Dr. WAKASAGI at HEI-RIVER(閉伊川ワカサギ博士)

森川海をつなぐ学び合いの活動を紹介します

F君の修士論文がついに完成の日を迎えた。

2018-04-22 | 水圏環境教育

2018/3/19 月曜日 18:58

 F君の修士論文がついに完成の日を迎えた。3月には修了証書を手に取った。2年間、O町をテーマとして,アンケート調査,聞き取り調査,論文の執筆に当たった。私たちは,メールや直接の対話によって何度もやりとりを繰り返した。朝研究室に来ると帰りは夜10時を回るのが常だった。

 彼は,横浜出身であるがご両親は札幌出身。北海道への愛着を持っていたが,閉伊川流域に何度も滞在し,強い愛着を持っている。懸命にこの2年間取り組んだことは,沿岸部の高校生の森川海の思い出と将来の想いの特徴とそれらとの関係を明らかにすることだった。

 最終的に行き着いたところは人間の心とは何かと言うところであった。高校生が持つ将来の希望や想いは,その人の持つ思い出に関連が強い。人間の心は思い出によって形成されているのである。思い出は,その人の体験から基づくものでありそして人と人との関係が大きな要素を占める。人の関係は重要であるが,人間を取り囲む自然環境も殊の外重要なのである。

 中でも,主体的な体験活動は,将来の想いの形成になくてはならないものだ。特に狩猟採集体験は,思い出に残り,将来の環境保全や地元を大切に思う気持ちを育んでいるようだ。この調査を基にして,70才以上の年配方々にも思い出を尋ねるとはやり森川海での狩猟採集の思い出が強いようであった。自然環境が未だ破壊されず維持できているからこそ可能なことである。この様な自然環境は,市場原理主義によって荒廃した自然環境とは異なり,人類の健全な精神性を維持させる最後の砦といっていいかもしれない。

 これらの結論は,水圏環境教育の今後のあり方について,示唆を与えてくれた。つまり,豊かな自然環境の中での体験が重要だということ。本当にご苦労様。

  しかしながら,私たちの日常生活は,人間同士の関係に焦点を当てがちだ。それは都市化が進めば進むほど人間と人間との関わりが重要であり,そして大きな問題が起きてくるのだ。都市化が進むことによって人と人との関連性がよくなることもあるし,また逆に悪くなることもある。人間はゼロから新しいものを見出していく力を持っている。しかしながら新しいものを生み出す反面その弊害が生じることを理解しなければいけない。都市化が進めば進むほど,環境問題,エネルギー問題が進行することはこれまでの歴史が示すとおりだ。自然と人間との分断化,遠逃(えんとう)現象が起きるからだ。確かに,自然環境での体験は,市場価値がないように思うかも知れないが,エコツーリズムの企画を立てるなどこのあたりはしっかりと公共サービスとして充実させる必要がある。公共機関やそこで働く人財の役割は大きい。

 F君,4月からは海外青年協力隊として近々ペルーに赴任する。対等に対話して学び合う「水圏環境教育」の理念を携えて。地球の反対側から新天地での活躍を祈る。


人間の狩猟採集にある重要な意味

2018-04-21 | 水圏環境教育

人の狩猟採集には大きな意味があるそうだ。他の動物にはない特別な機能であると。その意味は,狩猟採集したものをシェアすることができるということのようだ。なぜそのような能力が発達したのか。

同じヒト科のゴリラに比較すると,子どもの離乳は早く,1年である。これに対して,ゴリラは3年かかるといわれている。これは生理学的にも明らかになっている。人間は,ホルモンの一種であるプロラクチンを抑えることによっておっぱいが出なくなるという。そのことで子供をたくさん出産できるようになる。そうすると母親が関係する親戚同士が子供の面倒を見る。人間独特の関係性が作られていく。そのことが人間の社会性をうみだした。

また,言葉が存在する前から音楽があったであろう。それは子供をあやすためである。そして,言葉ができあがっていくのである。このことからも,人間の人間としての文明の発達は,心と心の交流から生まれたものである。損得から生まれたものではないのだ。

 


世の中の経済は市場原理だけが支えているのではない。

2018-04-21 | 水圏環境教育

生産物をお金で取引する対価交換する場所が「市場」である。この市場原理によってこの世の中の経済の仕組みが成り立っている。だが,ここで注意が必要である。

 まず一つは,この世の中の経済の仕組みは、市場原理だけで成り立っているわけはないことだ。例えば,手作りの野菜やお魚を大学生に振る舞っていただくことがある。この振る舞いは,お金による対価交換の原理ものではない。森川海に住まう人々の「まごころ」によるものだ。大学生と地元の方々の間に心の交流が生まれる。心の交流によってまた来てみたい,あの方にお会いしたいと思うようになるものだ。このような交流は,市場原理よりもむしろ大事なのではないか。

