gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

オリンピックについて思うこと

2016-08-07 13:06:54 | ブログ
 またオリンピックの季節がやって来た。今回も、サッカーなど興味ある種目について、テレビを介して日本選手の活躍ぶりを観戦することになるだろう。野球やソフトボールの試合がないのは残念だが。

 それにしても、過去の2回のオリンピックにおいて、ロシアが組織的なドーピングをやっていたという反ドーピングの国際機関の発表は、それまでのいくつかのドーピング事件に加えて、汚れたオリンピックという印象を一層強めるものであった。

 これほど世界的にドーピングが蔓延しているのなら、いっそドーピングを解禁にして、ドーピング検査の負担をなくしたら、とも思う。しかし、その考えは、近代オリンピックが理想とするアマチュアリズムの理念に反するのであろう。メダルをとるためならドーピングでも何でも手段を選ばないという態度は、どうみてもアマチュアリズムの喪失と言わざるを得ない。

 そこで、汚れたオリンピック・アスリートと対照的に目に浮かぶのが、野球の練習に打ち込む子供たちである。彼らの姿を見るたびに、「彼らこそアマチュアリズムの具現者以外の何者でもない」と、無性に感激してしまうのである。

 そうは言っても、過去のオリンピックを思い起こすと、感動的な場面が思い浮かぶ。マラソンの有森裕子さんは、我々に2回も感動の機会を与えてくれた。また、14歳の中学生であった岩崎恭子さんは、大方の予想を裏切り、みごと金メダルを獲得した。岩崎さんがあげた成果をみて、多くの人々は、普通の女の子でも不断の努力の上に良い体調のような好運が重なると、思いがけない結果を残せることを実感したに違いない。岩崎さんは、今でも、アマチュアにとって希望の星のような存在であると思う。

 ここで話が変わるが、シリアや南スーダンの内戦は、多くの難民を生み出してきた。難民の多くは、今日の生活の心配をしなければならない身であるが、スポーツをやりたいという若者もいるにはいるようだ。IOCは、有望な難民アスリートを集めて難民オリンピック・チームをつくり、オリンピックへの参加を支援している。一見すると、美談のようにみえるが、彼らが難民の星のような存在になるとは到底思えない。ドーピング問題などに悩むIOCが、格好いい話題づくりを狙っているだけ、という批判もあるだろう。

 そこで思い浮かぶのがインドである。インドは、大国でありながら、オリンピックにはわずかな選手しか派遣していない。インドは、中央集権の中国とは違い、極端なほどの地方分権制らしく、全国的な組織でオリンピック選手を養成するということをやっていないのである。それは、発展途上国らしく、オリンピックよりも生活レベルの向上が優先することをよく知っているからである。インドがオリンピック狂騒曲に踊らされることなく、身の程を守っていることに敬意を表したい。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