三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

京都という村

2010年04月29日 | 政治・社会・会社

ある夕方、京都のホテルからタクシーに乗って、行き先の住所を告げました。そのタクシーにはカーナビがついていたので住所を入力すれば分かるだろうと思ったのです。ところがその運転手は、私の告げた住所が気に入らないらしく、「そんな住所ではわかりまへん」と言います。そしてカーナビも使おうとしません。
京都の住所表記は2種類ありまして、ひとつは昔ながらの、〇〇通り入ルとか、〇〇通り上ル〇〇南隣とかいった表記で、もうひとつは東京と同じように京都市〇〇区〇〇で、そのあと番地が続きます。京都市は道路が碁盤の目になっていて、東西と南北の通りが分かればその交差点を東西南北のどちらに行くかで目的地が分かるようになっています。そこからできたのが昔ながらの住所表記です。それはそれで合理的かもしれませんし、京都市に住む人々にとって好都合なのでしょう。
残念ながら私が承知していた住所は新しい表記の方で、恐らく運転手は新しい表記が余程気に入らないのでしょう。その気持ちは分からないでもありません。自分たちが昔から使っていた表現が政治によって勝手に変更されるのは気分のいいものではないでしょう。
しかし、もう少し突っ込んで考えて欲しいのです。住所は歴史の中で様々に変遷してきました。権力の都合のいいように勝手に変えられてきたのです。住民は与えられた住所を黙って受け入れるだけでした。決して住民がみずから勝ち取ったものではないのです。
人間は他の生物と比較して環境への順応能力に優れています。また、名前には必ず愛着が生まれます。新しい住所でも時代を経れば「昔から」の住所になりますし、愛着も根付きます。しかしそれは常に過渡的でしかありません。住所も諸行無常の例外ではないのです。タクシー運転手が変えられたくないと考えている住所表記も、実は歴史の中で時の権力によって何度も変えられてきたものなのです。

そういった認識はおそらくこの運転手にはありません。子供のころから=昔からという感覚的な認識だけです。そして自分の感覚を他所から来た旅行者にさえも押し付けるのです。客商売よりも自分の気持ちを優先しているという訳です。この人に限らず、京都の人々には昔からの文化を守ろうという意識が強い。そして相容れない他文化を排除しようする意識はさらに強いのです。国際観光都市として世界的に有名な京都は、住民の精神レベルからすると、田舎の盆地にある頑迷固陋な村に過ぎません。