Dr. WAKASAGI at HEI-RIVER(閉伊川ワカサギ博士)

森川海をつなぐ学び合いの活動を紹介します

閉伊川調査

2009-04-27 | 閉伊川調査
4月25日。水温,9度。ワカサギの遡上量10匹/網 at 階段魚道前。18時頃,干潮であった。水温は低く,19時を過ぎているにも関わらず,階段魚道前はワカサギが捕獲できる。また,桜の満開が今年は4月18日。水温が10度を越え,ワカサギの遡上が活発であったようだ。

フレッシュマンセミナー東京湾クルージング

2009-04-21 | Weblog
フレッシュマンセミナー東京湾クルージングが1泊2日の日程で開催された。

本セミナーの主旨は,これまで船というものに触れたことのない新一年生300名全員を対象に,1泊2日の日程で本学海洋科学部が所有する海鷹丸,神鷹丸,青鷹丸の研究船に乗り込み,初めての乗船を体験。大方の学生の感想は,「はじめて船に乗り,海の上での体験は感動的である。」「船上で大学生としてのスタートを切り,海洋科学への興味が湧いた。」などである。

閉伊川と共に生きる 5000年の歴史を刻む小山田人その3

2009-04-15 | 閉伊川調査
アブはどうやって卵をどうやってなすのか?ふしぎだ。まだまだふしぎなごとがいっぺーある。あだらすー(新しい)川にはいねーよ。川をあるってわがる。こげがいっぺーある。

我はてっぽううじで,3cmのねずみみでーな生き物,めっけーだ。ざっかくとね(くずれ)そごでみったー。鉄砲構えながら。くれーものがきゅうなどころをころんときたーとおもってみった。おがすーな?なんでよごにうごぐんだ。こんなツーせーの。小国のざっかくとねでとった。

川でクワガタを捕った。これべんこだべすか?お,むすがながれできた。さんぶくていのがながった(寒くて動かなかった)。かわってんな。いしぱずめってさべったが,すとーぶでこーさおいだら,いぎげえーた(ストーブの前に置いたらば,生き返った)。そうすて(そして),岩手日報に電話してクワガタ専門のアンちゃんが専門書もってきた。今どき,30万で売れるって言っていた。種類は分からない。そうゆう珍しいのを見てきた。珍しい草花を見てきた。この閉伊川でね,俳句をするためにかわさこー見に行った。サゲがよさってくんだ(サケが集まってくる)。サケのおさげがたは,簡単だ(サケの抑え方は簡単だ)。おっぺ(尾びれ)を持ってはいけない。さかなも同じ,ひとど。そうして,おっべを恵比寿大黒様おせーだのがあんが。ぜってーおっぺさ触ってはダメ。

よどき(魚が動く時)は30分だよ。川も海も。さかなはずかん(時間)で,どんなさかなも,海も川もなすずかんはおなじ。じかんずーが,よどきはおんなず。よどきずーのは,さかながいずばんかっぱつになるどきだ。マグロ船でも,なんでもそうだ。うみさいっても,よどきを見るわけだ。よどきで海を見る。うみさいって,すくいそにいくわげだ。3時に出て,すんぶんでもよどきずーのはね。うみのみずが,こーて,きこうまでわがる。風でわがる。そんどき,岩をみでんだ。岩の黒いどこをみでんだでば。そんどき,さがってきたーどきさがながいのぐ。どんな魚も。ひきだときにばんかつかかる。そごをよどきという。テレビでみで釣りこをやって,船釣りでみでんだっけ。だんだんにきたな。あの岩を見ろ。黒ぐなってきた時に釣っていた。お昼を食ってきた時に無駄だ。そごをねらっている。さけもあゆも全部そうだ。つくねっとさべる。ひがしずむとき。アユがどっとくんだ。アユが瀬がらさって(去って),ながどろ(深み)にいくんだ。

閉伊川と共に生きる 5000年の歴史を刻む小山田人その2

2009-04-14 | 閉伊川調査
今は時代が変わって,小山田のテニスコートがあるが,そこから流れる川にずっぱりハゼがいた。昭和22,23年頃,針がない時,「こうぶんどう」という釣りこや(釣具屋)にいった。土間をみるとつりこばねが落っていた。それを拾って,釣り針にした。釣り針がない時は,針金を曲げて,先をすって(先端を削って),おばあさんいどけどがんぜ(おばあさん糸下さい)。といって黒いいとをもらって仕掛けを作った。めめず(ミミズ)がいっぱいいるので,ばんかず(たくさん)釣った。かんねーの(釣っても食べない)。にわとりにかせる(食べさせる)。あつけーの(対岸の方では),エビがまくろぐなる(真っ黒になる)。みごどに。ここには,さかながらとりこから何もかにもふっき(富貴)だった。33年間とりこをあずかった。

