Dr. WAKASAGI at HEI-RIVER(閉伊川ワカサギ博士)

森川海をつなぐ学び合いの活動を紹介します

水産(SUISAN)を思想史から眺める

2010-03-07 | 水圏環境リテラシープログラム
 次に,思想史から,水産を見ていくことにする。
 
 西洋思想は,キリスト教の影響を強く受けている。キリスト教では自然は人間のために神が作り与えたものであると説いた。

 中世においては,ギリシア思想が入り,アリストテレスの哲学が採用され,人間中心的な自然観が形成されていった。リベラルアーツという言葉がある。これは,文法・修辞・論理学(弁証法)の3科および算術・幾何学・天文学・音楽の4科の7学科を指す。前者は,聖書を学び,普及・啓発するための学問であり,後者の4科は自然を対象とした学問である。後者4科は,自然に隠された神の秘密を解き明かすための学問であり,自然科学へと発展していく。

 近代になると,真理の追究のための観念的な学問である「科学」が,自然の支配と利用を目的とした実用的なものになっていく。 デカルトは,神が絶対な存在であった当時,自然を生命のない大仕掛けの機会と考えた。そして,自然界に対して徹底的に疑問を持つことによって,自分の存在を認識することができると説いた。「我思う,故に我あり」簡単に言えば,人間からみると自然は対照となる存在であり,徹底的に疑う事が大切なのだ。いわゆる「デカルトの二元論」である。こうした考えが,新しい発見や発明を生み出し科学技術の発展に大きく寄与した。

 このような歴史をみると,上述した水産業の発展の歴史,すなわち「沿岸から沖合へ,沖合から遠洋へ」という発展は,日本伝統の水産(SUISAN)をベースにしながらも,西洋のデカルト的な思想が元になって発展したものといえる。

 それでは,本来の水産とはどのような思想なのであろうか?東京湾を例にとって考察する事にする。江戸時代,江戸前(現在の品川から深川付近)では海苔の養殖が盛んであった。「海苔の味は,庶民の生活排水の味」といわれ,人間の生活と漁業の対象となる生物が密接に関わっていた。海苔を食べることで栄養塩を還流させていた。人間が生態系の一部となり生態系の循環サイクルを上手く利用したのである。

 このような人間と意味との関わりは,簡単にできあがったものでないであろう。おそらく,日本古来の自然観をもとに培われたものであろう。その自然感とはすなわち,自然は人間が支配するものではなく、むしろ人間が自然によって陶冶されていく。「神(かん)ながら」という言葉があるように,自然に身を任せること。そのことで,自然を敬いながら,自然と共存し生きていく知恵である。水産とは,自然の摂理に身を委ね,人間の命の糧としての食料、命を頂くこと。江戸前の海苔は「水産」の典型的な例といっていいだろう。 

 もちろん,このような考え方は,日本ばかりではない。太平洋の島嶼国でも確認出来る。例えば,ハワイ人たちのMOKUの思想がある。 MOKUの思想では, 一河川流域沿いで生活する人々を一つのコミュニティとする。資本主義経済とは異なり私有財産はない。土地は誰のものではない。必要な量だけ必要な魚を漁獲し,平等に分け与える。海川山と人々の暮らしが一体となった生活スタイルである。
 
 このような自然を中心とした考え方が太平洋島国の思想-日本では水産,ハワイではMOKU-の特徴であり,西洋思想とは大きく異にするところである。漁師が森に木を植える活動は,今や全国的な広がりとなった。このような活動は世界的にも珍しく,注目されている(海洋教育国際検討会 台湾 2009年)。山に木を植えて水産物を豊かにしようとする活動の起源は,日本古来の自然観「水産(SUISAN)」から発せられたものである。

3専門性の深化
 1で見たように,戦後,科学技術の革新は,漁業にも大きな恩恵をもたらし,漁業生産量を拡大させた。昭和37年の科学技術白書によれば,漁船能力の増強,漁業技術の進歩,漁業用資材機器の改善,新漁場の開発等に関する科学技術の進展発展により,毎年,30万トン前後の漁獲量の増加をつづけているとしている。

 このような輝かしい漁業生産量の拡大の時代に比較して,近年の漁業生産は,500万トン台で頭打ちである。果たして,水産業が隆盛を極めていた当時の人々は,どれだけ現在の実態を予測していたであろうか?

 確かに,その当時は社会全体が経済発展をナショナルゴールとしおり,経済の発展による国民生活の向上を誰もが期待していた。水産業の発展も当然期待されていたであろう。

 しかし,現実的には,その経済成長一辺倒の政策は行き詰まりを生んだ。
 もちろん,高度な技術の発展により私たちは世界中の水産物を日本に居ながらにして頂くことができる。これは,漁業技術,養殖技術の進歩発展,流通の革新の発展のおかげであろう。

 だが,経済発展を重視するあまり,本来の水産(SUISAN)を忘れてしまってはいないか?水産とは自然とともに生きる思想から生まれた共生思想である。水産文化とでもいおうか?

 このような人間と自然の関わりをもう一度見直し、文化からみた新しい水産の捉え方を見直し,このような技術革新のみならず,本来の姿に立ち返った水産を問い直すときすなわち「技術革新+α」を考えるときが来たのではなかろうか?