 しかし,そのような心の交流ができるのは,豊かな自然があってはじめてできることだ。自然がない都会では,市場原理,損得勘定,私利私欲が優先され勝てば官軍のような勝者の論理が先行することは悲しいことだ。

 それから,もう一つは,市場原理に当てはまらない事柄によって支えられている事実があると言うことだ。それは,医療,教育,福祉など公共サービースなどだ。そして,この世の中のほとんど様々な事象は、森川海の自然環境によって支えられているのだ。農林水産業は当然であるが,工業製品もそうである。例えば,ハイブリッド自動車に使われているバッテリーは,レアアースでできており,アフリカの山林を切り崩して生産されている。切り崩す山がなくなったら,次はどこの国の山になるだろうか。残念ながら市場原理だけに目を奪われると自然環境はあっという間に破壊される。

 


ゴリラにある「共感性」

2018-04-17 | 水圏環境教育

2018/3/13 火曜日 23:11

 京大山極寿一教授の講演をきいた。ゴリラの研究で分かってきたことの一つに,ヒト科の生物にとって大切なものは共感であるという。ゴリラやオランウータンは,人間と同じヒト科に属する。ニホンザルのようないわゆる「サル」とは異なる。では,サルと何が異なるかというと,じっと相手を見て意思疎通ができるかどうかだという。ゴリラは,お互いに目と目を合わせて相手の心を読み取ることができる。つまり,相手に共感することができる。一方,サルの場合だと目を合わせることは反って闘争心をかき立ててしまうのだという。共感性は自己の欲望を抑えて、集団で生きていくために発達したのだという。

 さらに,胸をたたいて音を出す「ドラミング」は威嚇行為ではなく、喧嘩を戦いを未然に防ぐための行為であることも明らかになったという。チンパンジーやゴリラは相手の顔を見て意思を伝えようとする行動が見られることがわかった。さらにはこれに対してそれはそのような行為をする事は無い。相手の顔を見ると言う事は敵対することである。

 このようなヒト科特有の共感の気持ちは,おそらく言葉が発達する前に生まれたものだと言われている。また食物を分け与える。帰属すると言う気持ちが人間には本来備わっている。人間にとって同情することができる。これはもう人間は本来同情するために存在しているのである。食べ物は変え分け与えることによってお互いを尊重し合うことにつながるのだ。その意味で狩というのは人間にとって大切な行為なのである。

  しかし、集団に共感性が乗っかっている。集団間の争いが世界じゅうたえることがない。集団に依存した道徳性をどうするのか、今後の課題であるという。


釣りをしながら卒業生に話を伺う

2018-04-16 | 水圏環境教育

2018/3/3 土曜日 20:39

 宮古市北部の漁港に行き,釣りをする。地元ではカタナギという魚(ギンポの仲間)を釣り上げる。今日は気温が0度以下で寒い。漁港で釣り糸を垂れていると,コンブ養殖の作業を終えた卒業生に偶然出会った。話を聞く。なぜ,コンブが港内にあるのか。ウニの良い漁場だという。もちろん,一般人は取ってはいけない。だが,観光客を呼ぶには良いと思うが・・・

 彼の長男は,水産高校以外の高校に進学予定だそうだ。漁師11代の自分の代で終わりだと言っていた。続けていく事は大変なことだ。水産以外の高校に行ったからといって,それで終わりと言うわけではないのだが・・・

 だが,この水産の魅力をなんとか伝えることが大切だ。消費者が漁業を理解するような取り組みをもっともっと実施したい。その際,必要なのが海と陸(森,川,人)との関係性の理解。水圏環境リテラシー基本原則。食の本有的価値ともいう。ここが重要だ。


古川河口域と芝大神宮

2018-04-06 | 水圏環境教育

大門駅にて、明治時代の古川河口域を写真が展示されていました。
古川河口域には、芝金杉裏があって将軍家に出入りする漁師さんが住んでしました。
今でも、末裔が漁業や船宿を営んでいます。
ある船宿のおかみさんは、芝大神宮の御神体には、私たち400年前のご先祖様が描かれています。と話していました。

早速、芝大神宮に立ち寄りました。

その後、入学式に出席でした。