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「なぜ自然は数学の言葉で書かれているのか」あとがき

2023-09-17 08:24:25 | ブログ
 2023年4月2日付のブログ「なぜ自然は数学の言葉で書かれているのか」では、人類が長い時間をかけて築き上げた自然科学の歴史を、「自由エネルギー原理に基づく脳理論」をもって読み解くことを主旨とするものであった。

 このブログでは、人間の頭脳がもつ能力は古代ギリシャ時代から今日まで変わらないということと、自由エネルギー原理に基づく脳理論は人間集団についても成り立つことを仮定すると、自然科学の歴史はこの理論で読み解けると主張している。

 しかし、歴史というものは、時間の流れの中で次々と出現した出来事のダイナミクスを記録するものというのが一般概念であり、上記の脳理論は長い自然科学の歴史の後に、21世紀に入って提案された一つの出来事であるという思想が根強いのではないかと思われる。そうであれば、後に出現した理論をもって長い歴史を解釈するのは、後知恵とみなす人もいるだろう。

 最近の新聞を見ていると、ロバート・キャンベルさんが面白いことを語っている。西洋の食事(洋食)と日本の弁当(Bento)との違いを説明する話で、洋食を「絵巻」、弁当を「掛け軸」に例えている。

 「洋食は、レストランでも家庭でも、前菜、メインと順番に出てきます。フランス料理には起承転結があり、時間軸に沿って箸休めがあり、軽重があって、時間の流れの中で変化を楽しむ「絵巻」のように感じます。」

 「これに対して弁当は、一瞬で見せる時間の芸術で、一つの空間にさまざまな時間を閉じ込めて見せます。揚げ物、煮物、焼き物、菓子など、一括して世界を一枚の絵画で提示して見せる。いわば「掛け軸」のようなものです。」

 私の主張は、自然科学の歴史の中に生じるさまざまな時間を人間の頭脳集団という時代を超えた一つの空間に閉じ込めるという発想なので、「掛け軸」に相当する。やはり日本人の心を失っていないのかな、と思う。

 それにしても、自然科学というものは、その時代の常識や偏見に左右されながらも、時代によらない普遍的な知識を追求してきた学問である。つまり、古代ギリシャの哲学や数学から現代科学に至るまで、一貫した信念をもって基礎知識を後代に残しており、その軸はぶれていないと考える。そうであれば、少なくとも「なぜ自然は数学の言葉で書かれているのか」の問題については、「人類は、いかにして自然が数学の言葉で書かれていることを発見するに至ったか」と問い直し、上記の脳理論をもって自然科学の歴史を読み解くという手法を使うことは、神とは言わないが、自然あるいは宇宙の導きであると信じる。

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