Dr. WAKASAGI at HEI-RIVER(閉伊川ワカサギ博士)

森川海をつなぐ学び合いの活動を紹介します

アダムスミスの言葉

2015-11-24 | 水圏環境教育

国富論の中で、小さな政府,神の見えざる手によって市場原理が成り立つと説いた。
しかし,彼は利益だけを追い求めるのではなく、共感することも重要であるとも主張する。
それが本来の市場原理のもとである。
にもかかわらず、多くの人々は利己心に走り共感の原理を忘れている。
政府や政治家も研究者も忘れている。
利己心のみを主張すると破壊(自然、人間,,,)がおきる。
共感の原理を忘れさられないようにする必要がある。そのためにはどうするか?
「互いを尊重し合い,対等に対話してはじめて創造性と互恵性が生み出される。」ことは様々な研究で明らかになっているが,
創造性と互恵性とはすなわち共感を生み出すことである。その際に必要なのは体験の共有であると私は考えている。本物の体験を共有するプロセスの中で対等な対話によって本物の価値が理解され共感が広がっていくのである。


今日の出来事

2015-11-18 | 水圏環境教育

忙しく岩手と東京を行ったり来たり,京都に行ったり尼崎に行ったり,先生は一体何しているのか?と山口県のある方から質問を受けた。
「宮古市は全国で11番目に広い行政区。上流から下流にかけて一つの閉伊川で繋がっている町です。大半の宮古市民は,閉伊川水系で繋がっています。にも関わらず,住んでいる人々は,繋がっている意識はありません。それの大きな理由は,今まで行政区が異なっていたからです。上流の人は上流で,中流の人は中流で,下流に人は下流で,とそれぞれの地域のコミュニティーで生活しています。上流から河口の市民一人一人が,,お互いに尊重し合いながら,閉伊川で繋がっていることを理解し学び合うことによって,多様な価値を認め合い,共有され,閉伊川流域の新しい価値あるモノが生み出されるのではないか,と考えています。3年後には,閉伊川流域について学び合う環境教育プログラムの開発を目指しています。今年度は,流域にお住まいの方々のインタビュー調査を行っています。」
「それは壮大な話だね。」「もっと身になることをやったら」とご指摘を頂いた。確かにその通り。世の中は評価されないと何もならない。余計なことをしないことが身のためである。しかし,閉伊川研究は私のライフワークであり,一生涯続けるモノであると決意をしている。ただ,フィールドワークは時間がかかる。実験室のようには行かない。

 


フランスのこと

2015-11-16 | 水圏環境教育

また,痛ましいテロ事件が再び発生した。悲しい事件である。
UCLA教授のジャレッド・ダイヤモンドも「銃,病原菌,鉄」で人類の発展の歴史は戦いの歴史であると説いている。確かに,地中海一帯は何千年も戦いを繰り広げてきた。本当に嘆かわしいことだ。彼は,考古学者であるが,彼は縄文時代が1万年続いたことを世界的にも珍しいと語っている。一方では争いが絶えず,一方では1万年も平和に生活する。その原因は何処にあるのか。それは,生活環境に起因する。縄文は豊かな自然が人々の生活を守り,心の安定を司っていたのである。事件が起きる場所は,砂漠地帯,大都市のように自然と人間との関わりが厳しいところだ。そうゆう場所は当然,人間同士の関わりも厳しくなる。

 少なくても私が知る限りにおいて,森川海の自然の中で生活する人々が血を流して戦ったという話は聞いたことがないしあり得ないだろう。健全な,森川海と人との持続的な関わりが本来の価値だとつくづく思う。
 山菜が生え,川の水を飲み,魚を釣る。時に海魚を捕るといった天然の自然との関わりがあるかないか。こうした体験が出来る環境を多くの国々の子供たちに伝え残していきたいとつくづく思うのである。


宮古市北上山地民俗資料館で木挽きの技を学びました。

2015-11-15 | 水圏環境教育

宮古市江繋地区にお住まいの80代の方々に「木挽き」の伝統技法を披露して頂いた。木挽きとは原木から一枚の板をノコギリで切る職人である。

葛飾北斎富岳38景に登場する木挽き

もちろん,今は機械化されて出番がなくなった。しかし,電気も石油もない時代から伝えられてきた技法が未だ残っていることは奇跡であろう。

 木挽きの技術は人々の知恵の結集である。山々は急斜面が多く,てこの原理を使った専用工具で簡単に木材を移動させる事が出来る。また,窓のあるノコギリは木くずが窓にたまるようになっていて,木くずを取り出しながら木を切ることが出来る。太い丸太の木から,板を切り出すために,ノコギリの刃先には木を引っかけるような切り込みがついていて切りやすい。昭和30年代にかけて盛んに切り出された閉伊川流域の木。鉄道の枕木にされたときもあったという。
ラジオで昆虫学者が日本人の目は接写レンズ,欧米の人たちは広角レンズの目を持っている。日本人は手先の器用さもさることながら,細かいテクニックを磨き上げていく。当に,木挽きの人たちの知恵や工夫はそうした日本人の持つ手先の器用さが生み出したモノであろう。
 しかし,昭和40年代以降機械化によって,人々と山の木とのつながりは遠のいていった。山の木としての存在から,商品としての木材となっていった。機械化は人と自然との距離を拡大させる。