今のふれあい公園では,昔6月には野いちごがとれた。小鳥が野いちごに巣をかげていた。4つの卵をなしてだいていた。昨日,ひばりがひとつげーだけいだっけ。ヨシキリが三羽だっけ。三羽しかいない。なんじゅうといた。何で,とりがいなくなったか?何でヒバリもいないのか?千鳥もいなくなった。河原のいしさ,なすどきは4つなすっけ。いないはー。かわう,うみうがふえだ。なかなか区別がつかね。「かわうをぶってけろ。」と頼まれる。アユを食うわげだ。みどごに困っている。カワウは昔いないわけではなかった。カワウは話をしていた。ジシングモみたいのがいるが,今はいなくなった。タンポポも日本のタンポポがなくなった。

川も,すごくきたなくなった。公園ありーたどきにあわばでてべーす?(公園を歩いた時に見れば分かるが,水面に泡が出ているでしょ?)あれは,不純物だ。昔,[かんじょう]といって,あだまがらみずをかけだ。ひしゃくで水をかげた。池さ水を投げると輪になる。世の中を丸く収めるという意味だ。たいした本をみだが。この処理場が出たーために,こんなカワナ(川に生える藻類)がみごどにおがった(成育するようになった)。サケとめのうえのほうはコンクリートになっているが,純白のかわながあった。目につツカツカつかきた。ははー薬品だな?6月になれば,すきとーるチリメンジャッコ(シロウオのこと)が登っている。これがすぐなくなった。おふぐろがたも持って取ってきたものだった。たいした採れた。

106号の融雪がよぐねー。閉伊川は何十トンだベス?。例えば,一升砂でもどのぐらいまげる?(一升の砂をどのくらいの広さにまくことが出来るだろうか?)」「ばらばら,まいだだけでは,どこにも足りない。処理場と,融雪で川が変わった。はずやさん,いきでいれば120ぐらいだ。「魚の世界」だ。といった。水の量は30年前から10分の一になった。かなり少なぐなった。「アユが瀬さつぐ,古川でねーばいねーぞ。くるわげねーぞ。」といっていた。川虫は古川でないといない。
(続く)

市議の訪問

2009-04-13 | Weblog
吹田市市議会議員の訪問を受けた。

「国を作るのは人,人を作るのは教育だ。しかし,その教育が危うい。今のままでは,日本がだめになる。」

そう思った農業高校の若い高校教師は,一念発起し市議会議員に立候補した。現在2年目,32歳。国を支えるのは地方自治。地方自治のより良いモデルケースを打ち立てることが今の彼の使命だ。国の将来を考え希望に燃える瞳は輝いていた。

現場の教師をサポートするためには,今の教育システムをより良くする必要がある。徹底的によりよい国を作るための教育政策を実施したい。彼のウエブサイトは教育問題の課題解決から始まる。http://www.kamiyasohei.jp/

教育の本質とは何か?子どもたちの能力を最大限に引き出す方法とは?住民を主体とした政策決定とは?

次の新しい時代を作ろうと努力する若きリーダーにエールを送りたい。

閉伊川と共に生きる 5000年の歴史を刻む小山田人その1

2009-04-12 | 閉伊川調査
閉伊川大学校の一環として,昨年参加した方で,宮古市小山田にお住まいの方に,75年間,閉伊川と共に生きてきた思いを語っていただいた。(本日の水温10.1度,水位は3であるが,先週より増えている。)


数年前,私の畑の周辺で,墓所を造っていた。その時,バックホーンが4mほりさげた。4mの下は畑の土ではなく,海砂だった。のち,そこは,墓所になった。

そこは沢になっていて,「だんこ」(階段状の場所)があった。三浦重機で土を持っていった。その時,「魚」の絵が書いている土器をたくさん発見した。その時,「ははーここは海だったんだ」と思った。

言われてみれば,「こうじやの沢」という沢が小山田にあるが,昔から船着き場があると聞いていた。そこは標高10mで小高いところにある。書くのが出来ないので,言い伝えで伝えられてきたのだあろう。あとでその土器は5000年前のものだと聞いて大変驚いた。

近くには赤沼という水深10mの深い縁があり,渦の中に潜って遊んだ。明治14年生まれのお爺さんは,満潮の時,イワシを捕ったと行っていた。私の小さい頃,「いさば」(「いさば道」からでた)があったのを記憶している。いさばとは加工屋のことだ。

天明時代(1700年代)小山田が流れた。ラサ工業が来る前に,精錬所の前にある場所に,タナゴ岩というタナゴ(ウミタナゴのことだろう)が釣れる岩があった。今でもあるかもしれない。明治28年花輪橋まで津波が行った。桜の瀬という場所(花輪橋の上)や一本松という淵があった。

昭和11年に比べて,小山田橋の付近は3mぐらい水面があがっている。(土砂が堆積したと言うことだろうか?)

