻の形が郁子さんにそっくりだ。ということは、先週の母親とは夫婦ということになる。母親は物腰もおだやかで品がよく、さすがは秋田美人だと感心したものだった。しかるにこの老人はどうだろう。母親の配偶者だから、もっと紳士的な男性を想像していたが、全然イメージが違う。
もっとも、どこの馬の骨とも分からない人間がいきなり訪ねてきて、小説、小説、と騒いでいるのだ。老人が警戒感を露わにするのは当然といえる。それにしたって、この扱いはないだろうと思う。
「あ、あの、これ」
私はうろたえながら、洋菓子の紙包みを差し出す。
「なんだこれは! 帰りなさい! お前は!! 帰れ!!」
「ああー、あの、これ、その小説です、おねがいします!!」
私は老人の異様な迫力と雰囲気に、恐怖を感じた。私はファイルに綴じた「角館の美女」を紙バッグごと差し出すと、逃げるように郁子さんの家を出た。
まさかの展開に、私は混乱しきっていた。いやこれがふつうの応対なんだ、と自分を納得させる。そもそも先週の母親の応対が、私に親切すぎたのだ。
私は放心状態で、いま来た道を戻る。しかし…小説をファイルした封筒には封をしていなかったが、あれはまずかったのではないか、といまにして思う。誰に読まれても恥ずかしくない内容と自負していたが、小説の中では、「私」と「郁子」が劇的な再会を果たし、結婚している。こんな小説をあの老人が読んだら、怒りで小説を破り捨てるに違いない。もっとも、白濁した瞳の老人が、字が読める状態かは疑わしいが…。
気がつくと、理容店の前に来ていた。先ほど入った店だ。人の良さそうな夫婦が経営していて、いい腕だった。だけど3,500円をはたいた甲斐はなかった。
中ではふたりが所在なげにしている。私は意を決し、再び入ってみた。
怪訝そうな顔をする夫婦に、実は…と、私がここ角館を訪れた経緯を話す。そしてあの家族の状況を訊いてみた。
「そうかい。郁子さんをねえ。でもあの家とはあまり付き合いがないからねえ」
と、ご主人は言う。
「そうですか…。でも、何かありませんか。お父さんとか…」
「ないねえ。あそこのオヤジさんは気むずかしいからねえ。何年か前に目を患ってから、あの人はとくにひどくなった」
やはりあの父親は、相当アクの強い人物らしい。私はあまりにも、無防備に乗り込んでしまったようだ。
「年賀状のやりとりとかは」
「ないない」
それほど多弁とも思えぬご主人だったが、ご主人はとくに私を怪しむでもなく、よく相手をしてくれた。奥さまも無口だったが、言わんとすることは、ご主人と同じだったろう。
先週角館を訪れたときは大いに収穫があり、晴れがましい思いで角館町内のビジネスホテルに泊まった。しかしきょうは、打ちひしがれた思いで角館を後にしなければならない。
その夜はけっきょく盛岡のビジネスホテルに泊まり、翌日曜日に、帰京した。篠崎愛に似ている女性には、連絡をしなかった。
帰宅後、抵抗はあったが、郁子さんの家に電話をかけてみた。できればかけたくなかったが、やむを得ない。
電話には運よく母親が出た。しかし先日会った時とは明らかに声のトーンが違い、警戒の色が現われていた。私が父親と会った後、一悶着あったことは容易に想像がついた。
――あの男は何者なのか。
――お前はあの男に会ったのか。
――郁子はこのことを知っているのか。
あれこれ詰問されたに違いない。突然再訪して、母親には申し訳なかったと思う。
「小説を、かならず郁子さんに送ってください」
私は電話口から必死に懇願したが、母親は「はい、はい」と素っ気ない返事をして、電話を切った。先週と比べて、何というよそよそしさか。
とにかく、これで振りだしに戻ってしまった。しかし、いても立ってもいられない。あの雰囲気では、両親が郁子さんに小説を送ったとは到底思えない。いや小説などどうでもいい。私の居所さえ知らせてくれればいいのだ。しかしそれはあり得ない状況だ。
