三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

「正義の味方」は困る

2011年03月26日 | 政治・社会・会社

最近、私の周囲では「正義の味方」が増えて困っています。

計画停電で電気を節約するために店舗の電球を発光ダイオードに交換したのですが、発光ダイオードは調光が出来ません。だから明るいままなんですが、それでも消費電力は普通の電球の10分の1程度です。十分な節電だと思っていたのですが、外から店の明るさを見ただけで、「明るすぎる、もっと暗くしろ、節電について少しは考えろ」と電話してきたりメールを送ってきたりする人が結構います。特に女性が多い。というか殆ど女性です。
東京電力の電力生産量が減っているから節電しなければならない、店を明るくしているのはけしからん、という平面的な見方しかできないから、このような企業批判をしてきます。さぞかし不平不満もたまっているのでしょう。ぶつける先は企業のCS担当者やお客様相談室で、そういうところは決して言い返してこないし、節電しろという大義名分であれば言い返される心配はほとんどありません。

ストレス解消で人に吠えたいが、吠え返されるのは嫌だという人は、自分の感情を抑えきれない人です。ものごとを立体的に考えることができないから、自分についても客観視して分析することができない。だから感情的になるし、ますます平面的な考え方になります。
極端な人になると、こんなときに外食の商売なんかするな!と怒鳴ってきます。避難して困っている人がいるから、贅沢なんかしちゃ駄目だという論法ですね。こういう人はテレビで放映される悲惨な場面ばかり見て情緒的なものの見方しかできなくなっています。
日本経済のこれからを考えると、買い物をして外食をするという行動は、悪いことではありません。流動資産が流動しなければ経済は固まってしまいます。しかしそういうことに考えの及ばない人がいて、説明しても理解してくれません。言い訳だとか、金儲け主義じゃないかとか言ってさらに非難してきます。経済活動は利益を追求しますが、それが同時に社会貢献であることが大事で、マネーゲームの拝金主義とは違います。それでも理解されません。困ったものです。

前回の記事に対して次のようなコメントが入りました。改行などそのままです。

 

>日本社会は、一度地震で壊滅したほうがいいのかもしれません

滅多なことを、こんな誰でも見れる板で言うもんじゃない!

今回の地震で、被害に遭われた方々に対して、よくこんなことが言えますね!この惨事を見て
身内を亡くされたり、行方不明だったり、住む家や全てをを失ったり
と、悲しく辛い現状に、
貴方はご自分が、普段と何も変わってないから、
そんなことが言えるんでしょう?
まったく、非人間的な言葉しか思えない!

拝金主義云々、言ってるわりには、競馬(お金儲け、それこそ賭け事で、身上潰す)にご熱心ですね。

壊滅的な打撃をうけている人に対して、よくこんなことが言えると
驚いています!

 

以上の内容です。やはり女性です。多分30代か40代の方でしょう。私が競馬をやっていることも拝金主義じゃないかと言っています。競馬をやっている人はほとんど分かっていますが、競馬で儲かることはありません。自分の予想が当たるかどうかにわくわく感を持たせるために現金をかけているだけです。レジャーなのです。拝金主義者は絶対に競馬なんかしません。トータルで儲からないからです。殆どの競馬ファンはトータルすれば多分損をしていると思いますが、競馬ファンは誰もトータルなんかしません。

競馬ファンで有名だった詩人の寺山修司さんは、トータルで勝っているか負けているかを聞かれて「ではあなたの人生はトータルで笑っていますか、泣いていますか」と切り返しました。

この女性のコメントのもっとも駄目なところは、社会人として基本の挨拶が出来ていないことです。他人のブログにコメントを書くなら、「はじめまして、〇〇と申します」といった出だしが普通でしょうし、最低の礼儀です。
この人自身が被害にあった人かどうかもわかりません。単に私のことを非難してストレスを発散したかっただけかもしれません。インターネットを使える環境であることと、文脈から、もしかしたら浦安あたりに住んでいる方かもしれませんね。
やはりこの女性もものごとを立体的に捉えることができないから、自分の文章が感情的で礼儀を失している上に非論理的であることにも気がつきません。

人のことを平面的な見方でもって一刀両断にしてしまうのは、「正義の味方」の特徴でして、「正義の味方」は必ず人を善玉と悪玉に峻別します。そうでないと勧善懲悪の「正義の味方」になれませんからね。こういう分別ははわかりやすいので、いつまでたってもドラマ「水戸黄門」が人気です。

しかし現実のひとりの人間は、いい面も悪い面も優れている点も劣っている点も兼ね備えています。ひとつの観点だけで人格まで否定してしまうわけにはいかないのです。
菅総理大臣が総理大臣としての仕事をする能力がなければ、総理大臣として失格だという批判は的を得ています。しかしだからといって、菅直人という人の全人格まで否定してはいけません。しかし立体的なものの見方ができない人はそれをやってしまいます。極端になると、菅直人を殺そうとしてしまう。
かつてヒトラーがドイツ国民から熱狂的な支持を受けたのは、国民の敵はユダヤ人だと主張したからです。ドイツ国民にとってはヒトラーが勧善懲悪の「正義の味方」でした。

このコメントを書いた女性は、実はヒトラーに通じる考え方なのです。戦時中の日本人が洗脳されたのと同じ精神構造です。マスコミの報道ばかり見ていて、自分でものごとを考えようとしないと、こうなってしまいます。それはいつか来た道に戻ってしまうことです。

こんな人からコメントはいただきたくないし、考えてみればこのブログの趣旨からしてコメント欄なんて必要ないと思い、コメント欄を削除しました。