アイオン台風のあと,昭和26年赤沼河制工ができたが,アユの産卵する瀬が小山田橋の下にあった。以前は閉伊川は小山田を流れていて,缶詰工場のところにぶつかって流れていた。缶詰工場の下はまるで海のようだった。ラサ工業では,缶詰工場のところに大きな船を止めていた。

サケ止めでアユを捕っていた。瀬がつく時に,70の船が集まってきた。弁当を持って行って父を探すのが大変だった。水位は上がったり下がったりしている。花輪橋の上に「かどかみ」という地名があるが,淵になっていた。小学校2,3年の時にあのあたりまで,親父と魚を捕りに行った。昭和22年に小学校に入ったが,30cmのマハゼを捕って,父親にもらってたべた記憶がある。百姓であるが,魚を捕って売っていた。ハゼは「かどかみ」にいるものだと思っていた。
(続く)

学生の訪問

2009-04-09 | 水圏環境教育センター
都内の大学で水圏環境教育に取り組む学生さんたちの訪問を受けた。黒く日焼けしてキラキラと輝く瞳が印象的であった。

つながりのある環境教育をめぐり意見交換を行った。「学生としてできる限りのことをやっていきたいと思っています。」「学生同士がそれぞれ取り組んでいる環境教育を発表しあう場を作りたいと思います。」と意欲的だ。

日本においてもこうした形で学生のつながりの輪が広がっていることにうれしく思った。

環境省の外郭団体「地球環境研究機構」(iGES)でも,環境人材育成コンソーシアム準備会を立ち上げた。学生たちの活動の輪が広がるよう,学生たちの意欲を高めていくよう,大学,政府機関の大人たちは行動していく必要があると決意を新たにした。

The visit of the students who grapple with the Aquatic Marine Environment Education in the universities in
Tokyo was taken.

The eye which got sunburnt and which shone was impressive.
It exchanged a view the environment education which a connection was as for.

"I want to go as a student, the best thing View."
"I want to make the place which they announce the environment education which ,students, are grappling with respectively as to each other." It is eager with.

As for Japan as well, I thought that it was glad at the circle of the student's connection that there was a Wide in the form like this.

Even the affiliated organization "Institute for Global Environment Research Strategy" (iGES) of the Ministry of the Environment started an environment talented people raising consortium preparation meeting.

Determination was refreshed when the adults of the university and the government agency had to act to raise students' will for the circle of the students' activities so that to might spread out.



2009年度閉伊川調査始まる

2009-04-05 | 閉伊川調査
2009年度閉伊川調査が始まった。本日の水温は8.2度。水位は3。調査場所は閉伊川第一堰堤。

投網の漁師に聞くと,魚が捕れないのは,水温が低いから,あるいはカワウの食害によるもの,であるという。

前者については,確かに日差しの割には,水温が低い。なぜこれほどまで天気がいいのに水温が低いのか。ということであろう。水温の変化は山につもった降雪量にも影響を受ける。そのため,春の閉伊川の水温の変化はゆっくりとやってくる。夏の水温変化と大きな違いがある。

後者については,多くの河川でカワウやウミウが増えているという報告がみられる。閉伊川でも例外ではない。ただ,この春先は水温が10度を超えないと魚の活動が活発にならない。ウミウが多いから,今まで採れていた魚がいなくなったとは断定できない。確かに,今は,放流されたサケの稚魚が餌の対象になっているであろうが。

日本水産学会 高校生による研究発表

2009-04-03 | Weblog
東京海洋大学楽水会館で開催された,第3回日本水産学会「高校生による研究発表」が成功のうちに終了した。北は北海道から南は鹿児島まで,全国から11題の研究発表が行われた。

深海エビに関する水産資源的研究,未利用資源の開発,食品工場の生ゴミゼロ化,発光バクテリアを用いた新技術開発,魚類生態調査,魚類の形態進化に関する考察等,多岐にわたる発表内容であった。

高校生による研究発表は「どうしてなんだろう?何とか出来ないか?」という身近なものに対する疑問や,「なんとかしたい,こうしたい」という願いから端を発しているものである。

まさに,海洋を通して科学をしているのである。海洋は未だ数%明らかになっておらず,科学の対象として多くの可能性が秘められている。海洋は科学的な思考力を高める上でも,有効な対象であるといえる。

また,水産は日本人の食生活と深く関わりを持っている。地域ごとに特徴を持っており,こちらも食文化として見逃せない分野だ。

地域に密接に関わった諸課題を高校生がこうした学会の場で情報発信していくことは,研究者としても大変興味深いと同時に,研究者がアドバイスを行うことで,高校生の研究活動に一層の拍車がかかる。

参加した先生方からは「地方で研究発表していたが,こうして全国の研究者の前で堂々と発表し,大変自信をつけることが出来た。また,専門の研究者から適確なアドバイスを頂くことで生徒たちも大変励みになっている。」と感想を頂いた。

こうした研究発表を学会で行うことで,生徒たちはそれぞれの地域の良い面を理解することができ,自分たちのアイデンティティーを高めることが出来る。そのことが地域の活性化に繋がり,ひいては日本の水産学・水産業の社会的認識や重要性の向上・発展につながるものと確信する。