結局私は、また角館を訪れるしかないのだった。もちろん目的は、母親と会うことである。何とか母親を説得して、郁子さんの居所を聞きたい。頼みの綱は、もはや母親だけになっていた。
翌週の土曜日、スーツを着用した私は、また角館に向かった。これで3週連続である。
ところで安月給の私になぜこれだけの交通費があったかといえば、当時JRには「ウイークエンドフリーきっぷ」という、JR東日本管内の全列車に週末の2日間乗り放題で15,000円、という便利な切符があったからである。それ以前に発売されていた「EEきっぷ」の3日間有効・15,450円には及ばないが、いずれにしても重宝な切符だった。
三たび角館に着く。いや昭和63年を入れると、4回目…いや、平成4年のゴールデンウイークの東北旅行を入れて、5回目だ。
駅前をまっすぐ歩き、武家屋敷通りとは反対方向に歩を向ける。市民病院入口前の公衆電話から、郁子さんの家に電話をかける。電話をかけるだけなら、東京からでもできる。しかし、母親に会ってもらえることになった場合、すぐ近場にいる必要があった。非効率のようでも、角館からの電話は、絶対だったのだ。
家を訪ねたときと同じ時間帯である。母親が電話に出てくれることを祈ったが、出たのは聞き覚えのない、年配の男性だった。表札には、郁子さんとその両親と思しき2人の名前しか記されていなかった。とすると、この人物は誰なのか。
私はまた一から説明するが、男性は私に不審者の烙印を押したようで、途中から「お前は誰でやあ?」を繰り返した。私は構わず説明を続けるが、男性は訛りを強くし、ベラベラとまくし立てる。私は電話の向こうの男性が何を言っているか分からず、閉口した。
あちらはこちらの言っていることが分かっている。もちろん標準語を話すこともできたろう。しかしわざと訛りを強調することで私との会話を遮断し、退散させたかったのだろう。
結局、今回も母親との再会は叶わなかった。それでも私はふらふらと、郁子さんの家に行く。道路から見た彼女の家はシーンとしていて、人のいる気配がない。しかし家の中には、先ほどの男性がいるはずだ。だが私に門を叩く勇気はもうない。
私は家の前に立つ。数ヶ月前、たしかに郁子さんはここで生活していたのだ。どうしてもっと早く訪ねなかったのかと、あらためて後悔がわきたった。
私は踵を返し、広い敷地を少し戻ったところにある民家を訪ねてみた。
出てきたのは初老の夫婦だった。ふたりは土地の者ではない私を、胡散臭い目で見た。私はこの夫婦にも、これまでの経緯を話す。すべてを正直に話すことが、真実を知る近道になる。
最初は私を値踏みするふうだった奥さんが、私の話を聞くにつれ、身を乗り出してくるのが分かった。ゴシップ好きの主婦には、私の話は興味を惹くのだろう。
ひととおり話を聞いた奥さんは、やはり郁子さんの家とはあまり交流がないと言った。そして
「あなたは長男?」
と訊いてきた。
「はい」
「じゃあむずかしいね。あの家は姉さんが結婚して、向こうに出ちゃったからね」
奥さんは冷笑を洩らす。「あんた、家を出て角館まで来ることはできる?」
そう聞かれて、私は即答ができなかった。私は郁子さんが好きだ。その気持ちは、これからも変わらないと思う。しかしもし私が郁子さんとの再会を果たし、トントン拍子に話が進んで結婚の運びとなった時、私は家と東京を捨ててまで、この片田舎に来ることができるだろうか。
――あなたにそれだけの覚悟がありますか。
興味本位で私の話を聞いたふうだった奥さんは、最も現実的な問題を、私に突きつけたのだ。
私は答えが見いだせぬまま、夫婦に礼を言って、その家を後にした。
5度目の角館からの帰路は、つらかった。
(2017年1月29日につづく)
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする