いいしらせのグッドニュース[パート・Ⅱ]

グッドなテーマを、グッド・テイストでお伝えします。

フランス・ドルドーニュ県 ベルジュラックにて、“ ペシャルマン1950年 ”をいただく。     鹿賀丈史

2013-01-10 16:33:38 | Weblog





   この霧が、ぶどう栽培によいのだとか。
   ドルドーニュ県 ベルジュラック。
   ベルジュラック (Bergerac) は、フランス南西部、アキテーヌ地域圏ドルドーニュ県にある
   とあります。

   最近、当然のようにこのような画面に小窓をつけているけど、
   時々不愉快ですね。

 



   鹿賀丈史さんが、ご自分の誕生年の“ペシャルマン”をいただきます。
   どういうシチュエーションか、わすれましたが、
   鹿賀さんがテイスティングします。
   「ギリギリですかね」と云います。



   

   左の方が、「ゴホッ!ゴホッ!」と咳き込んで、「替えましょうか」と
   云っていました。


   なぜ、このような設定の番組なのか。
   やっと、わかりました。
   鹿賀丈史さんは、昔、「料理の鉄人」の“美食アカデミー”主宰だったのです。
   番組のチェアマン的存在だったのを憶えていらっしゃるでしょう。
   「私の記憶が確かならば…」で始まる言い回し、「アレ・キュイジーヌ!」(フランス語 Allez cuisine!
   「料理始め!」の意)」と、高らかに試合開始を宣言する。
   岸朝子の「おいしゅうございました」は憶えていますよね。
   料理番組のあの時期(1993年から1999年)の集大成でしたよね。
   「まいう」なんてしょうもないですね。







   ピエール・ガニェール氏。
   「料理の鉄人」を通して出会った、知り合った、そのあとおつき合いを温めている方々を
   訪ねているわけです。
   羨ましいです。

ピエール・ガニェールは、1995年10月6日放送の「鉄人ワールドカップ」 チャンピオンシップ大会とも
言える特別企画で、イタリアのジャンフランコ・ヴィッサーニと対戦して、敗れます。このふたりの他にも、
世界的に著名なシェフが参戦した第1回大会 東京都有明(1995年)でした。

   ピエール・ガニェール氏にとって、かなり深刻な出来事であったらしい。





鹿賀丈史にとっては見事なまでの当たり役だったため、本当に主宰者、または相当な美食家と
思われることが多かったそうである。

   鹿賀丈史さんは、加賀百万石の生まれなのだが、2、3回しか帰っていないという。
   が、“つる幸”という割烹を訪ねる。
   そこの料理長、河田康雄さんに会うためだ。
   河田さんも、自信満々の若い頃“鉄人”に挑戦して、敗れる。
   20年くらい経っている今、その時の料理を彼は、鹿賀さんの前に出す。





   真剣な顔。そして、…





   『 美味い!』。「ウマイ」である。

   料理を通した触れ合いも、なかなか良いですね。
   



   

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