Dr. WAKASAGI at HEI-RIVER(閉伊川ワカサギ博士)

森川海をつなぐ学び合いの活動を紹介します

これからの漁業の一考察その2

2011-08-23 | 里海探偵団
海洋牧場という発想はこれまでも幾度も取り上げられていますが,古くて新しい考え方であると思います。と申しますのは,漁業を食料生産に留めるのではなく,カーボンオフセットの対象とすることで新しい価値が生まれてくるのではないかと考えるからです。

カーボンオフセットとは,ご承知の通り,自分が排出した二酸化炭素をリセット(相殺)するための様々な取り組みです。例えば,タクシーを利用して20gの二酸化炭素を排出した場合,20gを吸収するための植林等の活動や投資を行うというものです。

これまでよく聞く話はアマゾン等の開発地域の植林というようなどちらかと言えば陸上植物に主眼が置かれた活動が盛んに行われておりますが,海洋を対象にしたオフセットの活動はあまり見られませんでした。

国連のUNEPによりますと,世界中の二酸化炭素の吸収量は陸上よりも海洋のほうが大きく,55%を占めるということです。さらに,その55%の内訳は沿岸域が70%以上を占めるといいます。

したがって,二酸化炭素の吸収率が高い(生産性の高い)沿岸域を有効活用すれば,海洋生物に二酸化炭素を効率良く吸収させることができるのです。もちろん拡大も必要なのですが,これまでもワカメやコンブ等の海藻が二酸化炭素を吸収していることを十分に考慮すべきでしょう。

海藻は二酸化炭素を吸収する役割を果たしていることに,もっと注目すべきです。海藻養殖はどこの海でもうまくできるというわけでもありません。どこの海でも天然コンブが生息できるというわけでもないのです。

日本の海洋の特質を生かし海藻養殖の生産性に着目してカーボンオフセットの対象とすることも考えていけば,水産業を民間から支援することにもつながり,さらに余分な排出量取引をせずにすむでしょう。そのことによって,これまでの漁業が食料生産のための産業から豊かな地球環境を維持するためのクリーンな産業として新たな価値を見出すことができるのでは,と考えています。

これからの漁業の一考察 ー小規模社会と自然度の高さを指標としたいー

2011-08-22 | 里海探偵団
たしかにノルウェーの漁業の手法は進んでいるようですが,ノルウエーに留学した学生曰く,地元のスーパーに行くと魚の陳列は数が限られ,また鮮度は決して良くないそうです。水産物の恩恵を受けているのはやはり日本人なのでしょう(ただ,日本にいるとあまり気が付きませんが)。

現在,日本の漁業者は人口約1億2千万人のうちの約20万人です。漁業法ができた100年前は漁業者は300万人いたそうです。5000千万人のうちの300万人ですから,実に多くの国民が漁業と関わっていたことになります。

漁業権とはあくまでも特定魚介類と漁業の方法,漁業する場所についての権利ですので,一般人も漁業法を尊守すれば採ってもいいことになります。

しかし,海は漁業者のものと多くの人々が勘違いしています。漁業者と一般人の間に距離ができたことが原因ではないでしょうか。海の利用を考えるのであれば,もっと一般人も海に関わる機会を増やすべきです。戦前は,全国各地に650箇所に水産補習学校が設置され,高等小学校では水産という科目も存在していました。今では水産高校以外扱いません。

遠い昔にさかのぼります。我々の祖先は一万年以上前から日本列島に住み着いていますが,遺跡を見ていくと当時は海の恵みを巧みに利用していたようです。丸木船や採集道具を作り,海や川沿いの魚,あわび,ウニ,等様々な豊かな恵みを享受して生活をしていました。交易も盛んに行っていました。当時から日本は水産資源が豊かなのです。

その時代,小規模な社会を単位として自然とうまく共存しながら生活を営んでいたと思われます。自然の恵みがなくては生きて行けないのは今の時代も変わりありませんが,当時は今以上に自然に感謝しながら(もちろん畏敬の念をいただきながら)生きていたのではないでしょうか。

しかし,キャピタリズムのもと経済至上主義となった今の時代はどうでしょう。いつの間にか,自然界の持続可能な利用の許容範囲を超え今現在の快適な生活を求めて生活を送るようになってしまいました。

また,自然度の高い地域よりも,自然度の低い場所(大都市)のほうが,高収入で豊かで便利で快適な生活を送っています。

この際,小規模社会の自立と自然度の高さを指標とした新しい価値感を見出し,サポートする手法を考案すべきではないでしょうか。
(これからの漁業についての一考察)

アイヌの人々の生活ーはやりアイヌは海民であった!

2011-08-18 | 里海探偵団
アイヌの人々が生活するにあたり欠かせないもの,それは「イオル」という生活環境である。と函館市北方民俗資料館の学芸員が教えてくださった。

イオルとは,海があること,サケが遡上すること,山があること,鹿やくまが取れること。である。内陸では生活場所はないという。旭川にもあるが,ここは川でつながっていて,海との交流がある場所である。つまり,アイヌの人々は,明らかに海民であったのである。アイヌの人々の生活は魚と密接な関わりがあるのだが,それ以上に交易を盛んに行っていた。つづり船という船を巧みに操っていた。ロシアやアラスカとの交流もあったという。とすれば,日本列島を北から南まで下ることはそう難しいことではないだろう。

更に,学芸員の話は続く。アイヌの記録は鎌倉時代からであるが,おそらくその歴史にとどまらず,1万年以上続いた縄文の歴史を継承している,という。とすれば,日本列島は1万年以上にわたり海によってきたから南までつながっていたのである。吉野ヶ里遺跡と三内丸山遺跡とは共通項があるが,それほど驚くことではないであろう。

三陸の民は海民であるアイヌのルーツもある。縄文もある。自然とうまく付き合ってきた長い年月をもう一度振り返る時である。

大塚和義著「アイヌ 海浜と水辺の民」の紹介を受けた。